40日目 本棚から始めよう
引越をして2年になるが、なかなか部屋づくりが終わらない。むしろ何が正解なのかすらわからない。今日は意を決して禁断の書斎部屋の扉を開けた。この部屋は恭子さんの研究部屋になっているのだが、フリーペーパー専門店で集めたフリーペーパーが次々と届くので、その倉庫にもなっている。かつ、遊ばなくなった子どものおもちゃや幼稚園での工作物などの保管箱が渾然一体となっているため、なかなか踏ん切りが付かなかったが「今日こそは」である。油断すると「暫定的五十肩認定」の左肩に激痛が走るからやってられない。
この家に来てから「図書館でも使われているスティール棚」で本棚を作っている。既に手狭になり、もう一棚入れる空間があったので追加で注文していたキットの組立を始めた。価格が2年前から1万円も高くなっていて資材高騰の波がここにも押し寄せていてつらい。壁面全部を本棚にするのに一番コストを抑えて部屋に調和するという理由で選んだ「スティール棚」であったが残念である。スティールなので部品が重く、リビングはさながら鉄骨作業現場である。
本棚は混沌としている状態の方が好きだ。新書の「民主主義とは何か」の隣に漫画の「地獄のサラミちゃん1巻」が並んでいる。その隣には雑誌の「フットボール批評」に1976年6月、私が生まれた年月に発行の「暮らしの手帖」。ノンフィクション「介護民族学」の隣に図録の「バウハウス展」といった具合である。恭子さんとは本の趣味がほとんど被っていないのだが、たまに同じ本が家にあることがある。坂口恭平「独立国家のつくり方」と小川さやか「その日暮らしの民族学」がそれである。なんでこの2冊なのか?村上春樹あたりが被りそうなものである。
重複傾向から読み解ける事実は、「独立国家をつくって、その日暮らしをしたい」ということである。恭子さんは「やるなら突き抜けないと」がモットーであるし、私も「自分の思うようにできると活き活きしだす」タイプなのであながち間違っていないのかも知れない。ときどき本屋の企画を考えるのだが、こうしたなぜか家に2冊ある本ばかりを買い取った「重複書店」もやってみたい。なぜ2冊になってしまったのか等のコメント付きで。
また、お互いが買った本が相手の役に立つこともある。恭子さんが買った植本一子「家族最後の日」は、私が日記をどう書くかを考える一助になった。私が買った平山亮「介護する男たち」は恭子さんのケア概念研究にかなり示唆をもたらしたようだ。当然、私は「まだ」一行も読んでいない。
お昼ごはんは、夏の残りのそうめんに、しょうゆ味のパスタソースをからめて恭子さんが作った。なかなか美味しかったのだが、とうわはYouTubeに夢中で呼んでも食卓に来ない。果たしてこの先、本など読んでくれるのだろうか。
20231015