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月が満ちて欠けて、消える迄の全て

 人生はフィクションじゃない。産み落とされたら、フィクションでないこの世界を、自分の足で歩かないといけない。いつまでも乳幼児の顔はしていられない。社会な「オトナ」になることを求めてくる。例え子どもの頃、充分に愛を与えられていなかったり、教育を受けていなかったり、家庭が不完全だったりしたとしても、二十五も過ぎたらそれは自己責任となる。

 このnoteもフィクションじゃない。不完全なわたしが満ちて、欠けて、目に見えなくなるまでの史実だ。どこから話そうか。機能不全家族に育ったことなんて、わたしの歪み方を見たら誰だって判る。義足の人が歩いているような、言葉にしにくい、けれど確実な違和感があるはずだ。わたしの生き方は、健全に生きてきた人には至りえない歪みが蓄積されている。不幸が起きても予定調和だった、という顔をしてしまうし、大好き、と言われると返す表情を持っていない。歪みは芸術だ。人と違うことは、苦しんでいることは、芸術だ。幸せに生きた文豪が今に残っているか。いや、そんなことはないだろう。そうやって正当化された悲劇のヒロインは、もういい歳になってしまった。もうヒロインなんか騙れないし、お姫様でないことなんて充分判っていた。でもそれを受け入れるのはわたし自身。勝手に産み落とされたくせに理不尽だと思っている。今も、ずっと。安楽死なんて存在しない。そこまでの過程が安楽でないから死を選ぶのでしょう。最期の一瞬が安楽だからといって、点滴注入のボタンを押す手が震えないとは限らない。皆、幸せなら、五体満足なら、健康なら、楽しいなら、多分生きたい。そうじゃないから死にたいと願う。死にたいと願うメンタルそれ自体がダメだ。それ自体が苦役だ。だからせめて、自分の中で自分はお姫様でなくてはならなかった。可能性を信じていないとダメだった。夢さえ失ってしまったら、ぼろぼろのわたしは死ぬことさえできないゴミクズになってしまうから。

 それなりに美しい顔で生まれた。だから、恋愛もした。所謂モテる、という点でつまづくことにはないくらいに。また、きちんと箱入りで育ちきったおかげで貞操観念もおかしくなることはなかった。我ながらすごいなと思う。この手の女の子は男に溺れて性を安く切り売りするようになるから。でも、恋愛は苦手だった。いつか相手はわたしから離れていくだろうという諦めと、それを何がなんでも引き止めたい感情が自分の中でぐちゃぐちゃになって、抑えきれなくなるから。大体、重いと言われて振られた。色んな本を読んだ。三木清や加藤諦三は結構クリティカルにわたしを刺してきた。幼少期の愛情不足だ、と。わたしは恋人となる人に父親性・変わらぬ愛を求めてしまっているらしかった。そういわれましても。変わらぬ愛、欲しいじゃん。ディズニープリンセスに憧れて生まれ育ったから、変わらぬ愛、永遠の愛、そんなものがあると信じていた。しかし、この世にはないらしかった。ないらしいと気づいたのは、多くの失恋を繰り返した後だった。どんなに「父親」を探しても「父親」になってくれる恋人はいないから。

 いちばん悲しかった振られ方は今でも覚えている。別れたい理由を沢山あげられて、そのうちの一つでしかなかったが、わたしにはぐさっと刺さったのだ。「家族の話をすると嫌味っぽい返事をしてくるのが嫌だった」と言われたことだ。そんな事言われてもなァ、と苦笑しかできなかった。だってわたしに家族の誕生日に贈り物をする文化はなかったし、そもそも誕生日なんて覚えていない。家族旅行なんて何年前が最後だろう、という感じだし、もう帰省する家はわたしにはない。だから「良く帰省するね」「家族仲いいんだね」 はわたしの心の奥底からの、ピュアな感想だった。でも、嫌味ったらしかったらしい。今思うとそれはそうだ、と思う。家族離散した彼女に「家族仲良くていいね!」なんて言われたらプレッシャーを掛けられているようにしか思えないだろう。実際、数年前の話だから推測にはなるけれど、若干の嫌味は載せていたのだろう。わたしは近くにいればいる人ほど攻撃的に当たる癖があるから。これも機能不全家族で育った子どもの予後だと加藤諦三先生は述べていた。でも、そんなこと言われても、わたしには成人してもみんなで集まって旅行に行く家族の気持ちは判らないし、お正月やお盆のような家族行事の時、わたしだけ予定がなくて、連絡もあまり帰ってこなくて、「わたしに家族と呼べる人はいないんだ」と感じている時ほど孤独を感じることはないのだもの。これ以上希死念慮が強まることはなかった。わたしは今でも、お正月がいちばん嫌いだ。死なないのは、救急車で運ばれた先に「はぁ、全く、正月から自殺未遂かよ」と医者に思われたくないからでしかない。医学部コンプレックスが酷いわたしは、勝手にそこまで想定してしまって、孤独をぬいぐるみを抱きしめて我慢することしかできなかった。

 もう誰も愛すことは無いと 信じてたyesterday 今は違うの

中原めいこ♪Fantasy

 前回の恋愛のテーマソングだった。依存が酷すぎる、僕は父親ではないと言われて振られて、なんやかんやあって復縁した人。その、一度別れる前のテーマソング。わたしは振られていて、かなり未練に塗れていた。でも、いつまでもそうしてはいられない。別れている間、わたしは「よし、この人のことはもう忘れよう」と決めた。その後に復縁要請が向こうから来て、びっくりした。この歌の違う部分の歌詞を口ずさんで。

恋はプリズムのファンタジー だから生まれ変われるはず

中原めいこ♪Fantasy

 一度吹っ切れたわたしはまたその人と恋愛モードになるのが難しくて、一生懸命好きだった頃を思い出した。女は上書き保存で男は別ファイル保存、よく言われるけれど、ほんとうだなと実感した。また好きになるのが難しかった。

 細切れの複数人との恋愛はした事がなくて、大恋愛を三回、した。わたしが全部悪くて別れている。復縁も、全員と一度ずつしている。やっぱり、好きになった人はわたしから離れていくんだな、そう実感した。切り替えて、あんまり深入りしていないときのほうが愛されている。好きになったら消えてしまうんだな、とわたしはどこかで思っている。それが怖くてありったけの愛を伝えてきたけど、それは重いらしい。諦めてどうにでもなれ、としているわたしの方が可愛いらしい。需要と供給とは難しい。

 愛されているなと実感するときは、わたしの書いた文章を読んでくれたとき。勧めた本を読んでくれたとき。情けない、常人ならしないミスをしたわたしをばかにせずに抱きしめてくれたとき。鬱で動けないわたしの元に、こんなにも頻繁に動けなくなっているのに本気で心配してすっ飛んできてくれるとき。

 わたしは自分の手でそれらの幸せを潰してきた。わたしは医者になりたかった。京大生だし、地域を選ばなければ医学部には行けたはずだった。再受験も、もっと早い段階で踏み込めたはずだった。でもこんな歳になってしまった。いつもタイミングが遅い。そして、助けようと差しのべてくれた手を強くはらいのけていた。幸せになるチャンスを捨ててきたのは他でもない、自分自身だった。

 これを認めないと大人になれないらしい。もう歳は取りたくない。歳を一緒に取りたいと願った相手を失うのもごめんだ。自分に絶望するのももう充分なほどやってきた。幸せでない原因は、もう、産んだ親ではなく自分のせいである。責任から逃げたい。苦しみたくない。ここまでが安楽で無いのだから、最後くらい安楽で良いと思うのに、日本にはその択がない。

こんなことをいつも考えているから、いつ死ぬかどうかも判らないし、それを束縛される結婚はあんまりしなくなかった。素敵な家庭というのはわたしには想像がつかないし。それに生殺与奪の権を半分明け渡すような気がして。勝手に死ぬことは許されなくなってしまうから。でもばかだから、明け渡してもいいな、と思う瞬間があった。そのときわたしが言った言葉はとり方によればプロポーズなのかもしれないな、と今更ながら思う。残念ながら上手くは行かなかったけど。

 やっぱり大切に思った人はどこかに行ってしまう。わたしが不器用で、愛し方も行動もはちゃめちゃなせいなのだけど。だからもうやっぱり、わたしの人生は生まれた時点からダメだったよ。再起をかけた再受験も、鬱とか発達障害とかで上手くいかなさそうだ。これも言い訳ね、判っています。でも病気で苦しむ役と慰める役をひとりでやるのはわたしの小さな頭ではキャパオーバーだったみたい。やっぱり他人に頼るのはダメだ、わたしは人間関係が上手くないから。受験もきっとだめだ、頭が悪いから。じゃあ安楽死以外に方法があるの?ないよね、ないんだよ。こんなに喚いても続く明日に乾杯。もしわたしが神を信じていたら、この泥水を全部飲み干せって言ったのは創造主になってしまうんだから、無神論者でよかった。

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