見出し画像

再受験してもしなくても終わってた

 再受験をして確実に人間として歪んだなって話。別に再受験する前から人間性は最悪だったし、再受験はきっかけのひとつでしかない自覚はあるけど。更に煮詰まった。

 夏は特に大変だったな。あの夏は越えられないと思っていた。昼にコンサータで無理やり目を開いて、夜は副作用で眠れないから眠剤を飲んで。非ベンゾだけでなんとかしたい方針の主治医だった(しわたしもそれを望んでいた)けど、夏頃にはベンゾ漬けに戻っていた。ベンゾじゃないとこの子は救えないと判断されたのかな。

 最初にメンクリかかった時の医者がぽんぽんベンゾを出すから、心の弱いわたしはメンヘラヤク中みたいなことをしていたし、振りでも続けると薬は怖くて、しっかりあの時代の後期はヤク中だったと思う。お酒とベンゾをぐちゃぐちゃに混ぜて、意識を放り投げて、それでしか生きられなかった。そんな生活を二年はした。安い言葉だね、書いていてもそう思う。でもこれ以上痛い思いはしたくないからリスカなんてしたくはなかったし、中途半端に賢い頭で現実を捉え続けるのはあのときのわたしにはできなくて、なんとかして意識を「ここ」からどこかに追いやらなきゃダメだった。既に休学していたしバイトもしてなかったから、24時間のリズムで生きる必要は全くなかったけど、社会性の残り香だろうか、夜にお酒と薬を持ち出して、できるだけ地に足をつけないように夜を凌いだ。ある日コンビニ行った時、10円出したらお釣りが50円で来るからあと10円出そう、みたいな軽い計算ができなくて、余計に出した10円含め30円がじゃらじゃら返却された時、あ、わたし、賢いの舞台で生きたかったことがあるのにこんなになっちゃった、ってすごい恐ろしくなった。それで薬はやめた。自己判断で薬を辞めるのが正しいわけはないんだろうな、とは思っていたけど、何せ心が弱いから手元に薬があればODは止められないから、あれ以降最初の病院に行くことはなくなった。

 今の病院に行き始めたのは、多分わたしって発達障害だろうなって思い始めたから。わたしはわたしが辛いですというのを若干許せない節があって、鬱は甘えなんじゃないかって、自分自身に診断がついてもなお自分で責め立てていた。自分がいちばん甘えてるんじゃないかって怖かった。いや、わたしは甘えてるだけですって、寧ろ思いたかったんだと思う。なんでかは判らない、健常者だって思いたかったのかな。いや多分、自分を殴る大義名分が欲しかったのだと思う。酷い完璧主義と、完璧でない自分に対する破滅欲求があった。わたしほど辛くなさそうなひとが(主観だからごめんね)薬もらって、然るべき保障を受けているのを見て、なんでわたしだけこんなしんどそうなところにいるんだ?意味は無いんじゃないか?と思ったことがあって。病院に行ったらサクッと診断が降りて、まあそうだよねと。薬(ベンゾじゃない)を飲んで、たまには希死念慮や、希死念慮なんて言葉では表しきれない明確な自殺への意志をあやしながらぎりぎり生きてきた。死んでやる、と思っても死にきれたことがないのは、結局わたしは甘ちゃんで死んでやる気は本心では無いのだと思う。そりゃあ、痛いの嫌だし。この世の中の方がしんどいとは思っているけど、一人前のメンヘラ気取っておいてリスカさえできないくらい痛みが怖い人間だから。あと、変に理性的だから、完遂できなかった未来を案じてしまい、下手にアクションを起こせないんだろうな。要は、中途半端な人間なんだ。

 再受験を決心したのは、わたしっていう人間はぎりぎり健常者で自分の足で歩くしかないんだなと覚悟したから。福祉におむつからごはんまで全部お世話してもらえるほどには障害者じゃなかったし、死ぬことも難しいなら、普通にお金を稼いでご飯を食べて日本国民としての義務を果たして生きるしかないんだなと思ったから。わたしは昔から医者になりたかったし、京大に来たあともいつかは再受験する、学士編入すると言っていたけど、それを本気でやらないと食っていけないなと思った。賢いと言うには賢い人間を見すぎた人生だけど、それでもやっぱりこの頭に頼らないと食ってはいけなさそうで。ゴリゴリの理系だし、資格職というなら医者かな、医者は食いっぱぐれないだろうし、という打算が年々頭に浮かぶようになった。ピュアに医師を目指していたことがある。それをわたしはしっかり覚えている。かなり勉強したことも、それが本心だったことも、覚えている。だから、この打算にピュアな夢が呑まれてしまう前に夢を叶えないとダメだと思った。そうしないと医者を目指して毎日スマホを見ることも無く机に向かっていた十八歳のわたしが救えない気がして。結局自分自分、嫌になるけど自分を宥めないと、最もそばに居る人間なのだから。

 努力の過程は好きだったはずだったんだけどな。一度鬱でぶっ壊れてから、緩くブレーキを踏みながら走ることしかできなくなった。ぶっ壊れると再生に一年はかかるし、次は再生できる保証もないし。どこまでの加速なら許されるだろうか、このブレーキは甘えなのだろうか、と考えながら走っていた。自分の取り柄は「必死」に頑張れることだけだから、こんなちんたらしか走れない自分のことを愛し続けることがすごい難しかった。自分が嫌いになると全部を捨てたくなってしまう。嫌いにならない程度に追い込んで、でも限界は見えません、次壊れたら走れるように戻るかは判りません、重ねていく無駄な年齢、離れていく周りの人間、ゆるゆる生きている自分のことは自分自身が愛せない、自分が愛してあげられない自分を生かしてやりたくなんかない。こんなことをずっとぐるぐるして。脳内多動だからかしら、ふと気づくとこの方向に思考が飛んでいく。正直ADHDだからだけではなく、根暗なのもあるし、数々の人生の失敗のせいで自分のことを自分がいちばん信じてあげられなくなっている。信じないとダメなのに。根拠の無い自信は武器だ。そのがむしゃらさにしか着いてこない結果もある。「がむしゃら」で「必死」なのをアイデンティティにしていたし、下手に成功実績もあったからそれをいくつになっても自分に求めてしまう。それができない自分が嫌いだ。そんなアイデンティティクライシスを今年は特に抱えていた。

 コンサータは国内だと72mgが最大量。わたしは正直人の話を聞いてしっかり作業しようと思えば72mg必要だけど、身体が慣れて段々作業ができなくなるから、少なめにして騙し騙し動こうと思っていた。12月のラストスパートには最大量がきちんと効くように。少量だと体感としては効いているのか全然判らない。だけど飲まないと本当に勉強にならないから、求める基準が高すぎるだけで飲まないより少量でも飲んだ方がマシなんだと思う。毎日コンサータを飲んでいた。緊張しがちなのも元々寝るのが苦手なのもあって、6月くらいには全く眠れなくなっていた。一限があるから昔みたいにじゃぶじゃぶ眠剤飲むわけにも行かないし、未成年と授業受けるんだからお酒の匂いをさせる訳にもいかない。甘めのODをして、匂いがあんまりしないようにスピリタスを一杯かきこんで(意味があるかは知らないし多分なかったと冷静な今なら思う)結局眠れなくて。不眠症といえど眠気はしっかりあるからふらふらのまま翌朝の講義に出て。何回か駿台の階段から滑り落ちた。あの頃のわたしの瞳孔は、かっぴらいていたらしい。仲良い先生が仰っていた。若者からしたら怖かったんじゃないかなと思う。同級生、本当にごめんね。でもあのときのわたしはかなり必死で、ほかになにも思いつかなかったんだ。手は震えてくるし目の焦点は合わないし、吐き気は止まらないし、気を抜いたら世間体なんて忘れてわんわん泣きそうだし。その話ができる相手も年々減っていて、限界だった。

 安心材料があるとわたしは必死になれないなと思っていた。ひとりで、たとえここで野垂れ死ぬとしても誰も気にとめなくて、この世で最も愚かで無惨な人間をこじらせた人外、それくらい救いようがなくなって始めて腹がくくれるというか。救いようないね、わたし。手を差し伸べてくれる人間の手を全て払い落とし、無理やりひとりになっている不器用な人間。愚かだよね。情けないよね。でも自分を愛そうとすごい必死で。それなのにいざ本当にひとりになると孤独で辛くて死んでしまいそうで。これなら元から希望なんて少しも見えてない方がよかったな、なんて思うけどそんなこと言ったってどうしようも無い。若干恵まれてしまったせいで捨てきれない人間らしい生活(わたしの理想)への可能性に苦しめられ続けてきた。

 周りは「こんな状況で受けられないよ」「治療に専念しなよ」というけど、もうさんざん休んだよ。治らなかったの。これで生きるしかないんだってさ。無理やり私大まで走ってみたけど、きつくて死にそう。私大を受けられるようになった過程も自分にとっては屈辱的だったし、「それを十八歳の、まだ心が死んでないわたしにやってあげたら、わたしは今こんな風に苦しんでないのに」というどうしようもない事を考えては悲しみにくれている。どうしようもない事を反芻するのは、瘡蓋を剥がすような緩い自傷行為で、判りきった痛みだけが入るからある種の快楽だ。

 ネットで少しだけ有名になったせいで、裏で何言われているかわかったものじゃないし、実際わたしのアンチには「甘えすぎw」「また落ちるでしょ」なんか言われている。それを見て傷つくのも上に述べたような軽い自傷行為の一環なのだろうな。こんな情けない快楽でしかわたしの心は満たせない。

 受験なんてもうしなくていいし、もう苦しまなくていいし、自分を傷つけて手に入る快楽なんかで満たされようとするのはやめなさいと、抱きしめてくれるひとがいたら変わったのだろうか。変わらなかったよ。

 受かっても落ちてもきっとわたしはまだ苦しいし、頑張って苦しむ要因を見つけてくるのだろうね。一緒に映画でも観よう、と言って紅茶でもいれて抱きしめて欲しい。わたしはその好意を無碍にしてまた傷ついて、結局その「快楽」でしか生きられないからさ。その愚かさを飲み込んで、頬を叩いて、矯正してくれるひとと巡り会うまで永遠にこの寸劇を続けるのだろう。頬を張るのは親の役目だった、幼少期に親の愛を適切に受けてない人間はこうも歪んで大人になってもなお親役を求め続ける。一生救われないね。幼少期から、詰むようにじっくりと人格と人生を捻じ曲げられて育った。そして、もう親のせいにしていい歳は終わった。この世は鬱だよ。



いいなと思ったら応援しよう!