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《ミニミニ小説》そこに愛はあったのかい?
僕の家にはとても古いラジオがある。
形なんて四角い箱のようで、一目見ただけではラジオだなんで誰も思わない。
これは僕が中学生のときに、じいちゃんから貰ったものだ。
カセットも使えるし、当時の僕はラジオを聞く度に録音していた。
じいちゃんは、ばあちゃんの実家店の丁稚さんだった。
今の若い人は知らないと思うけれど、
昔は長男以外は口減らしの為に奉公に出された。
じいちゃんも東北の村からやってきたその1人だった。
上野駅までの電車代なんて1人分しか渡されないから、
村にある小さな小さな駅で母親と別れてからは、
長い時間をかけて東京までやってきた。
ばあちゃんの実家はかなりデカイ老舗の乾物屋だった。
広い敷地で何十人も奉公人を使いながら、手広く仕事をやっていた。
僕は知らなかったんだが、ばあちゃんは戦前に宝塚にいたらしい。
今でも宝塚に入ること自体が、いわゆるセレブのお嬢様で美貌を兼ね備えている人に限られている。
いわば、じいちゃんとばあちゃんとの間には
「口を掛けるのも憚らなければならない」ほどの身分の違いがあった。
今で言うところの格差婚だ。
じいちゃんはその時代の人にしては大柄だったから、かなりこきつかわれていたらしい。
仕事中に片目を怪我して失明したから戦争に行けなかったと話していた。
確かにじいちゃんの左目は黒目が白くなっていた。
片眼で仕事してるのか、じいちゃんは。
なんだか僕は悲しくなった。
それから僕は、ばあちゃんが大嫌いだった。
何度かじいちゃんとばあちゃんちに行ったことがあるけど、
2階は、ばあちゃんのものばかりで溢れていた。
鏡の前に並べられている似たような化粧品、口紅、そして、
自分の店に出るときですら、ばあちゃんは着物だったから、タンスの中はばあちゃんの着物ばかり入っていた。
じいちゃんの服は階段を利用した引き出しに入っているものの他は、タバコ入れくらいだったと思う。
ばあちゃんはいつも爪を磨いていた。
マニキュアを塗るのではなく、左右の手の指の爪を摩擦させることによって光るようになるらしい。
僕はそんなことには興味がなかったから、ばあちゃんの実家から暖簾分けして貰った店で遊んでいることがほとんどだった。
そろばんの玉が6つついているのを良いことに、「ローラースケート」と言って遊んでいたら、
じいちゃんからゲンコツを喰らった。
でもじいちゃんを嫌いになった訳じゃない。
じいちゃんは「お金を計算する大切なものを足蹴にしてはいけない」ということを優しく教えてくれた。
そして、「ユウジ、一緒に買い物に行こう」と言った。
ばあちゃんはご飯を作らない。
というか、正確には「ご飯しか炊けない」みたいだった。
ヅカではそういうことを教わらないらしい。
その代わり、じいちゃんが毎日惣菜を買いに行くのだ。
今の人はそういうことは当たり前かもしれないけど、
じいちゃんとばあちゃんの年代の人では都内でも珍しかった。
じいちゃんは片眼で仕事をして、買い物にも行って、洗濯もしていたんだ。
さすがに飯までは作れないから、僕の父親の好物は「メンチカツ」なんだとわかった。
じいちゃんは器用になんでもできた。
味噌汁を作ったり、自転車を直したり、頼まれるとバイクの修理もしてたらしい。
なんで優しいじいちゃんが、あんな化粧婆のばあちゃんと結婚したのかわからなかったんだけど、
ばあちゃんがいた宝塚が、戦争で一時解散になって、年頃だったばあちゃんが東京に帰ってきた頃、
若い男の人は戦争に行っていていなかったらしい。
だから年齢が合うという理由だけで、
ばあちゃんと結婚することになったと、後に父親から聞いたことがあった。
僕がばあちゃんを嫌いだった理由はもう1つある。
僕の母親を苛めていたからだ。
僕たち家族が遊びに行くと、テーブルにお寿司が乗っていた。
だけど良く数えると母親の分がなかった。
父はそのとき、母を庇わなかった。
僕はやりきれなくなって、
「母の分がないなら、僕もいらないから」と、テーブルを立とうとした。
母は僕を遮って
「すみません、子ども達の残した分だけで充分ですから」と言っていた。
なんか言えよ!オヤジ!
なんなんだよ、この家族は。
僕は母親を振り切って外に出た。
ばあちゃんのもので溢れ返っているじいちゃんち。
じいちゃんにもばあちゃんにも何も言えない父親。
悪くないのに謝ってばかりいる母親。
そして、なんでもばあちゃんの言いなりのじいちゃん・・・
なんで?
なんでみんな愛がないんだ?
僕は線路沿いを歩き続けた。
もう二度とじいちゃんやばあちゃんに会いたくない、会わないと決めた。
僕が最後にじいちゃんに会ったのは、
父親が、近所にじいちゃんとばあちゃんの家を建ててから、しばらくした頃だった。
ばあちゃんもじいちゃんも具合が悪くて、母親が
「ユウジ、ちょっとお粥を持って行ってあげて」と頼まれたときだ。
ちょうど塾に行く時間だったから、
僕は仕方なくじいちゃんちのチャイムを押した。
ずっと会っていなかったじいちゃんは、
なんだか病人のように痩せこけていた。
「ユウジか、ありがとう」
じいちゃんはお粥と漬物のお盆を受け取りながら言った。こんなときですら、ばあちゃんはじいちゃんをこき使うんだな、と思った。
「ユウジも大きくなったなあ。
そうだ、ユウジもこういうの好きかな?」
そういってへんな形のラジオを持ってきた。
「僕、塾に行くから」と言っても、
「袋にいれたらわからないよ」と言って、無理矢理持たせてくれた。
塾から帰ってきてからじいちゃんのラジオを見てみると、カセットもついている。
これって、ラジオの内容を録音できるやつじゃね?と思った。
じいちゃんのラジオはそれから大活躍した。
好きだったRCサクセションが流されると僕は録音スイッチを押して何度も何度も聞いていた。
じいちゃんは心臓発作だった。
救急車で運ばれたけど、父親が電話の向こうで
「おじいちゃん、死んじゃったよ」とポツリと言った。
それからしばらくして、ばあちゃんも死んだ。
じいちゃんが死んだあと、父親が建てたじいちゃんんちに初めて入った。
やっぱり、ばあちゃんのものばっかりで、
じいちゃんのものなんか、なんにもなかった。
なあ、じいちゃんよ、
そこに愛はあったのか?
実の親からは奉公に出されて、
その奉公先で行き遅れのばあちゃんと結婚して、
確かにその頃のばあちゃんはキレイだったと思うけど、
性格は最悪だったじゃん。
ばあちゃんと結婚してからも、一度だって自分の実家にすら帰れなかったじゃないか。
なんでだ?じいちゃん。
奉公なんて終わったんだから、自由に実家の母ちゃんや父ちゃんや兄妹とも会えたんだぜ?
悔しくなかったのか?
悲しくなかったのか?
働いて、働いて、ご飯も作れないばあちゃんと結婚させられて、
年金でやっと買ったラジオだったんじゃないのか?
じいちゃんの楽しみは、唯一ラジオだけだったのに、
それを僕にくれたの?
RCサクセションの「トランジスタ・ラジオ」がラジオから鳴っている。
「愛し合ってるかーい!」のところが、僕は好きだ。
じいちゃんのことを考えるとき、僕は涙が流れてくる。
親には見られたくないんで、自分の部屋でだけだったけど。
そういや、僕はじいちゃんの葬式でも泣かなかったもんな。
ごめんな、じいちゃん……
僕は愛のない結婚は絶対にしない。
ずっとお互いを思いやれる家庭を作れる人と結婚する。
そうしろと、じいちゃんが背中を押してくれてる気がする。
「愛しあってるかーい!」
今日もじいちゃんのラジオから、キヨシローの声が聞こえてくる。
終わり
画像は「ぱくたそ」さんからお借りしております。
ありがとうございました。