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エストニアの歴史に触れてみる
テレホミクス!HYUURIです♪
今、久しぶりに授業後のCulture Programの講座を受けています!!
その名も「Welcome to Estonia」笑
こちらに来て3か月でエストニアについての知識を更に深めるために参加してみました!!
まず、エストニアってどこにあるの?の質問笑
意外とヨーロッパの人も場所を把握してない人が多いだとか笑
エストニアは石の歴史から始まる?
エストニアの沿岸地域の遠く離れた石灰岩の崖は、エストニアの歴史の流れと関係があるとは思わないかもしれませんが、間違いだそうです!
石灰岩、および北エストニアの石灰岩の崖(スウェーデンからロシアに伸びる1,200 kmのバルト海のクリントの一部)は、エストニアの歴史の重要な構成要素だそうで、
エストニアのアーティストたちは、エストニアの起源にも関する石を絵の中にも表現しています。
色んな国に統治されまくった過去
13世紀にデンマークとエストニアは闘って負けたそうです。
だから、デンマークの庭のようなものがエストニアにはあります。
16世紀に入り、ロシアが現在のエストニアに侵攻し、当時のエストニアがスウェーデンとポーランドに援助を求め、スウェーデンとポーランドがロシアを破ったことで、エストニアの北部はスウェーデン領、南部はポーランド領となりました。
なお、一部の領土はデンマーク領のままでした。
※現在の国名で述べていますが、当時の国名は現在の国名と異なります。
17世紀に入り、スウェーデンとポーランドの間に戦争が勃発し、スウェーデンがエストニア全土を統治することになりました。
なので、エストニアには旧市街にはドイツ式のような建物が多く残っていたり、ロシア式の宮殿のようなものや
ソビエトの面影を残す無機質な団地のような家が残っていたりします。
独自の文化が目覚め始める
18世紀に歴史が更に動き始めて、
tartu university で一番初めにエストニア言語や色んな授業が行われるようになり、
エストニア語の新聞が発行されるようになったそうです。
4年に一回開かれる歌の祭典も、このころから行われるようになったそうです。
1918年2月23日
この日に、新しいエストニア政府の独立を宣言しました。1917年にロシアで2月革命が起こり、これをきっかけにロシア帝国はなくなり、ソビエト連邦成立(1922年)に繋がっていきます。
この革命をきっかけにエストニアも自らの国を作ろうとしました。この年の4月、エストニアは一時的な政府を作って独立をすると発表しました。
エストニアでもオリンピックが行われた?!
ソ連時代のモスクワオリンピックのときに一部の競技が行われた街なんですよ!
うちの家から相当近いタリンでも屈指の宿泊施設、ホテル・オリンピアもこのときに建てられたものらしく驚きました!!
他にも、テレビ塔が出来た時の話や、
最近の経済状況やエストニアの問題や発展状況、
大統領や国の機関のことなど色んなことも教えてくれました!!
せっかく住んでいる国の事なので、また博物館や昔の話を聞いたりして
知識を深めていけたらいいなと思います☻
アイタ!ほんじゃあ!
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