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私は「モテたい」らしい【V活エッセイ】

 大人気ポッドキャストのゆる言語学ラジオさんがこんな回を公開していました

「モテ」と「おもしろ」、どっちを優先する?

このお二人がこのテーマを語るとどうなるの……!と興味津々で聴いてみました。

 結論から言うといつもながら、いつも以上に面白かったです。

 大枠では人にはどんなタイプがいて、どう分類できるんだろう?というテーマでした。その中でメインの話として本を引用しながら

「モテ」を目指すか「おもしろ」を目指すか

ということで人間がわかれているのではないかという提示がなされていました。ここで言う「モテ」「おもしろ」というのは、誰かと付き合いたいうんうんというより、

モテ…他者からの評価軸を内面化して周囲に評価されたい
おもしろ…自分の独自の基準で面白いことをやりたい

と、自分の行動を選ぶ基準において「自分」「他者」の評価軸どちらを重視するかということのようです。 

「モテたい」わけじゃないのに「モテなさそう」と批判コメントが来る
そこには興味ないのに「お前おもんない」と言われてピンと来ない

などのすれ違いが起きてしまうという話もされていて非常に興味深かったです。もちろんこれ以外の評価軸もありますしその話もされていますが、確かに人間性の根幹に関わるような話ですよね。前段の「体験」に関する話やyoutuberとtiktokerの話もすごく面白かったのでぜひ聴いてほしいです。

さて本題です。話を聴いているうち、

「あれ、この基準だと私は「モテ」側なのでは…?」

という思いが浮かび、話が進むたび確信となっていきました。

 最初にタイトルを聴いた段階では「私は「おもしろ」側だよね」と思っていたのです。とはいえもちろん、周りに評価されればそれだけでいい、面白くなくていいと思ってはいません。人として、Vtuberとして、面白くありたい、自分らしくありたいとは常に思っています。

 ただ、私がやりたい自分らしさ、面白さって、「相手や状況を見て、そこに合わせた言葉や表現をする」ことだと気づいたんです。そうやって他の人のよさも引き出せて、楽しくていいグルーヴができあがっている時すごく自分の心が満たされてます。「やりたいことできてる!」って感じるんですよね。
 このマインドって今回の定義だと完全に「モテ」側ですよね。評価軸が他人にありますから。

「あれ?私はモテたいのか?ちやほやされたいのか?周りに評価されたいのか?」

そんな思いに苛まれ、改めて考え直すと非常に当てはまるところがありました

 例えば、職場でお土産のお菓子を一人一つもらうことってあったりしますよね。その際は「自分のせいで誰かが欲しいものを取れなかった」とならないようにすることを割と徹底します。また、逆に僕が取りたいものを他の人に考えさせることがないよう、真ん中やや後ろの順番(10人いたら7人目ぐらい?)で取るようにすることが多いです。
 好き嫌いがほとんどないのもあり、自分の好みはその時残っている物の中から「これとこれとこれの中ならどれとっても困る人いないな」と確信できるものから選びます。もちろん周囲の方の好き嫌いはある程度把握するようにしています。

 このように私は周りを見てから動くタイプです。周りが望むことをするよう、それ以上にマイナスになることはしないよう幼い頃から当たり前のようにしています。「遠慮しぃ」と家族や親類にはよく言われていましたし、エゴグラムのACは満点じゃなかったことがありません。

 私はこれらの気質を「嫌われたくない」という感情からドライブしているものと定義していました。

でも、「嫌われたくない」ってモテとベクトル同じですものね…。


 また、私は人に何かを薦めるのが得意です。人生に影響が出るぐらい何かにハマらせたことも一度や二度ではないです。その際、自分の好きなものを熱量を持ってぶつけるというより、「あ、これはこの人にハマりそうだな」と思ったものを呈示します。私は知ってるけどそこまで好きではないものを薦めることもいくらでもあります。

こう考えると完全に評価軸が他者にありますよね。
どうやら私は「モテたい」ようです。

 ただ、最近まで私は自分を「おもしろ」側だと認識していた、あるいは「おもしろ」側でありたがっていました
その結果、かなり空回りをしたこともありました。

  • 大学入学の際に自己紹介で冗談言ってダダ滑りしたり

  • TPOに合わない奇抜な衣装を着たり

  • 別に彼女とかいらないです、なども言ったり

 今考えると、周りに評価されちやほやされたいがために「面白い」「オリジナルな」「自分らしい」自分を作ろうとしていました
 その上で、埋没しないため自分の身の丈に合わないスタイルを着込み空回る自分を「他人に認められたいんじゃなくて自分らしい面白いことをしたいから」と飾り立てていたのでしょう。
 当時、友人が私によく「『無難』は褒め言葉なんだよ」とアドバイスしていたのも、きっと私のそんな姿が痛々しく見えていたのでしょう。最近、このアドバイスが沁みるようになってきました。余談ですが私の若い頃はお笑い芸人ブームが花盛りで「面白いがモテる、チヤホヤされる」時代だったのも影響があったのかもしれません。

 でも、今回この話を聴いた時、私はこの「モテ」という分類をなんだかんだ素直に受け入れられました。きっとそれはVtuberになったことが大きいです。
「見られる側として他人に評価軸を置いて行動する」「それでちやほやしてもらうことを素直にアピールして喜ぶ」ことを、Vtuberという5文字がてらいなくオープンにやることを私に許すようになったのでしょう。

 また、Vtuberとしてのスタイルも変化したなと感じます。 
 去年あたりから、チャットやお便り、実況しているゲームに対して、今起きていることをしっかりと見てそれに素直に、それこそ「無難に」話したり反応するようになったなと述懐しています。
 
無理にオリジナルで凝ったことをしなくても、それで十分見ている人が楽しんでもらえるものを提供できる、オリジナリティや個性は「無難」の隙間から自然と漏れ出してくればいいやという意識でやっています。実際、好評を得られているなって思います。目立ちづらい分ちょっとコンテンツがクローズ気味になっていますが、それはまた別の課題でしょう。
 最近継続的にやっていて好評いただいている、みんなからお薦めを集めてわいわい話す雑談枠も、昔の私なら「こんなオリジナリティのない企画はだめ」とか思っていたでしょう

「褒めて!」とか「チャンネル登録お願いします!」とかもストレートにてらいなく言えるようになりました。

(なのでみなさんこの記事へのスキ!とフォローお願いします!)

やっぱり私はVになってよかったのでしょう。
改めてそう思えました。

 最後に、今回のゆる言語学ラジオでありがたかったのは「モテ」優先を批判対象としなかったことです。
 ゆる言語学ラジオのお二人は「おもしろ」優先であることを明言されています。また一般的に、特に最近は「評価軸を他者に置く」ってよくないこと、改めるべきとされがちに思うんですよね。でも、それも否定せず人のありようとして扱っていただけたのですごく安心して聴けました。私は正直「おもしろ」側へのコンプレックスを強烈に抱いていると思うので、批判されたら辛くなったかもしれません。
 
今はいい意味で力が抜けた気分です。 これから、「『おもしろ』を大切にする他者」をより理解し、そういう方々の価値観やスタイルも尊重しながらやっていきたいです。「おもしろ」と「モテ」がうまく手を組めれば最強でしょうから…。

というわけでチヤホヤされたいので改めてみなさんこの記事へのスキ!とフォローお願いします!

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今回の話に繋がるようなエッセイやポッドキャストを紹介します!この記事が面白かったらお読み・お聴きいただけると嬉しいです。

Vtuberになったことで起きたマインドの変化がリアルタイムで描かれているエッセイです。

途中で出ていた「自分が好きかどうかを超えて相手に合うものを薦める」という話の具体例がこの回で話されています。

記事内で紹介したおすすめを語り合う話です。色々な回がありますので興味あるところを見ていただければ嬉しいです!

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