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母親なんだから子育てしてればいいんだよ!?-シングルマザーの恋と家庭のバランス
母親なんだから、子育て最優先。
そんなこと人に言われなくてもわかってるし、そうやって生きてきた。
つもり。
母親になってから二十年以上ずっと、だ。
シングルマザーで三人の子どもを育てていれば。
制限されることは、たくさんある。
でも、それを、全てにおいて自分が納得して行動しているなら問題はないし、それこそが幸せ。
だから、今まではずっと、そうやって生きてきたし、幸せだった。
結婚しているときもしていない時も。
配偶者がいようがいまいが。
子育ての責任者は、母親である、私。
古臭い考えだとか思う人もいるかもしれないが、それは違う。
子どもたちが求めるのだ。
母親を。
それは自然の摂理。
イキモノとしての人間に備わった自然な流れ。
そして求められる幸せを享受しつつ子どもたちに愛を注ぐ。
(注:他のご家庭を否定する意図は1ミリもありません。自然の摂理を越えてなお子どもに求められる父親は素晴らしいと思います。)
しかし。
齢51にもなれば。
人生の終わりも、ちらほら、見えたり感じたりする。
人生の終わりも、さることながら。
この身体、いつまでちゃんと動くんだろう…。
十年後の私は、いまと、どのぐらい違っているのだろう。
皆目、見当がつかない…。
なんなら、生きているのかどうかすら、わからない。
いま、したいこと。
我慢して生きたとして。
十年後の自分は、それ、出来るの??
我慢してたこと、実行できるの?
その保証は、無い。
それが中高年。
若い頃には無かった感覚だ。
そして。
無理な我慢は…。
自分を間違った方向に進める可能性がある。
我慢して我慢して、子ども優先に生きて。
十年後。
「あの時あんなにやってやったのに」と。
子どもに対して思ってしまう可能性があるんじゃないだろうか…。
そう考えたら、怖くなった。
恨みごとを言う自分を妄想して、ぞっとした。
母親歴、二十数年が経過し。
人生が無限ではないことを実感するようになった、この数ヶ月。
私には珍しく、悩みができた。
誰にも「ものすごくイヤな思い」をさせずに、どうにか自分の人生を、自分の時間を生きたい。そのためには、どうすれば良いのか…。
もちろん子どもたちのことは愛しているし大切に思っている。
他の誰よりも…。
と、思っていた。
のだが。
最近、そうでもないことに気がついた。
私は私自身を最も愛して良いのではないだろうか。
自分の限りある人生を。
残された時間を。
自分の思うように使いたい。
子どもたちが巣立っていく現実もある。
家族が終わり。
次女とのふたり暮らしが始まる。
「ひとりで家にいるのが寂しい」
と訴える次女の気持ちを全て受け入れたら…。
私は家から出られなくなる。
次女がオトナになるのは何年後なんだろう。
それまで、ずっと…。
ふたりきりで家に???
絶対に、煮詰まる。
それは避けたい。
なんとしても。
私は母親だけれども。
私は自分の人生を生きたいのだ。
それを制限すると、絶対に、煮詰まる。
まあ、もっとぶっちゃければ。
恋人と旅行にだって行きたいし!笑
恋人の家にお泊まりにだって行きたいし!!笑
遊ばせてー。笑
しかし。
現実に来春から起こりうる。
『小学生の娘をひとり家に残して男の家に泊まりに行く母親』
は。
あまりにも。
衝撃的な字面だ。
それは避けたい…。
そんなある日。
長女は不在で私は飲み会。
ひとりで家に残るのが寂しいという次女を実家に預ける予定だった。
少し前に冗談?で次女に言われたのだ。
「小学生を家に置いて夜でかけるなんてネグレクトだよ!児童虐待じゃない?笑」
…。
少なからず胸に響いた。
次女は冗談じゃなくて本気で思っているのかもしれない。
それなら、と実家に預けることにしたのだ。
が。
直前になって次女が言った。
「出掛けるの面倒くさいから家にいたい」
…。
なるほど。
ひとりで家にいることも出来るのだ。
「寂しい」と「面倒くさい」を天秤にかけて、「寂しい」を取ることも出来るのだ。次女は。
そこで、ふっと名案!!
さっそく次女本人に話をする。
「来年からふたり暮らし。ひとりでいるのが寂しいという、あなたの願いを全て受け入れていたら、私は家から出られなくなる。」
うんうん、と話を聞く次女。
私「一緒にいるの、ママじゃなくちゃダメ?」
娘「人がいれば別に寂しくないから、ママじゃなくても大丈夫」
よし!
きたこれ!!
私「じゃあさ、私が泊まりで出掛ける時は、ばあちゃんの家に行けるようにお願いする。行くか行かないかは、あなたが選んで良い。その時の気分で、家にいてもいいし、ばあちゃんの家に行ってもいい。」
娘「どっちでもその時の気分で選べるなら、それがいいな。うん。いいよ。」
私「寂しがらせてごめんだけど、あとであなたを恨みたくないんだよ。あなたのせいで、って言いたくないんだよ。だから、ごめんっては言うけど、私のしたいように生きるよ。」
娘「なるほどね…。うん。それが良いと思う!」
私「じゃあ、これで、ネグレクトは回避だね!笑」
娘「え?ママ、気にしてたの?あんなの冗談だよー。笑」
そのあと実家に行き、父母に経緯と詳細を説明し、週末の夜に次女が泊まりに来ても良いかお願いする。
もともと私の恋愛に否定的な母が
「え…?でもそれはさ…。」
と何かを言いかけた。
少し前「母親なんだから子育てだけすればいいんじゃない?」と私に言い放った母が。
でも。
それを遮るように父が言った。
「わかった。さくらの言う通りだ。さくらの人生だって、いつ終わるか、わからない。11歳の女の子が週末にひとり増えたところで、うちは全然かまわないよ。いつでも連れてくれば良い。」
そして
「さくらが後悔の無いように生きて欲しい。そのために出来ることは、俺が、する。」
と締めくくった。
父は。
私が。
後悔ばかりして生きてきた母のようにならないようにと願ってくれている。
父に愛されている。
と感じる。
素晴らしい父親の元に生まれたことを感謝する。
父の姿を見てきたからこそ。
今の私がある。
私は。
自然の摂理を越えて。
母ではなく、父を求めた。
そしていまでも心が、繋がっている。
それを再確認できた。
幸せな時間だった。
はー。
力説したら長くなりました!笑
でもね。
母親だって。
父親だって。
シングルマザーだって。
シングルファーザーだって。
親としてだけ生きるのではなくて。
日々悩みながら、手段を模索して。
子どもたちと、話し合って、話し合って。
放り投げるのではなく。
向き合う方向で。
自分の人生を。
自分の時間を。
生きる道を探すことは。
悪いことなんかじゃない。
私はそう思うし、そう生きる。
非難する人は非難するだろう。
でも、非難する人たちは。
私を幸せには、してくれない。
だから相手にしている暇はない。
自分に残された時間はどのぐらい短いのかわからない。
だからこそ。
自分で自分を幸せにしていこう。
ね?