孤独に理想を貫く人を応援する歌としての「浪漫飛行」
米米CLUBの「浪漫飛行」という曲を,1文字だけ替えて,歌ってほしい.
いや,本来,そう歌うべき,そう聞くべきなのかもしれない.
ボーカルであるカールスモーキー石井さんが,そう願いを込めて書いた後に,恋愛ソング風に味付けしただけなのかもしれない.
勿論,カールスモーキー石井さんの真意は解らない.
いや,作り手の「真意」は,「受け手」である自分には,本来,関係がない.
だから,この曲を,自由に解釈して,自由に応援歌として使っても,良いと思う.
それが,「作り手/作品/受け手」の自由な関係だと,私は思う.
「逢いたい」と思うことが何よりも大切だよ
彼はこう歌っている.でも,
「やりたい」と思うことが何よりも大切だよ
そう,1文字だけ変えて欲しい.
というより,今日ランニングしていた自分には,この曲の歌詞が,こう間違った歌声で想起されたのだ.
一旦,そう思い出した後は,全ての歌詞が,応援歌としての文脈で繋がって行く.
苦しさの裏側にあることに眼を向けて
夢をみてよ どんな時でも
全てはそこから始まるはずさ
この曲は,超大企業「JAL」のCMソングにもなり,当時とてもヒットした.
だから,当時の状況下では「浮かれた曲」として,楽しく「消費」されていた.
そして,当時中学生だった私も,そういう風潮で聴いていた.
しかし,時が経った今では,この曲がまとっていた当時の空気は薄くなった.
それ故,より純粋に曲だけに向き合い,そして,改めて聴いてみるとこの曲は,「孤独に夢や目標を追いかけ,努力している個人」を勇気づける歌に聴こえる.
米米CLUBは,キラキラな豪華なステージングや,度々のオリコンメガヒットにより,エンタメ王道的なイメージがあり,当時の私の眼には,歌うま六本木系セレブエンターテイナーの道楽...に見えていた.
しかし,今の私が,このバブリーで浮かれまくった懐かし動画を見ていると,当時とはまるで違った感情を伴って見えてくる.
この浮かれた豪華さが,それを「貫く」のに必要だった「苦しさ」...の裏側にある楽しさ....として映るのだ.
こんなにダンサーが必要だろうか?大仰な鎧をまとったメンバーが必要だろうか?こんな大層なステージ構築が必要だろうか?
...と,当時の私が感じていた「疑問」は,
この人数の維持にどれだけの金額がかかるのか?この人間関係をマネジメントする苦難はいかほど?ピエール瀧さんは一人だけしか居ないけど,これだけの人数を背負ってバンドを運営していく石井さんの覚悟ってどんだけ?
...と,「敬意」に変化して,今の私の目に映る.
色物バンド...そう言ってしまえば簡単である.
当時はカブキロックスらのように,音楽的に聴くべきところはあるが,まぁ色物バンドだよね...的な括りで,語られていたと思う.
(当時の私も,米米は石井さんのソロで良いんじゃないのか...くらいの見識で有ったことを懺悔しておく)
学生ノリ,色物,おちゃらけ,バズワードスタートアップ...
そう,大学生や社会人なりたての奴らが,飲み会で盛り上がり,バンドを組んだり,起業してみたり...それは,案外に簡単な事で,そして運良くヒットして,マスコミがチヤホヤすることもある.そしてソレを我々は苦々しく眺めたりする.
...そこまでは「あり得る」ただ,それを,そのノリを,その色を,人生を賭して「貫く」事は,ものすごく困難なことだ.
同じく色物バンド...で有ったはずの,聖飢魔II...彼らもまた
「貫いた人たち」だ.
「色物」
それは,「カラーがある」ということだ.
確かにインパクトが有り,大多数の人間の目を,一瞬惹き付ける事が可能な手法では,ある.そして,沢山のニセモノが跳梁跋扈する手法でも,ある.
しかし,結局,そこで生き残る....貫き続ける人たちは,
その自分の「カラー」を至上価値と信じ,続ける人だけだ.
本当に重要なバンドというものは,1バンドで1ジャンルを作り,追随すら出来ない.
聖飢魔IIが果たしたコミカル×ヘビーメタルというジャンルは,彼ら以外作れてないし,
米米クラブをリスペクトする人は多くても,あのようなバンドは米米の前にも,後にも,存在しない.
勿論,時代的な背景も有る.
テレビの歌番組を大勢がお茶の間から観る...
スクラップビルドで大規模で(無駄な)装飾が歓迎される...
そのような事情が,今後揃う時代はやって来ないだろう.
だから米米CLUBは,継承されない一代限りの伝説である.それは致し方無いことだ.
...もう一度,歌詞に戻って,聴き続けると,想うことがある.
時が流れて誰もが行き過ぎても
You're Just A Friend この胸に
トランク一つだけで 浪漫飛行へ In The Sky
飛び回れ このMy Heart
忘れないで あのときめき
一人じゃない もう一度空へ
ここで歌われている「You」「一人じゃない」その傍らに居る存在...とは,
「恋愛対象」でも,「友人」でもない,と私は感じる.そして恐らく,「人」でもない.
浪漫飛行の後のヒットソング「君がいるだけで」の中で,歌われている「君」も,同じ対象だと感じる.
石井さんが歌い上げてる,彼の傍らに居る存在は,
自分の「理想」だ.
この曲は,自分の「理想」を「貫く」為の歌だ.
...つらつらと書いてしまったが,私がもっとも訴えたい,伝えたいのは,前述の曲の解釈ではない.それは私の解釈でしかないから,それ自体は否定されようが,肯定されようが,別に構わないのだ.
そんなことよりも伝えたいのは,
「受け手」の「自由さ」だ.
このnoteは,"今,私が,理想を貫くために苦労をしている...と言う状況で,向かいの曲を聴いたら「こう」聴こえた"という話である.
当時中学生で恋や愛に悩んでいた私には,全く普通の恋愛ソングに聴こえていた(笑)
だから,今あなたが悩んでいる事が,違うことなら,また違うように聴こえるだろう.
しかし,それが「作品」の良さなのである.
「作品」は「作り手」より独立出来る...「作り手」と「作品」は不可分ではないのだ.
そして「作り手」と「作品」と「受け手」は平等である.
「作り手」という上流から,「受け手」という下流に,流れるものでは,ある.
が,我々「受け手」は,「作り手」が込めた想い以上のことを,「作品」から受け取って良い.
それがこの国のコンテンツをもっと豊かなものにする.
twitter上の,誰か一人の意見...それがとても影響力のある人物でも,どんなに聡明な意見でも....その意見の右に習う必要はない.あなたは,「受け手」として無限の自由を持っている.
その「受け手」としての「自由さ」を,今日,私は,あなたに伝えたい.