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可憐であること。

BTS、韓国とつながるのだが、まず日本人の私としては、次郎物語を例としてあげておく。珠玉の言葉、場面がたくさんあるが、私が一番心に残っているシーンがある。
次郎くんのお兄さんとお兄さんのお友達と三人で、ある時「無計画の計画」をしようじゃないかということになった。人生には大きなそういう存在があるのだというお兄さんのお友達の持論で、それを確認する小旅行に行こうと。
ある時、農家に泊めてもらおうと、次郎くんが交渉に行った。その農家の奥さんが次郎くんがあまりに幼いのに不憫がって、小屋に泊めてくれた上に、おにぎりまでくれた。お兄さんのお友達は「次郎くんの可憐さに助けられたな」と言うが、次郎くんは何のことかわからない。お友達は「いいんだ、いいんだ。君が自分の可憐さに気づいたら、それでおしまいだから」と言う。
可憐ということばは最近あまり使わないが、
BTSこそ、可憐という言葉が似合う。彼らは自分たちの可憐さには恐らく気づいていない。気づいているのは事務所で、それを利用して稼いでいる。
いたいけで、一生懸命で、汚いものから守ってあげたくなる。グクは特にそう思う。ARMYに対する純粋な愛を感じる。身体を壊してまで、パフォーマンスの練習をする。子どものころ、家族が恋しくて、夜コンビニで泣いていたグク。プロデューサーやお兄さんたちに怒られながら、可愛がられ、頑張って自分を磨いてパワーストーンになった。7人がじゃれあっているのを見るとたまらなく可愛い、可憐だ。彼らのまわりには白い明るい光を感じる。だからみんなお高いグッズを買ってる。CDはもちろん、彼らの有料動画を買う。そしてARMYを増やすため、大変な編集作業でyoutubeにアップしてくれる。ARMYはBTSの可憐さにやられてるのだ。カッコいい、曲、詩の素晴らしさは可憐さがあってこそだ。韓国の国事態も可憐である。小さくて、アメリカに服従するしかないが、独特の素晴らしい芸術文化を持っている。韓国時代劇でも主人公はたまらなく可憐だ。しかし、その可憐さを韓国は利用している。反日で国民を引き付けておくしか術のない国の代表。BTSの事務所もしかり。次郎くんのお友達が言っていたように、可憐さを利用しだしたら終わりなのだ。それをBTSのメンバーに強要しだしたら、終わりだ。彼らの純粋な日本のARMYたちへの気持ちを反日寄りにするために、日本語を話させない。次郎くんのお友達の言葉では「もう終わりだ」