58日目 フィッシュマンズから始めよう
6年ぶりくらいに妻と2人だけで夜のお出かけだ。とうわを西宮のお友だちの家に預かってもらってフィッシュマンズのライブを観になんばハッチまで。開場前にお寿司とお酒。これも6年ぶりだろうか。フィッシュマンズを観るのは結婚した2016年にZEPP大阪で観て以来、7年ぶりである。少しこのバンドの話をしたい。
高校生のときに民間の下宿屋さんから高校に通っていた私は、四畳半の部屋でテレビはなかった。閉塞感のある部屋のラジオから流れてきた独特の浮遊感を持った曲が気になってしかたかなった。だが結局、その曲名もアーティスト名もわからず、「この景色のなかをずっと2人で歩こうぜ」という歌詞しか判らなかった。ネットのない時代だ。その曲を探し続けて、フィッシュマンズの「Go Go Round This World!」だと知るのは大学2年生のとき。
念願のCD屋でバイトを始めた私は、色んなジャンルの音を浴びつつ、「空中キャンプ」「Long Season」にどっぷり引き込まれていった。「宇宙 日本 世田谷」のCDはバイト仲間にもらった。「ゆらめき IN THE AIR」のレコードは取り置きしていたが、そのころ演劇に関わりだし、バイトに入る回数が激減したので売場にだされてしまった。スタジオライブMIXアルバム「8月の現状」が出た直後のツアーで初めてライブを観た。98年心斎橋クアトロ。身体の前後左右の感覚が曖昧になるような陶酔感と地を這うような低音、そしてくねくねと変な踊りを繰り返し客席に「るっっせー!!」と叫んでいた佐藤伸治。歌詞の一言一言が胸にしみる。このバンドをこれからもっと追いかけたいとおもったが、その夜が最後の姿になってしまった。3月15日佐藤伸治、急逝。ベースの譲さんの脱退前、12月にあった「男達の別れツアー」は舞台稽古のため観ることができなかった。バイト中にバイト仲間が店頭で「追悼コーナー」を設置しだしたことで、佐藤伸治の不在を知ることとなった。
2005年、フィッシュマンズ再始動。ゲストボーカルを迎えた北海道のライジングサンロックフェスとなんばハッチのツアーを社会人になってからできた友達と観に行った。演劇はやめていた。このツアーで初めてライブの「Long Season」を体験。2016年、ドラムの欣ちゃんが全曲ボーカルをとるツアーで2度目の「Long Season」を妻の恭子さんと2人で体験。開演直後に隣の客のスマホが眩しかったことを一番覚えているのはなぜだろうか。2022年「映画 フィッシュマンズ」公開。そして2023年3度目の「Long Season」メインボーカル不在の郷愁や同窓会ではない、今最も新しいバンドの音があった。
未就学児のとうわは入場できなかったが、迎えに行った電車の中で「きょうは『サンキュー』とか『100ミリちょっと』はやらんかったん?」と聞いてきた。0歳の頃から子守歌は私の歌うへたくそなフィッシュマンズの曲たちである。今ではカラオケで一緒に歌える曲が5曲はある。
90年代の世田谷や下北沢の空気感は、関西で暮らしていた私にはもちろんわからないが、2023年でも佐藤伸治の残した歌は歌い継がれていく。今日も息子が鼻歌でデビュー曲を歌っている。
20231102