「徳のバトンを繋ぐ」-新しいシンカイが目指すもの
まだ僕が多摩美に通っていた頃のこと。
バイト帰りの夜道をトボトボと歩いていると、遠くから誰かの笑い声が聞こえてくる。その声の出どころを辿っていくと、気がつけば自宅の前に立っていた。家の外には玄関に収まりきらなかった靴が転がり落ち、中からは何やら賑やかな声がする。扉を開けると、そこにはいつも友達がいた。
遡ること一年前、物を買っては売ってを繰り返すその日暮らしの生活をしていた僕は、到底一人暮らしをするお金もなく、仕方なく友人と折半して平屋の一軒家を借りることにした。
初めは二人で始まった生活も、気づけばお互いの友達が集まり出し、最終的にはたった6畳のスペースを求めて、毎晩のように人が訪れる生活に移り変わっていった。
今でこそ至る所で「コミュニティー」という言葉を聞くようになったが、そこは決してそんな高尚なものではなく、寂しがり屋たちがただ友達に会いに来る「吹き溜まり」のような場所だったと思う。
酒を片手にタバコを燻らせながら、各々が各々の時間を過ごし、気づけば朝になっているという生活は、ヨソから見ればアホな大学生のありきたりな日常風景に過ぎなかったかもしれないが、気心の知れた友人と明かす毎日は、何よりも特別で、居心地が良かった。
くだらない話を肴に、徹夜で牌を打ち続けた日。
友人がinstagramにあげた写真を頼りに、突然海外から客が来た日。
恋人に振られた友人のために強い酒を飲んだ日。
実家から食料が送られた日にはみんなで鍋を突いた。
キッチンでぼーっとタバコを吸いながら、賑やかな居間を見るのが好きだった。
その場所では後輩や先輩問わず、たくさんの関係性が生まれ、決して一人では得ることの出来ない瞬間が確かにそこにあった。
同居人の卒業にともない、その家は二年で出ることになったが、その後もまた別の友人の家に身を寄せ、結局大学を卒業するまでの4年間をシェアハウスで過ごした。
この時の記憶はいまだに心に色濃く残っていて、卒業してからも時々「いつかまたあんな瞬間を作れたらな」と思っていた。
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こんにちは。Huuuuの日向です。
長々と思い出話に付き合っていただき、ありがとうございます。
先日のnoteでお伝えしたとおり、今月から株式会社Huuuuに入社し、そして長野の善光寺門前に構える「やってこ!シンカイ」のオーナーになりました。
この記事では、オーナー就任についてのあらましを少しでもお伝え出来ればなと思います。
「やってこ!シンカイ」とは?
オーナーになった経緯を語る前に、まず「やってこ!シンカイ」のことについてざっくりまとめてみました。
■「やってこ!シンカイ」とは?
・長野市善光寺の近くにあるお店。
・元は地元の大学生のシェアハウス兼コミュニティースペース。
・ジモコロ編集長の徳谷柿次郎が取材先で出会った全国のプレイヤーの服や本、雑貨などを取扱っている。
・「お店2.0」を掲げ、小売の概念にはまらないお店を目指し、写真展やイベントも定期的に開催している。
要約すると、長野の一風変わった雑貨屋兼コミュニティースペース。それが「やってこ!シンカイ」です。
なぜオーナーを引き継ぐことになったのか
ことの始まりは、僕がHuuuuに入社した2019年9月2日。
社員が増え、新体制となった会社の今後について話すため、Huuuuの本拠地である長野を訪れました。
話し合いも一段落し、週末に控えたイベントの打ち合わせも兼ねて、ふらっとシンカイに顔を出すと、そこには随分とお腹の大きくなった店長ナカノヒトミちゃんと、その旦那さんである優くんの姿がありました。
お店の立ち上げから運営、広報などお店に関するアレコレを切り盛りしてきたヒトミちゃんがめでたくご懐妊し、シンカイもHuuuuと同様、また新しいステージに向けて進もうとしている最中だったのです。
店の中で柿さんが週末のイベントや、店内のレイアウトについて二人と打ち合わせをしているのを横目に外でタバコを吸っていると、柿さんが表にやってきて、こう言いました。
「日向くん、シンカイのオーナーやらない?」
どこかで聞いたことのあるシュチュエーションですが、柿さんはいつもこうやって突然、他人にチャンスを放り込む人です。
思えば9年前、ふらっと長野に訪れた僕を、元シンカイボーイズの雄大くんが拾って、シンカイに連れてきてくれたところから、この物語は始まっています。
そこから時は経ち、僕は大学へ進学し、たくさんの仲間とかけがえのない時間を過ごし、苦い経験や苦しい瞬間も味わい、そして柿次郎さんに出会い、気づけばここに辿り着いていました。
柿さんに「シンカイのオーナーにならないか」と言われた時、頭の中でパッと思い浮かんだのは、自分の周りにいるアーティストや、取材先で出会ったクリエイターたちの作品が店に並び、人が集まっている風景です。
それはきっと友人たちと馬鹿笑いをしていたあの日から、ずっと心の内側で求めていた場所だったのかもしれません。
9年の時を経てこの場所に導かれ、自分の目の前にふっとこのビジョンが浮かんだ時、僕をシンカイのオーナーを引き継ぐことを決意しました。
これからのシンカイが目指すもの
具体的な体制の話をすると、まず今まで店長としてお店の実務的な運営を務めてきたヒトミちゃんは一旦産休に入り、そのポジションは旦那さんである優くんが引き継ぎます。
では、ぼくは一体なにをするのか。
まずは次のシンカイを見据えて、どんな店にするのか、どんな人に来てほしいのか、そのためにはどうすればよいのか、ということを考える。それと同時に、この場所に関わる人が抱く理想や想いを受け止め、形にしていくことだと思っています。
11月から、根岸さんというシンガーがシンカイの2階に住みます。
(根岸さんが所属する「TAOH」は最高のバンドです)
同時に建物の改修工事も始まります。店長とオーナーも変わります。新しいステージに向けて、より一層加速してきます。
その上で、今自分が考えるシンカイのビジョンは以下の2つです。
①訪れた人にとって「居心地のいい場所」にする
②長野で新しい風土を生む
①訪れた人にとって「居心地のいい場所」にする
築100年以上の歴史をもつシンカイは、至るところにこの建物が刻んできた年月を感じます。とても住みやすい場所とは言えないかも知れません。でも、なぜかそこにいると落ち着くんです。それは理屈ではなく、体がそう感じさせる気の良さがあるのでしょう。
その気の良さを、店の中にも現したいと思っています。それは具体的に言えば、陳列している商品にこだわりがあり、建物の隅々に美意識が行き届いていることかもしれません。はたまた店内に流れるBGMや店員の接客にも感じることでしょう。
決して一言で言い表せるものではありませんが、訪れた人が思わず長居してしまう、そんな居心地のいい空間にしたいと思っています。
②新しい風土を生む
お店という「土」を耕し、そこに文化の「風」が吹いた時、その場所に「風土」が生まれます。東京のアナグラやFuzukueやcitan、京都のVOUや100000t。一部にはなりますが、これらは僕が大好きなお店です。
そして、どのお店にも共通しているのが、決して流行りの「清潔感」や「特別感」という言葉に惑わされず、自分たちの価値観や空気感を信じて、その場所を作り続けていること。僕もそういった姿勢を見習ってお店を作りたいと思います。
良い場所を作り、そこに集まった人たちを媒介に、新しい風土を生む。
それが僕の目指すシンカイです。
「徳のバトンを繋ぐ」ということ
2本の道路が交わった先に佇むこの場所では、全国から人が集い、年齢や職業を問わずに交差して、たくさんの徳を溜めながら、様々な関係性が生まれてきました。
そして僕もその関係性を享受したうちの一人です。シンカイがなかったらHuuuuに入社することも、今自分が憧れる人たちと出会うこともなかったでしょう。
そんな場所を引き継ぐことは決して容易なことではありません。
利益を大きく立てることが目的ではないけれど、心地の良い場所と利益を両立すること。お金を生み、関わる人たちに還元することでリスペクトを示すこと。商売と経営、そのバランス感覚。
当たり前の話ですが、お店をやる以上、今後はその仕組みについて、シンカイも深く考える必要があります。その他にも、これから運営する中で、きっとたくさんの問題にぶち当たると思います。
でも、シンカイに色々なものを与えられてきた人間として、このタイミングでそのバトンが回ってきたのであれば、それを受け取り、走ってみようと思います。
走りきったその先にどんな瞬間が待っているのかは、まだ分かりません。でも、この経験が自分をより遠くに連れていってくれることだけは信じています。その日を心待ちにして、一生懸命精進していきます。
シンカイは「新開」それは新しい扉。
シンカイは「新界」それは新しい区切り。
シンカイは「新解」それは新しい問いと答え。
新しいシンカイを、これからも宜しくお願いいたします。
日向コイケ
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