どんなシリーズ物にも「旬」「ピーク」「全盛期」は確実に存在するが、スーパー戦隊シリーズには意外とファンの派閥争いが存在しない
久々にYouTubeのオススメにはじめしゃちょーら初期男性YouTuberの「恋ダンス」動画が出てきたので再生してみたのだが、やっぱりこの頃の動画がなんだかんだ一番面白かった。
そう思ってコメントを読み進めてみると、やはりそう思っていたのは私だけではないらしく、「この頃が一番楽しかった」というコメントが多数書き込まれている。
今のYouTubeは全体的に明らかなお金稼ぎや数字目的といったビジネスカラーが強く出すぎていて、要するに既得権益化してつまらなくなった今のテレビ業界と半分似た状態だ。
そんなYouTube界隈では現在東海オンエアとあやなん問題といい、令和の虎の岩井社長VSベテランちといい、しょうもない足の引っ張り合いを起こしているらしい。
まるで今年放送の『王様戦隊キングオージャー』(2023)と重なるようにくだらない争いが起こっているのだが、側から見ると滑稽なことこの上なくて乾いた笑いが込み上げる。
喧嘩両成敗で「ごめんなさい」と頭を下げれば済む話なのに変なプライドを拗らせて事態を悪化させているのだから、本当に人間というのはいつの時代も同じ過ちを繰り返す生き物なのかと思えてならない。
特に令和の虎の岩井社長VSベテランちはほぼ岩井社長の恫喝に問題があったのは事実だが、それを拗れさせて煙の立たないところに無理矢理火を持ち込もうとするベテランちもベテランちである。
「聖杯戦争」だのと息巻いているが、学生運動にしろオウム真理教にしろ、社会的に力のない若者が権力側に楯突いて上手くいった試しなんて一回もないのだから、さっさと頭下げて次に向かえば良いのに。
しかも東大なんてその学生運動で安田講堂事件という社会問題に発展するほどの闘争が起こっている大学なのだから、その歴史を知っていれば間違っても権力側に楯突こうなんて考えは起こらないはずである。
こういうところに考えが及ばない辺りがやはり社会人とそうでない人との差なのか、それとも彼に「歴史から学ぶ」という発想がないかは不明だが、どちらにしろ不毛な結果にしかならないであろう。
それに「筋を通す」とか時代錯誤もいいところだ、東映の任侠映画や北野武の暴力映画じゃあるまいし、今時そんなカッコつけたワルの生き様なんて流行らないって。
これこそが正に「賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶ」であり、いくら日本一の大学生が力を得たところで体制側の権力を覆すなんてそんな革命みたいなドラマがそうそう起きるわけがない。
予め言っておくが、私はこの聖杯戦争とやらがどうなろうが知ったこっちゃない、勝手にどうぞという話である。
話が脱線したのでもとに戻して、私はかつて、というか今もおそらくネットの裏側では「特定の年代の作品ばかりが好きな懐古厨」というレッテルを貼られていることだろうし、実際そういう奴は何人か凸ってきた。
「鬼滅」や庵野関連で私にしつこくウザ絡みしてきたまぐやスーパー戦隊シリーズ関連の記事で「お前はただの懐古厨」「昔の戦隊が好きならそれだけ見てろ」「お前の記事はただの誹謗中傷」だのと言ってきた無名などがその典型だ。
まあネットには毎度この手の口さがない連中がまるでイナゴのように跳梁跋扈しているわけであるが、「懐古厨」とレッテルを貼って批判してくる人こそ単に人格攻撃・誹謗中傷をしたいだけなんじゃないのか?
そのくせ、私の批判を真っ向からねじ伏せるだけの理論・理屈を展開して私が批判した作品を擁護することすらできないのだから、単に私が気に入らないというだけのことだろう。
YouTubeもそうだし漫画・アニメ・特撮もそうだしどんなジャンルにも言えることだが、あらゆる物事やシリーズ物には確実に「旬」「ピーク」「全盛期」なるものは確実に存在する。
私が大好きなスーパー戦隊シリーズにしたってそれは確実に存在し、間違いなく作品としての質やシリーズが発展していく歴史を基に考えるなら間違いなくピークは『未来戦隊タイムレンジャー』(2000)までだ。
これは決して私が90年代のスーパー戦隊シリーズを原体験として育っているからだけではなく、間違いなくシリーズが成熟・安定していくまでの苦しい10年間の激動期を試行錯誤したことがフィルムの熱量として出ているからである。
それに、私のnoteやはてなブログを読めばわかることだが、たとえ旬を過ぎ去ったスーパー戦隊シリーズであっても高評価している作品はあるし、逆に昔のシリーズでも低く評価している作品だってあることくらいわかるはずだ。
以前にどこかで見たことがあって私も思わずハッとしたのだが、インターネットには「懐古厨」という言葉で古い作品を擁護し新しい作品を批判する人や風潮を皮肉ることはあるが、その逆はなぜか存在しない。
一応調べて見るとネットには「新規厨」なる言葉が懐古厨の対義語として存在しているようだが、ネットスラングとしてあまり定着していないところを見ると、そういう若年層は影響力を持ちにくいのだろうか?
そういえば、ふと私がスーパー戦隊シリーズ関連で気になっていたのは、スーパー戦隊シリーズの感想・批評を書いている人の中で今の戦隊を擁護して昔の戦隊を「古臭い」と批判する人を見たことがない。
以前にXのスペースなどで交流を持たせていただいていた私の元フォロワー・読者さんたちも私の考えを真に受けてしまっているからか、「タイムレンジャー」までを擁護し「ガオ」以後には批判的なスタンスの人が多いのである。
少なくとも、「2010年代のスーパー戦隊は凄いが昭和・平成の戦隊シリーズは話が幼稚でつまらない」という批判をするような人は見たことがない、「懐古厨」と人のことを罵る連中にはそういう人がいてもいいのに。
と思ったが、その「新規厨」に該当する例がいわゆる「クウガ」〜「555」あたりにかけて増殖した平成仮面ライダーファン・信者や「鬼滅」を絶賛してそれ以外のジャンプ漫画を叩く「鬼滅キッズ」が近いだろうか。
それこそ仮面ライダーシリーズなんて一時期は昭和ライダー派VS平成ライダー派で醜い論争が起こるくらいだったのだが、今はその論争も沈静化してあまり騒がれなくなった。
しかし、スーパー戦隊シリーズに関してはファン層の移り変わりはあったとしても、いわゆる時代ごとのファンによる派閥争いや論争のようなものが起きた試しはあまりない。
まあスーパー戦隊シリーズの場合は作品が一作たりとも切らさずに続いているというのもあるのだろうが、「懐古厨」と叩く人は居たとしても年代別のファン層のいざこざは聞いたことがない。
そのお陰で宇野常寛らをはじめとする平成ライダー擁護派の批評家連中に雑語りされてしまう隙は与えてしまっているが、あいつらの存在も今ではどうでも良くなってしまった。
スーパー戦隊シリーズのファンであることの良かった点といえば、ある種どんな風に語っても構わないとする自由闊達さにあるのではないだろうか。
改めて我ながら素敵な子供向けのシリーズ物に出会えたなと感謝する次第である。