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44日目 モンブランから始めよう

ホールサイズの特大モンブランを切り分けて独立をお祝いした。10月末で熟成肉ブランド「つむぐ」の起業支援期間が終了する。3年間の支援を経て奈良県宇陀市に新しい事業が生まれた。人口約2万8000人のこの地に移住して事業を起ち上げることは並大抵のことではない。だから、たとえ途中で頓挫してとしてもその挑戦は尊重されるべきものだと思っている。国の予算を使っての挑戦であるから、成果を担保するのは中間支援を行っている私たちが責任を持てばいい。そもそも都市部であっても3年もお店が続くことは少ないのだから。

これまでに生まれた事業を点から面にするにはどのように展開すべきか。予算の付かなくなった時にどう自走すべきか?大きな課題である。一時的にやってきた中間支援者として去らないために何を残せばいいか、この数ヶ月で提示しなければな。それとも、そもそも、そんなことを考えることも中間支援者の思い上がりなのだろうか。

20代前半で移住して自己資金を用意し、借り入れも交渉してこの土地で事業を起ち上げてくれる若者みて、自分の20代前半を振り返る。26歳で就職するまで関西を拠点に劇団員として舞台に立っていた。この時点で随分違うのだが事実なので仕方ない。事情あって村の実家に戻り、1年ほど実家のミッション仕様の軽トラックで国道側の物流センターのバイトに通い、フォークリフトを運転していた。

そのお金でなんとかパソコンとモバイルのネット端末エッジ(懐かしい!)を契約して就職の情報を集めた。田舎過ぎて超低速のADSLしか通っていなかったため、車でわざわざエッジの圏内まで運転していってサイトを見ていた。バイトの休憩時間はゆがんだしょうもない自尊心が全開で、控え室で中上健次の小説をひたすら読んでいた。もともと丁寧なことが苦手なのもあってか、ピッキングのミス集計では常に上位をキープ。ほんとに役に立たないバイトだったと思う。

劇団時代には役者の他にチラシづくりも担当していた。そのチラシを持参してなんとか拾ってもらった求人広告の会社に決まったものの、実家を出ることができず車で30分ほど山を下り、近鉄奈良駅そばの駐車場を契約してそこに止め、近鉄電車で難波そして地下鉄で四つ橋まで通勤、という1年だった。初出社の日に、財布を忘れてしまい奈良駅の交番で1000円借りた。

特筆すべき苦労でもないが、いまユブネのような会社をつくり仕事をしていることが自分でも冗談のように思うときがある。いや、このへんでこの話はもうやめよう。おじさんの昔話より、若者の話をきこうじゃないか。

20231019

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