~自分と、スタッフと、見つめなおす時間~
新型コロナウイルスに世界中が苦しみ始めて1年半以上たった今、多くの人がコロナの蔓延を恨み、一刻も早い収束を願っています。
しかし、本当にコロナはただの悪者なのでしょうか。私たちにネガティブなものしかもたらさないのでしょうか。コロナもきっと何かしらプラスの面も持ち合わせていると思った私は、主に東アフリカで活動する日本人から、コロナをポジティブにとらえる方法を学ぼうとしています。
第6回目は、AAR(難民を助ける会)ウガンダ駐在員の家高真衣さんです。
家高さんは、高校生の時、認定NPO法人テラ・ルネッサンスの理事長である、鬼丸雅也さんの講演を聞きました。その時の子ども兵の話に、「そのような悲惨な現実があるのか」と大きな衝撃を受けたそうです。しかし当時は、具体的に自分に何かできるとは思っておらず、大学はマーケティングをやりたいとビジネスを学びます。
大学で出会った海外でボランティアをする活発な友人たちを見て、本格的には考えていなかった国際協力を「自分にも何かできるのでは」と思い始めます。そこでカンボジアのスタディツアーに参加しますが、物乞いの子たちに会っても何をすればいいのか、なぜこのような状況になっているのか分からず、「自分は何も知らない」ことを思い知ったそうです。
もっと彼らが置かれている現状を知って、彼らの役に立てるようなことを仕事にしたいと思い、開発コンサルタントを仕事として選び、そこで3年間働きます。JICAの案件のバックサポートなど、国際援助には関わることが出来ますが、実際に現場で経験を積みたいと思い、2019年に現在の職場AARに転職しました。
現在はウガンダでプログラムコーディネーターとして、コンゴ民主共和国から来た難民の子ども達への教育プログラムの運営や、ホイマ事務所の管理を行っています。
<AARの活動の様子(難民の子どもから話を聞いています)>
家高さんにとってのコロナは「自分にとっては自分と向き合う時間、現地スタッフにとっては成長の期間」だったそうです。
AARは職員の安全確保のために、海外駐在員を全員撤退させる措置を取りました。2020年3月、ウガンダがロックダウンを始める前に、家高さんも後ろ髪をひかれる思いで帰国します。そこからは、日本から現地スタッフと遠隔でやり取りし、業務を進めることとなります。初めてのスタイルに、最初はすごく不安を感じていたそうです。オンラインやチャットで業務を伝えるだけで、現地スタッフをきちんとマネジメントできるのか、状況が直接見えない中で状況を把握し、的確な指示を出せるのか、など未知な課題がたくさんありました。
しかし、選択肢がない中で思い切って始めた遠隔での業務でしたが、案外上手くいっていることに気づきます。現地スタッフに裁量を与えると、考えていたよりも自分たちで考えて主体的に行動してくれたのです。
「『現地スタッフに任せて働いてもらえるのだ』と気づける、とてもいい機会だった」と家高さんは話していました。
<ウガンダスタッフと共に(既に退職された方も含まれています)>
コロナが落ち着き、日本人スタッフが戻った今は、以前同様、日本人が中心で回しているそうですが、コロナ前より互いの意識が変わったのではないでしょうか。
また、支援を受ける側のウガンダの人々の意識にも、変化があったようです。コロナ禍での緊急支援によって、感染予防のための手洗いなどの啓発活動を行っていました。事業後に調査をすると、コロナだけでなく、予防可能だが死亡原因にもあがる下痢などの病気の防止につながっているという声も聞かれたそうです。コロナを予防する目的が、ほかの病気にもかかわる衛生教育につながり、改善も見られたのはとても良かったと言います。
もう一つ、コロナは家高さん自身にもプラスの方向に働いてくれます。それは日本に一時帰国し、なんと約10年ぶりに家族と共に過ごせたことです。
仕事柄、これまで実家から遠く離れた場所で仕事をすることが多かった家高さんは、家族とゆっくり時間を共にする時間がなかなかできませんでした。しかし今回の強制帰国によってその機会を得て、自分にとって「家族とは」を考え、その大切さを再認識したそうです。(おばあちゃんも嬉しそうだったそう。)ウガンダに戻るときもリフレッシュして、「また頑張ろう」と新しい気持ちでスタートが出来たと言います。
<ご家族と共に(旅行先にて)>
また家族と過ごす中で、自分の人生の仕事以外の部分で大事にしたいことや、国際協力業界での自分のかかわり方についてもゆっくり考える機会を得たそうです。この業界のキャリアは幅広く、みんなそれぞれ役割分担をしています。現場か国内か、マクロかミクロか、と様々な視点で考え、自分の年齢やスキル、気持ちと照らし合わせてじっくり考えたとのことです。
「誰かに適切な支援を届けて幸せになってもらうことを目指すこの仕事は、まず自分自身に余裕をもって自分も幸せであることも重要だ。これからこの仕事をライフワークとするなら、自分にとっての家族のような人生の中で大切にしたいものや、自分の興味、自分にあった働き方も考えて関わっていきたい」
自分にはNGOみたいな受益者の方との距離が近い支援があっている、心のケアなど人に寄り添う対個人の支援をしたい、と思ったそうです。
そんな家高さんのコロナ後にやりたいことや予定を聞くと、「コロナの”前後”というものはあまり意識していないです。コロナは関係なく、今出来ることをやり続けています。」と話していました。しかしコロナによりますます安全管理に意識が向き、事業を進めるにあたって人数制限などがあると、支援を受けられる人数が少なくなってしまうため、その障害は早く無くせればとは思っているようです。また、サッカーが大好きな難民の子供たちのために、サッカー大会を開いて、学校に楽しく通えるようなモチベーションにもしたいそうです。なんと、第4回でご紹介したSOLTILOもAARウガンダと2019年にサッカー大会を開いていたようです。
<SOLTILOとのサッカー大会>
家高さんは、コロナ禍でもそうでなくても、過酷な環境で生きる難民の子供たちが、勉強し、前向きな一歩を踏み出せるようにサポートし続けてくださることと思います。そして、それに対して喜びを感じてくれる素敵な人でした。
家高さんのコロナ禍は、共感出来る方も多かったのではないでしょうか。私は彼女から、コロナのような困難をあまり気にせず、前向きに出来ることを一生懸命やる姿勢を学びました。
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