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親を亡くした友に私ができることってなんだろうって考えたんだよ。

友人の母親が亡くなった。
母ひとり子ひとりで一緒に店をやっていた。

癌だった。
気が付いたときには、もう、末期。

一心同体といっても良いほど一緒にいた母親が逝ってしまう。と、時に心が折れ、友人は我慢できずに母の前で泣くこともあったという。

気丈な彼女の母は、泣く娘に向かってこう言ったという。

「あんたもう、いいかげん、覚悟決めなさいよ。」

抗がん剤も延命治療も全て断って、自分で人生の終わりを決めたそうだ。

かっこいいお母さんだ。


いつかその日が来ることは私も知っていた。

でも、私には何もできないことも、知っていた。

ある日、友人の店に予約の連絡を入れると返信が来た。
「実は一昨日、母が亡くなりました」

そうか、ついに、その日が来たのか。
「そうだったんだね。ご冥福をお祈りします。」とだけ返信した。

他に、どうすればいいのか、私にはわからなかった。


何かをした方がいいんだろうか。
ネットで少し、調べてみる。

お通夜とか、葬儀とか、お香典とか…。

でも。
それは違うって思った。

それで、なにもしないことにした。


予約の日。
彼女の店に行った。

何も、持っていかなかった。

ただ。
ひとつだけ、私にできることをしよう。

そう決めて、彼女を訪ねた。

扉を開けると。
痩せ細った彼女の姿。

「こんにちは」と笑顔を作る彼女の目の前に立ち。

私は。

両手を広げて。

彼女を抱きしめた。

彼女は。
「さくらぁ…。」
と言いながら。

私を抱きしめて、ぼろぼろと、泣いた。

大切な母を亡くした友人に、私ができること。
それは。
「涙を流す場所を作ること」

それしかない、と思った。


しばらくボロボロと泣いたあと、ぽつりぽつりと話をしてくれた。

旅立つ一週間前には、病院嫌いだった母親が自ら望んで入院したこと。
そのとき、申し訳なさと、開放感があったこと。

申し訳なく思う気持ちを伝えると、看護師さんが「プロに任せて下さい」と言ってくれて罪悪感が薄れたこと。

最後の時を迎えたあと、看護師さんが、こう言ったそうだ。
「癌の最後の一週間は、とても壮絶です。娘さんが家で看るのが難しいことを、お母さんは自分でわかっていたから、病院に来たんだと思います。娘さんのことを思っての決断だったと思います。」


友「お母さんは最後まで私のことを考えてくれていたんだよね。」
私「うんうん、きっとそうだね。」
友「でもね。もっと、出来ることがあったんじゃないかって、今でも思うことがある。」
私「あとになると、そう思うこともあるかもしれないけれど、その時のあなたは、精一杯やったと思う。だから、頑張った自分を受け入れて良いと思う」
友「そっか、そうだね。私、いっぱいいっぱいだったんだよ」
私「いっぱいいっぱいってことは、精一杯やったってことだよ。だから、それでいいんだよ。」

しばらく、また、ふたりで泣いた。

友「食べられなくって、痩せちゃって。自分でもガリガリで気持ち悪いぐらい…。だけど、料理なんてする気持ちになれなくて」
私「そりゃあそうだよ。私も精神的にやられて体重が激減したことがあった。でも、どうしても食べた方がいいって思って、いちにち三食、卵がけごはんを食べ続けてたよ。」
友「そうか!卵がけごはん!!いいかも。それなら、作るの大変じゃないもんね。」
私「そうそう、良かったら試してみて!少し心に余裕ができたら、トッピングとかしてみてさ。」
友「ありがとう、今からさっそく、卵がけごはん食べるよ」

用事が済み、サヨナラの挨拶をする。

私「型どおりの何かができれば良いんだろうけど、何もできなくて…。」
友「そんなこと!ぜんぜん思ってないよ。してもらっても返すのにまた、ひと手間だしね。」
私「そっか、なら、良かった。じゃあ、またね。」

帰ろうと歩き始めると、友人が私の名を呼んだ。

「さくら。」

ん?

「泣かせてくれて、ありがとう。」

私の想いは伝わったみたいだ。

「また来るね!」
そう言って、彼女に笑顔で、手を振った。