戦争の生き証人の処刑、日本人の一体感
戦後日本はアメリカにより、戦争を起こした政治家、軍人を戦犯として処刑された。戦争の生き証人がいなくなり、うっかり言い伝えると、自らも戦犯として処刑されるかもしれない、そして敗戦のトラウマ、戦後のただ生きることも大変な時代。本当にこの戦争のことを知っている人間が語り継ぐことをやめた可能性があり、ドイツのようにヒットラーについて研究し、ユダヤ人に対する迫害の研究施設を作ること、世界に対して自国がしたことを言い伝えていることをしていない。日本の場合は戦争責任者がいなくなり、実際にどういう形でどういう考えでアジアを日本化していこうとしていたのか。秀吉の朝鮮半島進行は異常だったと後々のサムライたちは思っていたに違いないし、自国が植民地になるのを恐れ、鎖国までしていた日本が、なぜ他の国を植民地化しようとしたのか、そういう形でしか西洋諸国から守れないと思ったのか。歴史家も当事者がいない状態で本当のことがわかるか。そして、ドイツのように一般庶民にわかる形で自国の罪を分かち合うことができていない。
日本は、独裁者が戦争を強要していたのではなく、天皇のもとに神の国、日本国を守るのだという集団、和により、その時代の日本人は自らの命を爆弾にするという恐るべき攻撃など、西洋の人々には得体のしれない恐怖を与えた独特の一体感により戦争をしていた。神様のためには命も惜しまない包まれるような浮遊感というものだろうか。私はこの独特の浮遊感を一度経験したことがある。もともと集団がキライであり、皆がしているからという理由で物事は絶対にしないし、自分の目で見た、あるいは自分の第六感が感じた以外の噂なども信じない、事件も報道が一方向であることを知っている。犯人にも言い分があるだろうと思っている。(ただ今の無差別殺人は、非常に日本の未来に恐れを感じる)後々、裁判、ジャーナリストによりあの時騒がれた犯人はこんな事情があったのだと聞くと私もするかもしれないと思うことがあるからだ。そういう私が高校時代、クラスで一体となって成し遂げたことがあった。こんなヒネた私が一体感を感じ、教室で成し遂げた喜びを皆で感じていた時、私たちのまわりを太陽のようなまぶしい、あたたかい光が包み、なんとも言えない暖かい幸福感を感じた。あれは最初で最後だ。このチームなら何でもできるに違いない。皆信じられる。一体感と浮遊感。日本人はこういう感覚で戦争をしていたのではないか。憲兵という恐怖のドーベルマンがいたからという面もあるが。すると敗戦により膨らんだ風船はパチンとはじけ、なかったようになり、アメリカナイズされ、今に至っている。
日本人はまた恐るべき一体感で戦後復興を果たし、経済を豊かにし、朝鮮半島や台湾やその頃日本が植民地のようにしていた各国には経済的に支援し、さらってきた人たちは自国に返し、戦争の傷痕はチャラにした。一体感でやりのけたことは達成したら浮遊感を味わい、失敗したらその一体感だった時にしたことは間違っていたのかと忘れる。こんな国、他にあるだろうか。テロ化しているイスラムの人たちぐらいか。しかし彼らはイスラムといっても、一部が殺人軍団のようになっているので、単純ではないが。
もし、アメリカが戦犯として天皇を処刑し、日本をロシアと分けていたら、日本は無くなっていた。私たちも産まれていない。現人神あらひとがみ天皇をその時のアメリカがどう思ったのか、この人のために民は命をなげうったのかと。一説によれば昭和天皇に会ったマッカーサーは現人神あらひとがみと呼ばれた人のただものではないオーラを感じたから、処刑しなかったのだと聞いたことがある。一体感、神風の日本人が暴徒化しないように天皇を残したという説もあるが。戦後の物のない時代。用意された食べ物を、これは国民が今食しているものと同じなのかと問われたそうだ。私は天皇制に対して批判する人たちがいることを知っている。しかし日本の歴史を思う時、出雲大社は、昔ははるか高い階段があり、遠く高く見えない場所に神社があり、一般庶民は簡単に詣ることができなかったと聞いたりする時、天照皇大神など神が語られる神話を見る時、天皇はやはり神をまつる神官で、この形はずっと日本になければならないし、このことを語り継がねばならないと思う。その一体感による残虐行為も。いじめ問題もそこだ。一体化して喜々として、残虐行為をふざけているだけだと言う。良い方面に出れば、今回のコロナワクチン接種も開始は諸外国と比べ遅かったのにかかわらず、接種率は高く、マスクもみんなでしている。しかし一体感ゆえ、マスク警察、ワクチン接種差別なるものも出てくる。ああ、ウンザリだ。もうほんとにウンザリだ。韓国に嫁に行き、全然帰ってこない私の友人もこれが嫌なんだろうなと思う。しかし最後の最後に私に残るのは、神に守っていただいている私たちは、自分でできることは、地球のため、人のためしていくということだ。