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79日目 南相馬から始めよう

「ここが実家です」と車が停まった場所は、富岡町。今年の4月まで帰還困難区域であり、立ち入りが厳しく禁止されていた地域である。元NCL南相馬のメンバーで現在はデザイナー・クリエイティブディレクターとして活躍している西山さんにお願いして福島第一原発付近を案内してもらっていた。「ここが実家です」と不意に聞かされた一言が、私をやっと福島第一原発事故を現実として対峙させてくれた気がした。すでに家を解かれ、門構えだけになった更地の前に西山さんの赤いJEEPが停まった。

何度かお会いしただけで、西山さんのNCL南相馬に関わる背景をしっかり聞いたことはなかった。事故当時は東京にいて、住んでいたご両親はすぐに避難し、それからずっといわき市で暮らされているという。空き家ばかりになった富岡町の家は動物の被害と風雨で廃墟化が進み、朽ち落ちている家も多い。屋内は除染していないため線量も高いそうだ。

今日は午前中に小高駅で降り、柳美里さんの経営する本屋「フルハウス」に立ち寄ってから、小高パイオニアヴィレッジで代表の和田さん、そして西山さんと待ち合わせた。お昼をご一緒して最近のお互いの起業支援の様子を話し、午後は西山さんが周辺を案内しながら、いわき駅まで車で送っていただけることになった。

車は進む。「ここが通学路で、あれが通っていた高校です」昨日、研修視察で訪ねた「ふたば未来学園」はその高校を含む8つの高校が事故後にサテライトとして分散していたものを統合して2015年に開校したものである。

「ここより立ち入り禁止区域」の看板がある原発に一番近い道を通過して車は進む。かなり遠くに廃炉作業のクレーンの頭が小さく見えた。近隣でも目視で原発が見える場所はかなり限られている。「あれが東京に電力を送っていた変電所です」山の裾野のあたりにあるその施設は2011年3月から停まったままである。

車は進む。大熊町では新しい町と新しい教育が始まっていた。庁舎と商業施設と住宅、そして学校が新しい場所に集積して建てられていた。教育は「学び舎 ゆめの森」として0歳から15歳までが同じ場所で学ぶイエナプランをモデルとした公教育がスタートするという。全てが目に見える距離に並んでいるコンパクトシティになったまっさらな町。

車がいわき駅に着く手前で、後ろからクラクションが鳴る。「あ、あれ、母ですね、わたし赤いJEEPだからすぐにわかるですよ」振り返ると西山さんのお母さんが会釈しながら隣車線を通過していった。ここから神戸まで後、6時間だ。

20231122

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