第2回 「リスクを『受ける人』・『大きさ』をbetterに」
「誰ひとり取り残さない」
国際協力だけでなく世界中で行われるすべての行動において大切なキーワードとなっている。そしてこのコロナ禍では特に、重要なワードだ。
現在、世界各地でロックダウンが行われている。感染拡大を最小限に抑えるためだ。しかしその地域をズームして見てみると、ロックダウンによって活動が制限され、生活が困難になっている人々がたくさんいる。私がいるウガンダもその一つだ。人々はコロナではなく、ロックダウンによる収入源の喪失によって生死に関わる危機に瀕している。感染対策は“全体”にとって大切だ。しかしそれによって一部の脆弱層が取り残され、犠牲になっている実情がある。これは一例であり、この構造はよく見られる。国際協力の場でいえば、ダムを開発して結果的に大勢のためになったとしても、その地域にもともと住んでいた人々は自分の土地を奪われる、という話をよく聞く。何かを実行するとき、決めるときは多数決がよく用いられる。もしくは権力者、実力者などの力のある人の裁量で決められる場合も少なくない。
また、危機下においてはどうしても自分、家族、コミュニティ、地域、国など“自”が大切になってくる。“自”の安全が確保された後に“他”を見るようになる。コロナ禍ではNGOなどで「誰ひとり取り残さない」を掲げて海外で働く人の中に、一目散に帰国する人もいた(一方で葛藤の中泣く泣く帰った人もたくさんいた)し、海外で事故があると日本人が巻き込まれているか否かでメディアの取り上げ方が大きく変わってくる。さらに、パレスチナやイスラエルの紛争に世界中が注目する中、同時期に発生し第二次世界大戦後最大の死者数を出してしまったコンゴ民主共和国の紛争への注目度は低かった(日本においてはほとんど報道されなかった。「忘れられた戦争」と呼ばれている)。このように自か他か、利か否かで無意識のうちに差別をしてしまっている現状がある。
世界には程度はあれど違いや差があるため、多数決や力のある人の裁量で物事が決まってしまう。そこにさらに“自”を大切にしがちな感情も加わる。しかしそれによって一つの事象によって受けるリスクや利益も、内容や規模が全く変わってくる。それに対応して行った行動に対しても、全ての人々が同様の利益を得ることは不可能だ。利益に大小が生まれるし、リスクも発生してしまう。この時、リスクを負う人が脆弱層だった場合、すぐに倒れてしまう。では、生まれてしまった小さなリスクを負う人が富裕層など余裕のある人々であれば、ある程度その余裕を使って対処ができるのではないだろうか。上記のように、「誰ひとり取り残さ」ず平等に救うことは正直無理だと思う。しかし、倒れてしまう人を生み出さず、「どんな(内容、規模感)」「誰にとっての」リスクが発生するかを想定したうえで、リスクを受ける人や規模を最小限にすることは出来る。私はこれを諦めや消極的な姿勢だとは思っていないし、むしろこれすら出来ていないため、現在の世界は格差が広がり続けているのだと思う。
全体の動きと個の動きは繋がっている。コロナ禍でそのことはますます明瞭になった。では脆弱層が良くなれば、リスクを受け止められる、力のある人々にもその影響は伝わるはずだ。(逆の、トリクルダウンの場合、上記のように脆弱層が倒れてしまう)
これが続けば「誰ひとり取り残さない」世界に近づけるのではないだろうか。
2021年度(21歳)第2回 SDGs「誰一人取り残さない」小論文コンテスト
結果:落選
【募集内容】
SDGsの基本精神「誰一人取り残さない」について、思うことや心がけることなどについて、500文字から2,000文字程度での日本語での小論文を募集。
【実施団体】
野毛坂グローカル
途上国・日本の地域の学びあいによる共生コミュニティづくりを目指すNGO