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挑戦へのきっかけ

新型コロナウイルスに世界中が苦しみ始めて1年半以上たった今、多くの人がコロナの蔓延を恨み、一刻も早い終息を願っている。
しかし、本当にコロナはただの悪者なのか。私たちにネガティブなものしかもたらさないのか。主に東アフリカで活動する日本人から、コロナについてポジティブにとらえる方法を学ぶ。

 第2回目は河野理恵さん。彼女は2018年に夫と共にケニアに渡航。12月にアパレルブランドRAHA KENYAを設立する。
 河野さんは就活で失敗し、その後も業種関係なく転職を繰り返した経験などから劣等感や無力感に苛まれていた。そんな時、海外での起業を決めた夫と共に来たケニアでアフリカ布に出会い、オーダーメイドの服で自分の個性を表現する楽しさを知った。そして全くの未経験だったアパレル業界で起業をする決意をする。アフリカ布で一歩を踏み出した河野さん自身のように、誰かの「一歩を踏み出すきっかけの」商品を作り、RAHA(=be happy, スワヒリ語)になる人が増えることを願い活動をしている。

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 河野さんにとってのコロナは、もちろん決して歓迎できる出来事ではないが、これまでしてこなかった「挑戦」をする「きっかけ」であるという。

 起業して1年目は、時には自由すぎる行動に困ることもあったが、必死に注文に答えてくれる洋裁職人たちとともに何も考えず楽しく制作し、楽しく販売が出来ていた。
 2年目に入り、会社として成長していくためにもう少し基盤を整えようという段階で、このコロナ禍の時代に突入してしまう。そこでいちばん打撃を受けたのは、ケニアでの生産を中止せざるを得なかったことだ。当時、河野さんは妊娠中でケニアにいたら危ないということで、医療の整っている日本に帰国することを決断する。コロナの実態が全く分からない状況で、ケニアにいた他の日本人スタッフも全員帰国することになった。
 その結果、ケニアで製作したものを日本で販売するという事業形態が継続不可能になってしまう。妊娠も重なり、無理は禁物と事業休止も考えたそうだ。しかし、会社のコンセプトが「一歩を踏み出すきっかけの」であるにもかかわらず、何も行動しない訳にはいかない。こういう時だからこそ、自分たちが前向きに行動していくことが、誰かの一歩を踏み出すきっかけを生むんだ。この思いから、河野さんはコロナ禍でも出来ることを続けることにした。

 RAHA KENYAの大きな特徴である「メイドインケニア」は一時中止せざるを得なかったが、それでも出来ることをやっていこうと、マイナスな局面を前向きに考える経験を得られたことが、河野さんにとってのコロナにより生み出されたポジティブな副産物の一つである。

 コロナ禍で出来ることを続けながらコンセプトを貫くのであれば、ケニア産にこだわる必要はないと思い、日本での製作に挑戦する。その傍らでオンラインイベントや、困っているNGOと共にクラウドファンディングも行った。これまでケニア以外で生産したことはなかったが、実はコロナ前から「日本での生産における可能性」に魅力を感じていたそうだ。つまり、2か国で製作出来れば生産力が上がり、ケニアでは作れない製品も作ることが出来る、と考えていたのだ。

 しかし実行してみるとメイドインケニアに絞った方が会社に有益だと気づく。国内での生産における一番の問題はスピードだった。ケニアで注文すると翌日に出来上がるものが、日本だと2~3か月後に出来上がる。国を超えて生産販売するともちろん輸送費はかかるが、日本国内での生産コストはケニアより高く、何よりケニアでアパレル業をスタートした河野さんにとっての「当たり前のスピード感」がない日本での生産は難しかった。河野さんの商品開発は、サンプル作りを繰り返すことで満足の行くものを完成させるスタイルだ。スピードがないと夏物に向けて作っていたはずのものがリリース出来るころには冬になってしまう。ケニアは融通も利き、面倒な手続きもないことからもスピード感が生まれている。これらのスピードやコストの違いから、あえて自国で生産する利点はなかった。希望でしかなかった日本生産の可能性を否定する結論を得たことは、河野さんにとって大きな収穫だったそうだ。

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「『いろんなことを、やれることを、全部やり切ろう』そう思いながら挑戦し続けた日本での2020年は、ケニアに戻った今振り返ってもかなりやり切ったコロナ禍だった」
当時を振り返ってこう語る河野さんは、他にも大きな挑戦をしている。

 「NAIROBI CITY」とプリントされたTシャツを販売し、売り上げの10%を関わってきた洋裁職人たちに還元するというものだ。ケニアでの製作を中止したことで、ケニアの職人たちは仕事がなくなり生活が厳しくなっていた。これまで大変な時に助けてくれた彼ら彼女らが困っているときに、医療体制も法も整っている安全な日本に戻った自分が何もしなくていいのかと思い、始めた企画だった。恩返しとして行ったが、一方的ではないか、自己満足で終わっていないかと不安を感じていたそうだ。しかしケニアに戻ると、支援を受けた洋裁職人たちが「あの時は助かった」と何度もお礼を言ってくれたという。
 河野さんは、「本当に嬉しかったし、このことから信頼関係をより強固にできたため、やった成果は大きかった」と話す。

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「もしコロナがなく、ケニアにいたままだったらここまで挑戦し続けてはなかったかもしれない。そう思うと危機に直面し挑戦せざるを得ない状況は有難かった」

 現在は子供も生まれ、12月に戻ったケニアにて社員も含めた5人で暮らしながら、ケニアでの生産を再開している。コロナの状況を常に気を付けていかなければならないのは大変だが、挑戦し続けたことで自信がついた。大変だったからこそ、そこを乗り越えたからこそ強くなったようだ。
 河野さんはコロナによって生まれた困難を乗り越えるために、様々な挑戦を行ってきた。コロナ禍で学んだ挑戦の大切さを活かし、これからも現地スタッフと共に、誰かの「一歩を踏み出すきっかけの」素敵な商品を作り続ける。

 コロナが生み出すネガティブな側面をただ受け止めるだけでなく、それをばねに変えていく姿勢を彼女から学んでいただけたら嬉しい。

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