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体臭と言葉と後ろ姿と-私はきっと彼に愛されている

冬は夏と違って、じわりと汗をかく。
夏は滝のような汗と共に流れていく体臭も、冬はじわりとした汗と共に長いこと身体に留まって、その人ならではの匂いを熟成させる。

仕事帰り彼の家に行った。
短い時間での会瀬。
服は脱がないつもりでいた。
でも触れ合っていたら身体を重ねたくなった。

服を脱いで抱き合った彼が私の胸に顔を埋めて言った。

「さくらの匂いが好き」

じわりとかいた汗が熟成した、私そのものの匂いを、彼は愛おしげに吸い込んだ。

ああ。
きっと愛されている。

イキモノとしての私すら、愛されてる。

そう思うとなんだか嬉しかった。


「愛してる」

私たちふたりは1日に何度も伝え合う。
朝起きてから夜眠るまで。
文字で。
声で。
十数回も数十回も繰り返す。

でも。
言葉は、ただの言葉だ。

愛する気持ちが溢れて「愛してる」を伝えることもあれば「おはよう」の挨拶に「愛してる」を使うこともある。
それはきっと彼も同じ。
どこかに不安を抱えながら寄り添っている私たちは、日常的に「愛してる」の定型文を伝え合うことで、安心を与え合っている。

だけど、たまに。
定型文ではない愛の言葉を彼が発することがある。

それは
「女性を異性として意識し始めてから50年の間でさくらほど愛した人は他にはいない」
だったり
「ずっと一緒に生きていこう。いなくならないで。誰かのところに行かないで。」
だったり
「さくらの気持ちが変わっても僕の気持ちは絶対に変わらないから。」
だったり。

定型文じゃない愛の言葉は「唯一無二」を感じさせるものばかりで、私をうっとりさせたり感涙させたりする。

彼の言葉を聞きながら、彼の気持ちを全身で受け止める。

きっと私は彼に愛されている。


いつもツーショットを撮りたがる彼。
お出かけのあとは、ふたりのトークルームに新しくアルバムが追加される。
たくさんの写真。
楽しそうなふたり。
綺麗な景色。
美味しそうな食べ物。

そんなある日。
彼と砂浜の海岸にドライブデート。

山に住んでいる私にとっては、砂浜の海なんて気軽に行ける場所じゃないから、嬉しくて嬉しくて、砂を撫でたり、手で押してみたり、写真を撮ったり、していた。
(記事の写真はワタクシ撮影)

帰宅して。
トークルームにアルバムを作る。
自分の撮った写真を載せる。

しばらくして。
彼が撮った写真も追加された。

あとでゆっくり見よう。

「写真ありがとう」
彼にラインを送る。

眠る前。
ふと。
楽しかった1日を振り返りたくなってアルバムを見た。

すると。

そこには。

山猿が砂浜で大喜び
(これは後ろ姿じゃないけど)

無防備な私の姿。

私が海や景色に夢中になっている間に、彼が私を撮ったらしい。

いつもと違ってカメラ目線ではない、私の後ろ姿や横からのショットが何枚か、あった。

撮られているなんて。
全然、気が付かなかった。

自分が写った何枚かの写真を、ゆっくり眺める。

彼の目に写る、私。

その姿は、めちゃくちゃ愛おしかった。

そうか。
私。

彼に愛されている。

そう思うと自然に涙が溢れた。

愛している人に愛されている。

この奇跡的な幸せ。