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愛し愛されるという難しい課題をやり遂げたい-今年の抱負、恋愛編
誰かと出会って恋をして。
だんだん関係が深まっていくと。
愛したり、する。
愛されたりも、する。
でも、愛したからといって、愛されるとも限らない。
愛されたからといって、愛せるとも限らない。
愛し愛されたからといって、ずっと続くとは限らない。
異性間の愛情は、なかなかバランスがとれないものだし、ずっとは続かないものだ。
彼と出会った時の私は、そう思っていた。
だって。
愛し愛されたはずの夫2と警察沙汰になるほどいざこざして離婚するなんて思わなかったし。
あんなに愛した相手を「もう愛せない」と思う日が来て別れを選ぶ日が来るなんて思わなかったし。
どんな相手でも覚悟を決めれば愛し続けることが出来ると思っていたが、そうではないことを知った。
この世に不可能はある。
恋愛に関しては夢見がちな私ではあったが、50年生きてきて、愛し愛されることと、それを続けることの難しさを知っていた。
だから彼に対しても期待してはいなかった。
新しい恋が始まることは単純に嬉しかったが、いつかはこの恋愛も終わるのだと斜に構えていた。
彼を知れば知るほど、ふたりの先は長くないと思った。
過去の女の話をペラペラしゃべるし。
些細なことで別れようと言われるし。
ちょっとでも嫌なことがあると、ラインも簡単にブロック削除される。
私が社交的なことも気に入らないらしかった。
自由を奪われてまで一緒にいる相手ではないと思った。
どこかで見切りをつけて終わりにしないと、面倒くさいことになる。
そんなふうにも思っていた。
けれど。
彼を知れば知るほど。
私を突き放そうとする言動は、不安から来るものだと確信できた。
私は、この人から「不安」を取り除くことが出来るのだろうか。
そして、その先には、何が待っているんだろうか。
私は、それを見ることが出来るのだろうか?
彼に、それを見せることが出来るのだろうか?
でも、不安には思わなかった。
こんな面倒くさい男の相手が出来るのは、私ぐらいだ。←笑
他の女だったら、余程の事情がない限り、尻尾を巻いて逃げ出すに違いない。
そうか。
だからこそ彼の恋愛は短命なのだ。
「なんだか相手のことを嫌になってしまうんだよ。」と言っていた。
おそらく「この男の相手をするのは無理」と心変わりしていった女性の気持ちを、いち早く察知して自分から終わりにしてきたのだろう。
ふられる前に逃げ出してきたに違いない。
この、敏感で繊細で臆病な男は。
だとしたら。
彼の「不安」を取り除いた、その先。
そこに何があるのかを。
私が彼に見せなければならない。
妙な使命感を持った。
もちろん、恋心もあった。
愛おしい気持ちもあった。
でも、ここまで続けてこられたのは、その、使命感のお陰。
ずっとふたりの間にあった見えない壁(「彼は元カノのことをいまだに愛している」という私の妄想)が取り除かれ、その壁の残骸も(ネタにすることにより)消化された。
いま、彼は。
私との関係が終わらないことを信じている。
彼がずっと抱えていた「不安」は(私との関係に限るが)取り除かれたように見える。
安心して私に甘え、安心して私を甘やかす。
駆け引きも何もない。
思ったことを素直に伝える。
良くない話でも、相手が穏やかな気持ちで聞けるような伝え方を、お互いに身に付けた。
遠慮は、少しづつ、する。
でもそれは相手を嫌な気持ちにさせないための配慮。
その配慮があるからこその「安心」でもある。
相手は自分を嫌な気持ちにさせないだろうという信頼。
万が一、嫌な気持ちになっても、それをお互いに伝えて解決できるだろうことへの安心。
ふたりが出会った頃。
彼と私は運命の相手ではなかった。
でも。
ここまでそれぞれが生きてきた背景を擦り合わせて、諦めずに重ねることによって、ここまで関係が深まった。
だからきっと。
今は運命の相手。
まあ、ぶっちゃけ。
この歳になれば、ある程度の諦めもある。
これ以上の相手は、なかなかいないだろう。
とか。
これ以上の相手に出会ったところで恋愛に発展する保証はない。
とか。
家庭を築いたり子どもを育てたりしないなら、収入や職業には重きをおかなくて良い。
とか。
長くても先はせいぜい30年なんだから、欲張っても仕方ない。
とか。
でもさ。
その諦めがあってこその。
現状への感謝。
ここまで合わせることが出来る相手と巡り合えたことへの感謝。
足るを知る。
彼も私も、もう良い年齢だということもあり、貪欲ではない。
彼に「あなたにとっての幸せってなあに?」と聞いたところ「今日が無事に終わること。欲しいものも特にない。さくらもいてくれるし、僕は満たされている。」と答えた。
私も概ね同じだ。
朝起きて「朝が来て良かった」と思えること。夜ビールを飲みながら「ここに無事たどり着けて良かった」と思えること。
家の中にいざこざがなく子どもたちが健やかな気持ちで生きていること。
そして、愛し愛される恋人がいること。
私もまた、満たされている。
「幸せ」のカタチが、彼と私は似ている。
だからこそ。
愛し愛され続けるという難しい課題を、彼とやり遂げたいし、彼とならやり遂げられるだろうって思ってる。
今年の抱負!(恋愛編)
ふたりが、朝、幸せな気持ちで目を覚まし。
ふたりが、夜、幸せな気持ちで眠りにつく。
そんな日々を過ごせるように、穏やかな関係を維持していく。
でっきるっかな?
でっきるっかな?
はてはてふふーん。笑
新しい年が始まりました。
昭和100年ですってよ!!
私の投稿を読んでくださる皆さまには、相変わらずのようで日々深まるふたりを見守ったり、面白がったりしていただければ幸いです!
今年もよろしくお願いしま~す。