モニターの向こう側のエイリアン
藍川さとるを知っていますか
彼女の代表作「晴天なり。」シリーズは,近隣に存在する三つの高校(とその周辺)で学生生活を送るキャラクター達が,短編毎に次々主人公を交代して行き,一個人それぞれが持つ「好き」と云う悩みを,解決しようとする物語です.
彼女の描いた世界では,女性同士の愛も,男性同士の愛も,男性と女性の愛も,姉弟の愛も,親と子の愛も,全て「好き」と云う概念で並列に並んでいます.
しかし,彼女が描いたのは,理想郷では有りません.
そして,LGBTQがテーマの漫画でも有りません.
現実の世界でも頻出する,自分の「好き」が容易に成就しないと云う,一個人の葛藤に焦点が当てられています.
彼ら彼女らは社会を啓蒙するつもりも有りません.
社会の被害者として現状を呪う事もしません.
その短編で主人公に配されたキャラクターが,自らの「好き」に付随して発生した個人的な問題を,あくまで一個人として解いて行く物語が描かれます.
私はLGBTQの方々が,「素晴らしいこと」とされているのに違和感を抱きます.
いえ,当事者が権利を得る為に戦うのは,尊い事だと,私も思います.
しかし,当事者の方々は,「素晴らしい」人になりたいのでしょうか?
当事者は,一個人として「普通になること」が最終目標なのでは無いでしょうか?
LGBTQが「普通」な社会にする為には,一時的にLGBTQの方々を「素晴らしい」と扱う必要があるのだ,と言う今の風潮に,私は懐疑の感情を抱いています.
当事者たちが,「特別扱い」されたがってるように,私には見えないからです.
この物語は,多様な「好き」の形を扱います.悩むのは主人公たちほぼ全員で,LGBTQの方々だけが「悩みが深い」ようには扱われません.
それぞれのキャラが,自分なりの悩みを同列に抱えます.
その中で,主人公達は,他者への「好き」を通して,自分を見つめ,その主人公なりの成長を果たし,その短編は終わり,次の人の悩みへシリーズが引き継がれます.
或る短編では,単なる能天気なキャラが,また別の短編で主人公になります.
サブキャラとしては,能天気に見えていたキャラなのに,その主人公の主観目線から見ると,そのキャラは,その人なりの悩みを抱えた一個人で在ることが解ります.
そしてまた別の短編では,精神的な成長を果たした姿で登場し,同級生に困難の先輩として,アドバイスしていたり...と同一空間で多彩な人生の時間軸を過ごす人間が存在する,学生生活という空間を,彼女はそのような手法で描きました.
そこに描かれた世界を,和希くんは「エイリアン・クロスロード」と呼びます.
「理解し切れない他人」すなわち異星人...であるキャラ達が,
「すれ違う場所」すなわち交差点...が学校であるとの意味です.
そう,単なる「恋愛漫画」では有りません.
たくさんの所帯じみたキャラが登場し,恋愛のみにのめり込むキャンパスライフではなく,彼ら彼女らは,日常生活の中で,他人を「好き」になります.
主人公が変遷して行き,目まぐるしくVRするこの漫画は,自分ではない人間...「他者」は,自分とは違う意思と思考を持する人間で在る,と教えてくれる漫画です.
そして,本当に色々な人間が出てきます.高校生だけでは無く,小学生すらも一個人として登場し,感情と意思を吐露する主人公となります.
藍川さんがこの作品を描かれてから,20年ほどが経っていますが,私の中には,彼ら彼女らが,実際に「居た」ような気がします.
それは,きっと藍川さんが,「キャラクター・エンターテインメント・ショー」を描こうとしていた訳ではなく,人間同士の関係,「ヒューマン・リレーションシップ」を丁寧に,丁寧に,描いたからだと思います.
だからこそ,私は,この物語の,彼ら彼女らと人生の葛藤を共に過ごしたような...
消費されて行くキャラではなく,現実に居た友人の思い出と同じフォルダに,虚構の友人達との思い出として記録しているのだと思います.
今は,あまり恋愛に興じない,他人との接点を必要以上に持たない事が,リスクヘッジとして正しい事なのかもしれません.
他人を好きになる事より大事な事が有る...そんな風潮を感じます.
しかし,私は人を真剣に好きになる経験は,人生に於いて大切だと考えます.
他人を好きになると,その他人に好かれたいと思います.
その時...人間は,客観から見た自分...の事を初めて意識し,そして絶望します.
他人を真剣に好きになる...という事は,自分について,他者から見える自分について真剣に考える...事に他なりません.
あの日,彼女だけが描いた世界が有りました.
どのような性的指向であろうとも,どのような「好き」の形であっても,それは尊重されるものであるけれども,人生は性愛だけではないので,現実の生活も大事にして生きよう,と.
「晴天なり。」シリーズは20年以上も前の作品ですが,人間同士の関係の物語を,この作品以上に解り易く描いた作品を,私は知りません.
そして,その彼女のメッセージは今でも私の中にあります.
目の前に居る(モニターの向こうに居る)エイリアン(他人)は,誰しもが,思考し,悩む一個人であり,(嘲笑ではなく)尊重に値する存在であると,そう,僕に解らせてくれた作品です.
※画像は全て藍川さとる作「晴天なり。」シリーズより