生活と暮れる、理想は難しい
3月末、取引先の社員が何名か退職するらしい。いずれの方々も次何するかが決まっており、次が決まった状態で退職できるならと他人事ながら自分の事のように少しだけ安堵してしまう。正直なところ、生きていけるんなら別に次が決まってないままでも辞めたって良いと思う。同時に、他人にはそう言えるのに、自分にはそう言えない事が、あまりにも他人の事を他人事だと客観視していると気づいて少しだけ良心が痛む気がする。他人は他人で、自分の事は自分にしか扱えないのだから当たり前と言ってしまえば、と言い聞かせるのだけど。
一所に留まっているのが長い人ほど、あまり退職や異動を聞かない気がする。かく言う私もそういうタイプであり、結局此処から出ていく人達を多く見送りながら、羨みながら、けれど自分に何も無い事が痛い程解っているから此処から動けない。多少こころがすり減っても、安全な所に居るのが得策だなんてさもしい事を思ってしまうのだ。若い人、若い世代程(自分より)一年やそこらくらいでぱっ と見切りをつけて本当にやりたかった事や挑戦したい事に向き合えている気がしている。各々、様々な環境はあるけれど、自分より若い人がそうやって自立して前を向けている姿を見ると、鼓舞されるどころか自分が多少なり情けなく思ったりも、するわけなのだけど、だからと言って何が出来るわけでもないので、今日も安心安全な所に縋り付きながら何とか生き繋いで居る。仕事をしながら、やりたかった事や挑戦したい事がある人は、眩しいし、やっぱり兎に角羨ましいなって思う。やりたかった事も挑戦したい事も、私には全部が過去になって逝ったような気がするので、想い出すことさえままならない。おめでとう。とか、お疲れ様。とか、お世話になりました。とか、口にする度にその舌の裏で「良いなあ、連れてってよ。」って言葉がひっくり返って来そうで怖い。
「生きていける」事と「暮らしていける」事は違うなあとつくづく思う。
服もご飯もベッドもあるけれど、仕様上剥き出しの洗濯機のホースの穴とか、お湯は蛇口で調節するとか、シンク下の排水管の構造上収納内に湿気が溜まり易いとか、何年も着てる服でそろそろ無理がありそうなのに捨てられないで掛けたままの服とか、ベッドが部屋に対して大きくてあまり物を増やせないとか、全部、「生きていける」けど「暮らしていける」には足りなくて惜しいところ。最低限で良いなら多分このままで生きていける。だけど私は、人間は、大概、毎日過ごす場所を最低限で なんて折り合いをつけられない。洗濯機の場所はちゃんと確保したいしお風呂に入る時くらいお湯は一定の温度が保たれて欲しいし排水管の蓋が締まらないなんて有り得ないし服が収納をぱんぱんにするから要らない物は捨てていきたいし部屋はもうちょっとだけゆとりを持ちたい。そうすると、家賃はきっと上がる。だけど、その「暮らしていける」しあわせの対価が家賃なので、きっと私はそこに文句は言わず、毎月払えるように毎日あくせく働くのだ。
環境や状況で選択肢はある程度絞られてしまうのが現実だ。(一人暮らしの場合)、賃金が低い所で働いていたら家賃はなるべく低くて生活水準は最低限に寄りがちになるし、かと言って転職する程の貯蓄も賃金の低さから碌に出来ないから出ていくのに途方もない時間が掛かる。賃金が高い所で働いていたら家賃は平均かそれより上まで目指せて、立地や条件の良い家で生活水準がぐんぐん上がっていく。そうすると、余程現在に不満がない限り長く暮らしていけるようになる。最低限でも良い、なんて、傍に誰かが居たり、その生活が気にならないくらい好きな事を追求できてたらの話だ。後はもうそれしか無いから、ってだけ。後者は一番苦しい。全体的に、皆、高めの賃金を貰って、皆、暮らしていけるくらいな生活ができたら良いのに。この場所、この仕事内容、でこの程度の賃金は妥当だ。として中々賃金を上げない会社や部署もあるけれど、そうやって名もない一般職の中でさえヒエラルキーを作りたがるのは人間の良くある事。だって学校でさえそういう造りになっていたから。自然と、大人から、社会はそういうものだと小さな社会で刷り込まれて、彼らが大人になった時、また次の子ども達に連鎖する。小さい頃から人間は薄情で純粋で柔らかいからね。
「生きていける」生活の中でも、ちゃんと生きようとする人達は何の為に生きているのだろう。良くそういう事を考えるのだけど、自分の事を振り返ったって答えは出ない。なんか、「それしかない」って感じの答えばかり渦巻いてしまって、正解って感じがしないのだ。だから、私がすきなひとが少しでも笑える瞬間がこの途方も無い様な永い人生の中で沢山沢山、星の数の様に在りますように。柔らかく温かい頬が夢の中で流した滴によって濡れて冷たくならないよう、きみに訪れる夢の数々がやさしくありますように。そうやって祈りながら生きる事が、今のところの私にとっての正解感。
理想の生活はありふれた様な事で良い。ありふれた、人並みな生活こそが理想だったから。