スーパー戦隊シリーズとCO(中央集権型組織)・DAO(分散型自律組織)の関係性(実践編・00年代)
スーパー戦隊シリーズとCO(中央集権型組織)・DAO(分散型自律組織)の関係性、今回は00年代の戦隊シリーズ(『百獣戦隊ガオレンジャー』〜『天装戦隊ゴセイジャー』)を解説する。
判断基準は以下の4つ。
「組織の公私」……組織の規律(=公)と個人の自由(=私)の割合。数値が高いと中央集権型、低いと自律分散型。
「トップの権限」……組織のトップ=司令官もしくはチームのリーダーが全体に及ぼす影響。数値が高いと中央集権型、低いと自律分散型。
「組織の完成度」……物語の始まりの段階で判断可能なチームとしての準備量。数値が高いとプロフェッショナル、低いとアマチュア。
「メンバーの関係性」=正規戦士と非正規戦士の割合とチームカラーへの影響。数値が高いとプロフェッショナル、低いとアマチュア。
各1〜10点ずつで算出し、「組織の公私」+「トップの権限」=横軸(X軸)の数、「組織の完成度」+「メンバーの関係性」=縦軸(Y軸)の数とする。
数字の結果次第でプロDAO(左上)、アマDAO(左下)、プロCO(右上)、アマCO(右下)かが決まるが、例外的に軸の中間を取るという場合もあるだろう。
その時はプロハイブリッド(縦軸上+横軸真ん中)、アマハイブリッド(縦軸下+横軸真ん中)、混成DAO(縦軸真ん中+横軸左)、混成CO(縦軸真ん中+横軸右)という分類だ。
スーパー戦隊シリーズでは正規戦士と非正規戦士が混じる混成部隊も多いが、余程のことがない限りここに分類されることはほとんどないと見て良い。
改めて誤解しないように再三強調しておくが、縦軸と横軸の合計私はあくまでも「分類」に使うのであって「作品の評価」として使うものでは決してない。
いわゆる「公的動機」「私的動機」「自主性」「主体性」「絆」「使命感」「正義感」といった心の問題に関しては一律に客観的な数値の大小として扱うことにする。
中身が見えないあやふやなことよりも設定と描写という具体的な物をベースに計算した方がより正確にチームカラーを算出できるからだ。
それでは以下分布図全体の集計結果と全体の傾向、そして各戦隊への具体的な解説である。
<分布図の集計結果と傾向>
(集計結果)
プロDAO(左上)……1チーム(『轟轟戦隊ボウケンジャー』)
アマDAO(左下)……2チーム(『爆竜戦隊アバレンジャー』『獣拳戦隊ゲキレンジャー』)
プロCO(右上)……3チーム(『忍風戦隊ハリケンジャー』『特捜戦隊デカレンジャー』『侍戦隊シンケンジャー』)
アマCO(右下)……4チーム(『百獣戦隊ガオレンジャー』『魔法戦隊マジレンジャー』『炎神戦隊ゴーオンジャー』『天装戦隊ゴセイジャー』)
(傾向)
「タイムレンジャー」でなされた様々な組織構成とヒーロー像の変化を踏まえたにも関わらず、10チーム中7チームがCOという傾向が見られるが、これには2つの理由が考えられる。
まず1つが「ガオレンジャー」の大ヒットに気を良くした製作陣とスポンサーが戦隊シリーズそのものを玩具販促の為の商売道具として数字を稼ぐという方針に切り替えたためだ。
もう1つは『仮面ライダークウガ』以降連綿と続く平成ライダーシリーズとの差別化を図るためであり、スーパー戦隊はこの時期平成ライダーと路線が被らないようにしていたのではないだろうか。
また、4チームがアマチュア型である理由も役者の精神性やルックスが段々と幼く見えて来て、プロフェッショナルに見える役者が減少傾向にあったことも少なからず影響している。
そしてDAOの方であるが、「アバレンジャー」「ボウケンジャー」「ゲキレンジャー」の3チームしかなく、またその中でファンからの評判が高いのは「ボウケンジャー」のみだ。
これは冒険ヒーローをどのようにして戦隊シリーズに落とし込むかという難題を會川昇がメタフィクションを用いて行ったためであり、相当に練られたDAOである。
一方でアマチュア型の「アバレンジャー」「ゲキレンジャー」だが、こちらも設定としては素人の寄せ集めとして描かれているが、その設定が物語に活かされていたとは言い難い。
また、「ゲキレンジャー」は作劇上の問題が色々とあった為か、2010年代に入るまでアマDAOの戦隊は登場しておらず、かなりの痛手になっていることは想像に難くない。
00年代戦隊がCO型が多い理由を当時の社会情勢に当てはめて考えてみると、00年代初頭は激動の90年代を経た反動か再び静かで穏やかな緩慢とした空気が流れていた。
ポスト冷戦後の様々な変化を経た後に何も起こらず退屈ながらも平和な日々が続いていくというマンネリ化が起こるようになり、特に大きな変化は見受けられないようである。
思えばこの時期の戦隊シリーズは「デカレンジャー」「ボウケンジャー」がそうであるように、ヒーローの戦いがもはや「非日常の戦い」ではなく「日常のお仕事」として描かれるようになった。
いわば「今まで社会は何があっても保証があって守られているのだから大丈夫だろう」という根拠のない思い込みがそういう作品を生み出す土壌に繋がっていたように思われる。
しかし、それも2008年後期に起こったリーマン・ショックによって急激に変わり、その安全神話のようなものがどんどん崩れ始めていることが現実に示された。
それを象徴するかのようにCOの暗黒面を再び凝集することでシリーズに再考を迫った「シンケンジャー」や見習い派遣社員が正社員に登用されるまでを描いた「ゴセイジャー」のような作品が出ている。
00年代戦隊はいわばCOがもはやその威光を失ってしまい、組織が責任を取ってくれない世界でどうやって生きていけばいいのか?という根源的な問いから目を背けていた10年だったと思われる。
<各戦隊の具体的な解説>
『百獣戦隊ガオレンジャー』
合計値=22(アマCO)
横軸:「組織の公私」10+「トップの権限」10=20(CO)
縦軸:「組織の完成度」1+「メンバーの関係性」1=2(アマチュア)
2話の「戦士になるつもりなら今までの名前を捨てろ。俺はガオイエロー、お前はガオレッド」というセリフが象徴的だが、本作では冒頭の段階で個人の名前を強制的に捨てさせて色で呼び合う。
合理的な理由があってのことではなく入隊後の葛藤が生じにくいように退路を断っているわけであり、要は信仰宗教の勧誘・入会の手口とさほど変わらないわけであり、5人は単なる末端の兵士だ。
3話でレッドはいきなりリーダーぶって空回りしてしまうのも組織の実権を握っているのがパワーアニマルたちであり、パワーアニマルに認められなければそもそもガオレンジャーに変身できないのである。
そしてそのパワーアニマルが「神の化身」として定義された以上、31話でガオレンジャー6人のうち4人を見殺しにしても平気だし、最終回も叫べば自動的に奇跡が起こって勝利してしまう。
ある意味「ジュウレンジャー」以上に「神の思し召し」が物語を支配する構造となってしまったわけだが、このメガヒットが00年代戦隊のチームカラーを規定したようにも思える。
『忍風戦隊ハリケンジャー』
合計値=27(プロCO)
横軸:「組織の公私」10+「トップの権限」4=14(CO)
縦軸:「組織の完成度」5+「メンバーの関係性」8=13(プロフェッショナル)
伝説の戦士の後継者として偶然に生き残っていたから彼らが選ばれた、というのは「ライブマン」を彷彿させるが、基本的にはチームワークありきで動くCOタイプである。
また落ちこぼれとはいえ忍者アカデミーの中で厳しい訓練はこなしていて実戦投入自体は難しくなかったのだから、詰めの甘さはあれどプロフェッショナルと見て差し支えないだろう。
前半だけ見るとアマDAOっぽく見えなくもないが、これが電光石火ゴウライジャーやシュリケンジャーの登場によって戦いが激化していくと能天気ではいられなくなってくる。
そんな彼らが真の忍者になろうと思った決定打は御前様を守るために命を賭けたシュリケンジャーの自己犠牲であり、これがハリケンジャーたちを最後の戦いで飛躍させるきっかけとなった。
なるべく奇跡に頼らないようにしつつ、未熟者だった彼らが真のプロ忍者になっていくまでをCOの中で描いたことも含めて、実はありそうになかったタイプのプロCOである。
『爆竜戦隊アバレンジャー』
合計値=15(アマDAO)
横軸:「組織の公私」3+「トップの権限」4=7(DAO)
縦軸:「組織の完成度」1+「メンバーの関係性」7=8(アマチュア)
偶然に選ばれたアマチュアの集団に1人だけプロの正規戦士がいるというアマDAOの組織構造は「ジェットマン」「タイムレンジャー」と同じだが、その割には軽く戦っているように見える。
1つはコメディリリーフにして戦隊の命名者であるアバレピンクことエミぽんの存在、そしてもう1つが底抜けに明るくポジティブな伯亜凌駕の醸し出す善良さが影響を与えているのだろう。
しかし、2クール目に入るとアバレキラーという敵対者が身内から出てきて、さらに3クール目に入るとポジティブな凌駕がアバレマックスに変身可能になったことで物語が大きく変化する。
5人全員が揃って戦うのが物語終盤というのもこの時期になると別段珍しいことではないが、それだって正規戦士のアスカ以外は全員自分の判断に従った結果に過ぎない。
だから最終回で恐竜やに一同が集まったのも決して義務だと考えてのことではなく、あの場所が居心地がいいところで好きだから集まったというだけのことだが、アマDAOならではの魅力を描いたわけではないようだ。
『特捜戦隊デカレンジャー』
合計値=35(プロCO)
横軸:「組織の公私」10+「トップの権限」7=17(CO)
縦軸:「組織の完成度」10+「メンバーの関係性」8=18(プロフェッショナル)
警察モチーフとしては「タイムレンジャー」以来だが、いわゆる「職業戦士」のプロCO自体が1995年の『超力戦隊オーレンジャー』以来であり、この時代になるとむしろ異色の存在にすら思えてくる。
しかし、本作が先達の作品群と違うのは「命懸けの戦争」ではなく「宇宙人の犯罪防止」という「日常のルーティン」であり、いわば「サザエさん」「ドラえもん」のような構造となっているのだ。
問題児であるデカレッド・バンが入ってきてもメンバーたちは全く歓迎する様子はないのだが、これはバンのやらかしたミスだけではなく単なる人事異動としてしか描かれていないからだろう。
それよりも問題なのはジャッジメントと呼ばれるシステムであり、警察の身でありながら犯罪者を◯×方式で抹殺しても良いという戦慄のシステムができており、しかもメンバーたちがそれに一切の疑問を抱かない。
37話でホージーは初めてジャッジメントのデメリットや問題点と向き合うことになるがどこか唐突な印象は否めず、またそれが最終回まで物語の深刻なテーマになることもまるでなかった。
『魔法戦隊マジレンジャー』
合計値=20(アマCO)
横軸:「組織の公私」5+「トップの権限」9=14(CO)
縦軸:「組織の完成度」1+「メンバーの関係性」5=6(アマチュア)
「ファイブマン」「ゴーゴーファイブ」以来となる家族戦隊だが、アマCOに分類されるのは本作が初めてであり、しかもその指導者であるはずのマジマザーは冒頭の段階で行方不明となってしまう。
家族の絆と勇気という魔法をモットーに戦う彼らだが、基本的には「兄妹の絆」をベースに戦っており、前半だけを見るとアマDAOっぽいがチームワークを基本として戦っている。
彼らに唯一欠けていたのは指導者であり、それこそがまさに2クール目にマジシャインことヒカル先生とルナであり、彼らが現れてからのマジレンジャーはチームとして大きく変貌していく。
特にその大きなきっかけとなったのが翼とヒカル先生の交流を描いた23話と24話、ここで初めて2人の交流を通してマジレンジャーが1つのチームとなるきっかけが出来上がった。
本作は「ファイブマン」「ゴーゴーファイブ」以上に「家族の絆を再生させる物語」として初めてアマCOがプラスに描かれ、だからこそ最終回での魔法家族が集大成として映えたのである。
『轟轟戦隊ボウケンジャー』
合計値=21(プロDAO)
横軸:「組織の公私」2+「トップの権限」2=4(DAO)
縦軸:「組織の完成度」9+「メンバーの関係性」8=17(プロフェッショナル)
00年代としては唯一のプロDAOであるが、それが「フラッシュマン」「ギンガマン」のような「異世界に存在する伝説の戦士」ではなく「民間企業に所属する現代の若者」として描かれたのは本作が初めてだ。
「デカレンジャー」に続いて「お仕事戦隊の日常」を年間を通して描いたものとなっているが、本作はあくまで冒険者としての経験と実績によりスカウトされた若者たちという個人事業主の集まりである。
10話・11話がそうであるようにサージェスの命令に従う必要は必ずしもなく、最終的にプレシャス回収さえしてくれればその過程や方法は問われないために自分の責任は自分で取るしかない。
そして面白いのが一匹狼を自称する真墨の方が実は仲間思いで協調性があり、逆に頼れる上司に思えるチーフの方が規律違反や独断専行が目立つというところであり、これが本作のチームカラーを大きく規定している。
終盤でバラバラになった仲間たちが再び集まったのも各自の心の中の「プレシャス」が重なり合った偶然の結果であって、だからチーフとさくらが最終回で宇宙に行っても誰も感傷的にならないのだ。
『獣拳戦隊ゲキレンジャー』
合計値=9(アマDAO)
横軸:「組織の公私」2+「トップの権限」3=5(DAO)
縦軸:「組織の完成度」2+「メンバーの関係性」2=4(アマチュア)
本作も個人事業主の集まりという形のDAOなのだが、本作で集まるのは「武道家予備軍」という名のアマチュアであって、そこは「マスクマン」「ダイレンジャー」と大差はない。
大きな違いは各メンバーに師匠がついていて練習メニューや最先端の科学マシンを使ったトレーニングをしていることだが、その割にはあまり強くないという印象を持たれることも多いようだ。
理由は簡単で厳しくストイックに稽古に励むのではなく恵まれた環境の中でぬくぬくと育っているにも関わらず、敗北→修行→勝利をルーティンのように繰り返しているためである。
また、追加戦士のバイオレットとチョッパーも大口は叩くものの理央とメレの圧倒的な実力の差の前には歯が立たず、最終決戦では完全に蚊帳の外で棒立ちで眺めるほかはなかった。
メイン3人を目立たせるためとはいえ残りの戦士たちに活躍の場を与えないというのは前代未聞の展開であり、本作をもってアマDAOの戦隊はしばらく顔を見せなくなる。
『炎神戦隊ゴーオンジャー』
合計値=28(アマCO)
横軸:「組織の公私」10+「トップの権限」10=20(CO)
縦軸:「組織の完成度」4+「メンバーの関係性」4=8(アマチュア)
本作は表向き「炎神とヒューマンの友情」をテーマとしているが、その実態は「ガオレンジャー」と同じ「神々の戦いに参加を許してもらっている人間たち」でしかない。
5話が典型的だが、1度ゴーオンジャーに選ばれた以上プライベートでもバイトは許されず兼業不可能であり、走輔と蓮の説得で範人は個人の意思を完全に封殺されてしまった。
とはいえ突然選ばれた素人の上に食生活もジリ貧な彼らでは1年間の戦いを潜り抜けるのは厳しく、追加戦士として現れたウイングスに経済面と戦力面で相当なバックアップを受けている。
しかし、そのウイングスに関しても決して本当の意味でのプロフェッショナルではなく、根っこの部分ではずっと憧れのヒーローでいたいというピーターパン症候群を拗らせた正義バカだ。
だからこそ、ヒューマンワールドでの戦いが終わっても炎神たちから頼まれれば彼らは世界など関係なくゴーオンジャーとして戦い続けるのは当たり前であり、両者の立場の違いが問題になることもなかった。
『侍戦隊シンケンジャー』
合計値=34(プロCO)
横軸:「組織の公私」10+「トップの権限」10=20(CO)
縦軸:「組織の完成度」6+「メンバーの関係性」8=14(プロフェッショナル)
シンケンジャーとしての戦いはそれぞれの家系に課された宿命であり外道衆との戦いが始まったからには個人のプライベートを封殺されるのは前作と一緒だが、大きな違いは各メンバーの準備度の差にあった。
既に最前線で戦っていた丈瑠、幼少期から訓練を積んでいて侍一筋の流ノ介とことは、訓練はそこそこしているものの丈瑠に反抗的・懐疑的な茉子と千明という風に大きな温度差がある。
しかし、たとえ腹に一物あったとしても一度殿と家臣としての主従関係を結んだからにはそこから逃れることはできず、だからこそ十二幕でシンケンジャーというプロCOは完成したはずだった。
2クール目からは丈瑠の幼馴染の寿司屋も加わって幾分賑やかになったものの、あくまでも当主であるタケルを殿として立てて戦うのが身上だが、その殿がもしかすると偽者だったらどうするのか?
要するに「ダイナマン」の夢野博士や「ダイレンジャー」の導師がやっていた終盤のどんでん返しを久々にやっただけなのだが、それをプロCOで描いたのは本作が最初で最後だろう。
『天装戦隊ゴセイジャー』
合計値=26(アマCO)
横軸:「組織の公私」10+「トップの権限」8=18(CO)
縦軸:「組織の完成度」4+「メンバーの関係性」4=8(アマチュア)
3年連続でCOタイプのチームカラーが来ているというのもまた面白いが、終盤で明らかにされたように護星天使は立派な「職業」であり、彼らは見習い天使という一種の派遣社員として地球に降り立った。
地球人である天知一家のところに居候になる際にアラタが強引な圧で押し通したり、ハイドが記憶を抹消しようとしたりするのは不思議なことではない、天使とは元々残酷な生き物である。
しかし、そんな彼らが本当に地球を守るに相応しい存在か、またなぜ地球を守るのかというカウンターとして出てくるのがゴセイナイトであるが、その対立が深刻な葛藤にならないのは天使の価値観でしか動いてないからだ。
だからロボゴーグが説得可能な存在だと知っておきながら自分たちの意に反する存在であることを知った時、彼らは別の方法を考えるのではなく機械的に「悪き魂に天罰を下す」ことしかできない。
そんなことを重ねながら最後には見習いから正社員へと昇格したわけだが、それが果たして物語の結末として相応しいのかどうかを確かめる手段はないし、考えても仕方ないことである。
次回は10年代戦隊(『海賊戦隊ゴーカイジャー』〜『機界戦隊ゼンカイジャー』)の分布図と傾向、各チームのカラーについて具体的に解説していこう。