どんな相手にだって「死ね」なんて言わない方がいいと思う-同居のデメリット【後日リアル部のみ削除して修正の予定】
誰かに向かって
「死ね」
と言った経験はありますか?
私は、ないです。
でも世の中には。
自分以外に向かって「死ね」という言葉を発する人がいます。
「死ねば良いのに」という言葉を発する人がいます。
そういう人たちにとっては
「死ね」
という言葉は日常によく出る単語?なのだろうし
「死ね」
という言葉へのハードルが低いのだろうなぁ。
ってことは、なんとなく想像できます。
「うざい」
とか
「きもい」
とかの延長に
「死ね」
とか
「死ねば良いのに」
が、あるのでしょうか。
万が一。
私が誰かに対して、そう思うことがあったとしても。
(あったかもしれないけれど忘れました。笑)
それを当人に向かって投げつけようと思ったことはありません。
それは決して「道徳的じゃない」とか
「一般常識としてあり得ない」とかではなく。
もっと利己的な意識からです。
もしも私が誰かに「死ね」という言葉を投げたとして。
それで本当に相手が死んでしまったとしたら。
原因は私ではなくても。
一生、私は、そのことを悔いると思う。
一生、その言葉を投げた罪悪感で苦しむと思う。
自分が生きている限り、たぶん、ずっと忘れられない痛みになる。
「死ね」と言った相手が「死んだ」という罪悪感。
苦しさ。
後悔。
辛さ。
そんな捨てきれないモノを背負ったまま生きていたら
自分の人生を楽しめなくなってしまう気がする。
だから。
誰かに対して「死ね」という言葉を投げつけることは、いままでにもないし、この先もないだろうと思うのです。
さて。
先だって。
息子夫婦が。
ちょっとしたイザコザからはじまって。
のち、炎上したらしく…。
数々の暴言が漏れ聞こえてきた。
「お前が○○しないから、私はこんなに大変なんでしょ?」
「仕事行ってる方が家にいるよりよっぽどラクなんじゃないの?普段仕事に行ってラクしてるんだから、家にいるときぐらい全部子どもの世話すれば?」
「早くおむつ替えなよ!かぶれちゃうだろ?」
「早く哺乳瓶洗ってミルク作ってこいよ!」
「なんで言ったとおりに動かないの?やれよ!やれって言ってるだろ!?」
「なんなんだよ、お前は。ウザいんだよ。」
「いいかげんにしろって言ってんじゃん!!!」
「死ねよ。てめえなんて死ね。死んじまえ。」
あ。
上記発言は、全て、息子の妻のモノ。
ちなみに息子は、最初のうちは穏やかに場を収めようと、妻をなだめていあちょうであるが…。
最後の「死ね」に、さすがに嫌になったらしく…。
「わかった。じゃあ死ぬよ」
と応えていた。
・・・・・。
いや。
死ぬなよ。
もちろんそれが本当だとは思っていないのだけれど。
それでも。
我が子の「死ぬよ」は。
親としては切ない気持ちになるわ。
同居のデメリットは、子ども夫婦の喧嘩を目の当たりにすることかなぁ…。
いやまあ、他にもたくさんあるけどね。笑
なんてことを思う休日の昼。
「どんな相手にだって「死ね」なんて言わない方がいいと思う。もしも相手が本当に死んでしまったら、一生苦しんで生きていくことになると思う。相手のためではなく、自分のために、誰かに「死ね」って言わない方がいいと思う」
と言いたい気持をグッとこらえて…。
「自分が大変なことや辛いことを「誰かのせい」にしているうちは、幸せになれないと思う。まずは自分が変わって周囲が良くなるような方向に動かないと、幸せになれない」
と言いたい気持ちをグッとこらえて…。
買い物。
からの。
自室引きこもり中の、姑さくらん。笑
愚痴はいくらでも聞こう。
子育て中の妻の気持は、私にだって理解できる。
夫に対する憤りは、私にだって理解できる。
経験してきたことだから。
だから愚痴はいくらでも聞くし、相づちも共感も山ほどする。
でも。
家事を一手に引き受けることはできるけれど。
子育ては私の役目ではないし。
ましてや夫婦関係の構築も私の役目ではない。
本当は、アドバイスしたいこと山盛りだけど、求められてないのに私から発したらクソバイスになるってわかってるから、助言はしないで黙って愚痴だけ聞く。
でもね。
ここは私の家。
ここは私の家庭。
家庭内での暴言が嫌だったから元夫と離婚したのだ。
そうやって自分で「平和な家庭」を作り上げてきたのだ。
だから。
壊さないで欲しい。
この家の穏やかな空気を。
って思ってるけど、もちろん、言わない。
同居解消まで、あと、一ヶ月半。
私の堪忍袋の緒が切れませんように。