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俺の札幌、俺の荒野拓馬。
僕は北海道コンサドーレ札幌の存在が生活の一部になりサッカーのある毎日が当たり前になってから今年で12年になる。
覚えている人も多いとは思うが12年前の2012年シーズンは昇格1年目のシーズンで結果は歴史に残るJ1史上最速降格をする事になる。
ただその2012年、全く勝てないシーズンに僕は札幌に出会いそれからの人生の多くを札幌に捧げる事になる。
当時の僕はサッカーの知識はもちろん皆無な上に当時札幌に所属している選手すら誰ひとり知らない状況で母親がどこかから持ってきた招待券を機に祖母と2人でスタジアムに向かったのが全ての始まりだった。
初めてのスタジアムの景色や匂いは正直全く覚えていないしサッカーに対しても興味がなかった僕はその試合の内容や結果は後から調べてそうだったのかという程度だった。
ただその翌週から今日まで週末はスタジアムに通う事になり今に至るのである。
その1番のきっかけはサポーターの存在だった。
初めて聞いたあの歌声と雰囲気が試合内容以上の衝撃を当時の僕に与えたのだ。
その翌週?いや確かミッドウィークのカップ戦だった気もするがなにも分からないまま1人でチケットだけを持ち恐る恐るサポーターが陣取るゴール裏に向かった事は今でも鮮明に覚えている。
最初は中心部に集まる俗に言うコアサポーター達に対して憧れと同時にサポーター特有の怖さ、迫力を感じゴール裏という場所を少しずつ学ぶために中心部から少し左に逸れた場所で初めてのサッカー1人観戦、そして初めてのゴール裏を体感した。
余談ではあるが以降、ライブハウスや映画館など何かを鑑賞する際は左に逸れた場所で見る癖がある。
そこから毎試合ホームゲームの際は札幌ドームと厚別競技場に足を運び自分の中でコンサドーレの存在が確立されていった。
右も左も分からない僕はすぐにゴール裏に馴染めるわけもなくいつも1人で家からスクイーズボトルを持ちスタジアムに向かい試合の雰囲気を楽しんで帰る、そんな楽しみ方を12年シーズンの夏頃まではしていた。
そんな中ある日、いつも1人で来ている僕に急に話しかけてくれて色々と親切にして下さる有田さんという方に出会い、そこからは毎試合その方の隣に座らせてもらいサッカーの知識、クラブの歴史などネットでは知り得ない札幌の魅力についてを知る良いきっかけとなった。
12年シーズンはそのまま連絡先の知らない有田さんと現地集合、現地解散で最終節まで一緒に観戦をさせて頂き自分の中でのサッカー感や札幌というクラブの今とこれからについてを身を持って知り、気がつけば自分の中でコンサドーレが当たり前の存在と同時に特別な存在になっていた。
初めての事だらけの2012年シーズン、クラブは負け続け秋口には来季の降格が決まり昔からのサポーターは落胆していたと思うし今考えるとよくぞあの戦力でJ1に挑戦したなと思うが当時の僕はサッカーの内容や結果などは二の次でなんでもとにかく応援しているという事に喜びを感じていたので僕の人生では実は悔しい降格はまだ味わっていない。気がつけば降格していて気がつけばJ2だったという感じである。
その中でJ2で開幕する2013年シーズン。1年間有田さんに色々と教わりながらサッカー、そしてコンサドーレに対する熱量を蓄えた僕は1人で怯えながらも自分の熱量をよりクラブにぶつけるべく怖くて危ない人が多そうと敬遠されがちなゴール裏の中心部に足を踏み入れる事となる。
考えてそうした訳ではなく、体が勝手に動いていた。
13年のホーム開幕戦、昨年お世話になった有田さんに今年からは中心で応援しますと伝えた際の寂しさと喜びの狭間のような表情はとても印象的で今でも覚えている。
12年の当時からこれからの札幌のゴール裏は君たち世代の若い子たちが作らないといけないと何度も言われていたのである。13年からはJ2での戦いではあったが中心部にいるコアサポーターの情熱や熱量はなに一つ変わる事はなくまた新しいコンサドーレの姿や在り方を僕に教えてくれた。
今でも名前や連絡先も知らないがスタジアムに行けば話しかけてくるおじちゃんがたくさん居るのはこの時期のゴール裏に1人で通い続けた自分の功績だと思っている。
ここまでが僕がどのように札幌に出会い、どのようにゴール裏で応援を続ける事になったかのお話である。
ただの中学生が好きに身を任せ行動に移した結果、色々な人々に出会い、今があるのである。
当時の僕の行動力に今の僕から拍手を送りたい。
ここまで非常に長くなっているが今回僕が1番語りたい議題はキャプテン、荒野拓馬についてである。
前述の12年シーズン、僕が初めて札幌の試合を見たその年に札幌ユースからトップに昇格しここまで僕自身のサッカーライフにおいて最も時間を共にしているのが荒野拓馬である。
12年当初から今も札幌に残る選手は荒野拓馬と前キャプテンの宮澤裕樹ただ2人だ。もちろん宮澤もクラブのバンディエラとして偉大な存在ではあるし宮澤の話だけでも今回と同じくらい語る事はできる。
ただ、サッカー観戦1年目の僕とプロ1年目の荒野拓馬とのこれまでには勝手に物語りが作り上げられているのだ。
長く続いたJ2の時間、悲願の昇格、さらにはJ1定着そして現在まで僕が知る札幌のピッチには常に荒野拓馬が居た。
荒野拓馬という選手の魅力はサッカー選手という枠組みを超えて1人の人間、1人の男として常に自分の中にあり続けていた。
荒野拓馬と聞いてどのようなイメージを持つだろうか。
安易なカードが多い事やプレーが荒い事など、どこかマイナスに捉われがちな一面があるように思える。
ただ荒野拓馬という男の選手生命を1から追っている僕は荒野拓馬という男の魅力はそんな所にこそ詰まっていると感じている。
2024年シーズン。長くキャプテンを務めた宮澤裕樹からキャプテンマークを引き継いだ荒野拓馬。
キャプテン就任の報道が出た際は期待の声と同時に不安や心配の声も聞こえた。
確かに得点を量産する選手でもなければ守備に振ったボランチでもないため一見地味な印象があるのと同時に普段からやはりカードが多い事や退場処分を受ける事も多くどこか自分をコントロールするのが下手くそな印象を覚える面については僕自身も理解はできる。
ただ熱く激しく札幌のためにという気持ちの部分においてこれまでの時間を加味して彼以上にクラブのために体を張り走り続ける選手はまだ僕は出会った事がない。
そう考えると余計なカードが多いのも熱くなりすぎるのも全て荒野拓馬としての魅力、価値でありキャプテンとしてどこか丸くなった荒野拓馬は僕がこれまで応援してきた荒野拓馬ではないのだ。
土曜日の湘南戦。クラブは確かに情けない試合をした。
今の状況や立場をわきまえると本当に痛い引き分けである。
選手もサポーターもフラストレーションが溜まる中で最後のサポーターへの挨拶の場面。キャプテンの荒野拓馬がゴール裏に対して頭を適当に下げガンを飛ばして怒鳴り返した場面が切り抜かれ一部で話題になっている。
大人げない言動にキャプテンを剥奪しろなど多方面からさまざまな声が聞こえるが僕はあの瞬間あの行動あの態度がこれまでの荒野拓馬と重なり少し胸が熱くなった。
荒野が感情的になると僕はなぜか少し嬉しい。
これまでもそうやって戦い抜いて来たからである。
言葉にしなくても荒野拓馬の焦りや危機感は伝わっている。
もちろんクラブの現状は決して明るい状況ではない。
しかし、荒野拓馬のこれからと札幌のこれからは自分たちでしか変えられないのである。
宮澤裕樹が引退する前にそして荒野拓馬がキャプテンとしてこのクラブのエンブレムに星を付けたいと本気で思っている。
それは1ファンとしての楽観的な考えではなくクラブに対する無償の愛と情熱の対価である。
J1に定着する事が出来てからのここ数年、観客数は増えゴール裏にも僕よりも若い世代の子たちがたくさん来ている。
僕がこのように荒野との時間を今日まで過ごしたように新しい世代にはクラブと自分との時間を過ごしてもらいたい。
その上で現状叶え得る1番の目標はやはりタイトルである。
降格争いまっしぐら単独最下位の現状でタイトルを口にするのは場違いかもしれないがこれまでの長い時間の功績で遂にタイトルが夢じゃない現実が掴みかけられている。
これまでも昇格争い、降格争いと強くないクラブだからこそ本当にたくさんの修羅場を潜り抜けて来た。
僕がコンサドーレと出会う前から札幌というクラブはそうゆう時間が多かったであろう。
コンサドーレ札幌というクラブがJ1に存在する意義や意味、地域や若い世代に対しての貢献などを考えるとコンサドーレ札幌の存在意義は計り知れないと考える。
僕はまだまだこれから今年もいつも通りギリギリを楽しみながら札幌はやれるし必然的に上に上がるべきだと考えている。
その上で僕自身は主将荒野拓馬を信頼しているし信用している。
なぜならこれまでの日々で荒野拓馬が覚悟や信念を体現し続けているからである。
ミラクル札幌の弾幕がゴール裏に張られていたのが何年前かは忘れてしまったが僕たちは紆余曲折を乗り越えて今があるのだ。降格を恐れる前にチームをそしてクラブを信じたいし信じている。だからこそ恐れるものはなにもないのだ。
この先もまたどのような事があろうともキャプテン荒野拓馬を信じていると同時に共に熱い時間を過ごしたいと思っている。