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P.V.L日記 父子入院7日目 休息

PVL(脳室周囲白質軟化症)から独歩をめざしリハビリ入院、
3歳児と父親が入院という名の合宿生活。
日曜日はリハビリも休み。
新大阪まで外出して妻と面会。病院まで戻り小一時間談話。

5月8日

日曜はリハビリがない。近畿圏から来られている家族は外泊申請を出して20時までに病院に戻ってくる方が多い。我々も外泊こそしなかったものの、午後から新大阪駅で妻と面会し、依頼していた追加の玩具や衣類を受け取り3人で一緒に病院まで戻ってきた。昨年は外泊時に、2歳になるまで一度しか出していない熱を出し復帰が2日ほど遅れたことを教訓にして、前半での帰宅はしないと決めていた。病院のある東中浜の街でほどよく3人で時間を過ごし別れたが、今日が「結婚式」(親類だけでの)から丸5年であったことを私も妻も翌日の夜になるまですっかり忘却していたのだった。

妻との結婚式は2つある。1つは奈良ホテルで親類のみ。形式張ったことや無駄な費用をかけるのが嫌で「司会進行=俺たち」「照明、音楽=なし」等マイペースにやらせてもらった。妻も白無垢姿でマイクを握って自分の親類紹介をして回った。なぜか「有線マイク」で、さながら往年の演歌歌手のように長いコードを引きずりながら練り歩いていたのを思い出した。まさかとは思うが、クラシックホテルだから有線だったのだろうか。(違います)

ただ、私が自分自身で祝電を読み上げ始めたときは、みかねた従兄弟が交代してくれた。さすがに自分で自分に「ご結婚おめでとう」を言うわけにはいかない。その従兄弟がSNSで父子入院していることを知り、心配して実家の母にわざわざ電話してくれたそうだ。こんなお気楽に過ごしていて申し訳ない。そして、妻との2つ目の結婚式は大きな団地を丸ごと使った「団地ウェディング」なのだが長編になるのでその話はまた別の機会に。

ちなみに日曜のお風呂は平日のように入浴順ボードが回ってこず、お風呂場のボードに先着で書き込んで決まる。ゆったり入ろうと一番最後の20:15からの番に名前を書いたのだが、なぜか入浴10分後にお湯が止まった。嘘でしょ?どうやら記入の時間が遅くて人数にカウントされていなかったようだ。あやうく入浴難民である。

夜23時、息子は新大阪の構内でプラレールの特急「パンダくろしお」と「サンダーバード」を手に入れたせいで興奮が絶頂に達してしまい全く寝ない。ギンギンに覚醒した目つきで出発進行を繰り返すので看護師さんが空いている個室に一時避難させてくれた。寝入っている同室の方に大迷惑である。数時間後、やっと寝付きそうになり、お部屋にもどり物音を立てないようにベッドに寝かせて一息ついたその瞬間、息子がスイッチを入れた。「ガーーーーーーーーーー」轟音を上げてプラレールのモーター音が病室に響き渡った。夜は長いぞ。(続く)



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