実写版ONE PIECE、レラ・アボヴァ批判の妥当性とロシアのウクライナ侵攻
日本時間09月20日、オンラインイベントNetflix Geeked Week 2024に合わせて現在制作進行中の実写版ONE PIECEシーズン2にミス・オールサンデー役としてレラ・アボヴァの起用が発表されました。彼女はロシアで生まれ13歳でドイツに移住したロシア人で、主にモデル業でキャリアを積んでいる女性です。日本で仕事をしていた時期もあったそうで、イベント中に自然なアクセントで「ありがとうございます」という言葉を発したことが印象に残った方も多いのではないでしょうか。
彼女の起用は多くのファンに絶賛された一方、InstagramやTwitterでは他国への侵略行為を続けるロシア出身者を起用したという点で少なくない批判が噴出しています。
そこで本記事では彼女を起用したことの背景や批判の妥当性について考えてみます。
なお、これより先記事中にはONE PIECEに関連した所謂ネタバレも含みますのでご了承下さい。
ミス・オールサンデー役に彼女が起用されたことが’Perfect’と絶賛される理由
キャスト発表後多くのファンがニコ・ロビン役(※これより先はこの様に表記します)にレラ・アボヴァが起用されたことを絶賛していますがこれには大雑把に言えば2つの理由があります。
容姿が作中の絵に似ている
ロシア人である
1の容姿についてはニコ・ロビンと彼女の容姿を比較して頂ければ説明不要でしょう。妖艶な顔立ちとすらりと伸びた長い手足はONE PIECEファンがニコ・ロビン役に渇望していた要素でした。
では、本記事で主眼となる2の『ロシア人である』という点に移ります。
ONE PIECEの単行本には読者からの質問に作者が答えるSBS(※質問を(S)募集(B)するのだ(S))というコーナーが連載初期から常設されています。そして、このSBSには単行本56巻に掲載された『麦わらの一味の9人は、どの国出しんですか?』という質問に対し作者の尾田栄一郎氏はニコ・ロビンについてロシアと答えている記述が存在するのです。
恐らく尾田氏は56巻出版当時はSBSの当該回答に添えられている「何となく本人達の持つイメージね。」という言葉通り軽い気持ちで答えたのでしょうが(ウソップを"アフリカ"としている辺り、真剣に類推して決定したとは思えません。”アフリカ国”という国家は存在しませんし、もし真剣に考えた末この様なことを書いたのであればアフリカ大陸に存在するそれぞれアイデンティティの異なる国々の方に対して侮辱的でもあります。)、ファンの間で巻き起こる実写版ONE PIECEのキャスティング論争ではこの記述が頻繁に引用される傾向にあります。
シーズン1に登場した面々で言えばイニャキ・ゴドイ、 エミリー・ラッド、ジェイコブ・ロメロ・ギブソン、タズ・スカイラーはそれぞれメキシコ、アメリカ、ジャマイカ、スペイン出身者ですが、尾田氏のイメージではルフィ=ブラジル、ナミ=スウェーデン、ウソップ=アフリカ、サンジ=フランスであった為に完璧ではないと不満を述べるファンも居ました。
勿論、映像作品としてどのようなものになるのかが重要なのであって、キャスティングは容姿の近さや演技の良し悪しが重要視されるべきなのは明らかですが、ファンにとって尾田氏はONE PIECE世界創造の神。その為、彼の言葉の一つ一つが本人の意思とは関係のないところで重い意味を持つようになっています。GodとOdaを掛け合わせたGodaという呼称もあながちファン同士のふざけ合いという訳ではないと言えるかもしれません。
一読者として、昔から質問側も回答側も砕けた雰囲気で展開されているSBSがこんなにも"聖典"のように扱われている現状が少し恐くもありますが、これ以外の面でもどういうわけかSBSはファンが実写版ONE PIECEの議論をする際に重要な指針となっています。
彼女をニコ・ロビン役に起用したことはそういった意味で多くのファンにとって正統性を感じるものであった訳ですが、これによって2022年に起こったロシアによるウクライナ侵攻という問題が影を落とすことになります。
ロシアによるウクライナ侵攻
2022年02月24日、ロシアは『隣国ウクライナ東部州のロシア系住民がウクライナ政府から迫害されている』『ウクライナ政府はネオナチに支配されている』といった大義を掲げ”特別軍事作戦”という名目で国境を超え軍事行動を始めました(明らかに戦争行為ですが、敢えてこう言い換えたのは国際法上の制約から逃れる為など複数の理由があると考えられます)。
しかし、2014年のクリミア併合以降実際にウクライナ東部では紛争が続いていましたがロシア政府の強調した様な一方的な迫害とは状況が異なるほか、ウクライナのゼレンスキー大統領はユダヤ系であるなど、ロシア側の主張には信頼に足る客観的な証拠が存在せず論理的な破綻も見られるため多くの国がこの決定を非難し即時の撤退・停戦を求めました。
そして、この侵略行為の影響は政治分野のみには収まらず制裁としてロシア国内から西側諸国の資本が引き揚げられ、ロシア人スポーツ選手を国際舞台から排除するなどロシア外しの傾向が見られるようになりました。
そして今回、そうした排除の動きが今レラ・アボヴァに及んでいるという構図です。
しかし、ロシア人はウクライナ侵攻の是非を争点とした選挙で意思決定をしたわけではありません。軍事侵攻はプーチン大統領とその側近によって決められたとする見方が大勢であり、ロシア人にとっても青天の霹靂だったというのが現実だと言えます。戦争は通常この様に権力を握る少人数の決定で起こり、国民一人一人に出来ることと言えば平時にその可能性を考えて意思表示を行うこと程度です。
例えば侵攻直後にF1の舞台から排除されたニキータ・マゼピンの様に父親の経営する企業がチームスポンサーで、父はロシア政府とも関係がありその資本によってF1で活動を行って来たケースが制裁の対象となることは致し方ありませんが、個人として活動するロシア人スポーツ選手への対応は異なったものであるべきでしょう。戦争終結の為に柔軟性のない制裁を求める声もありますが、それは却ってロシア人の戦争への団結心を高める可能性もあります。何より、現在進行中のイスラエルによるパレスチナ人への虐殺行為とイスラエル人の国際的な扱いや、アメリカによるイラク戦争とその際のアメリカ人への国際社会の対応などとも整合性がとれません。
レラ・アボヴァもまた個人として活動するモデルであり、更に彼女は13歳でドイツに移住しています。ロシア政治への影響力を持たない彼女を批判することに正当性はあるのでしょうか?
では次にロシア人のウクライナ侵攻への考え方はどのようなものが大勢を占めるのかを見てみます。
多くのロシア人はウクライナ侵攻を支持している
2022年の侵攻開始当時から今年に至るまで、ロシア国民を対象とした世論調査でウクライナ侵攻についての支持を問うと支持する側が多数派を占めるという結果が出続けています(レラ・アボヴァ擁護側の意見を見ていると「ロシア人は戦争に反対する者が多数派だ」と主張する方が多く見られますが、この点は私の理解とは異なります)。
勿論、『侵攻への不支持を表明した時どんな迫害行為を受けるか分からない為、恐怖から賛意を示しているだけだ』という暗数の可能性は否定出来ませんが、2年以上戦争を維持できてしまっているという事実が後述するクラウゼヴィッツの三位一体理論とも合致する為、残念ながらロシア人の多くは侵攻を支持しているという方が現実である可能性は高いと言えます。
ロシアにとって兄弟国とも言えるウクライナを武力で支配しようとする行為をロシア国民の多くが支持しているという現状は我々には理解が難しいことですが、『ウクライナ東部でのロシア系住民迫害』『ウクライナ政府はネオナチ』などの直ぐに疑義が生じる大義名分とは別に、ロシア政府はウクライナの背後に長年対立して来た西側諸国が存在することを印象付けることによってロシア国民の中に蓄積された西側への対抗心を巧みに利用している様に思えます(開戦当時は西側から見捨てられたウクライナでしたが、その後大規模な軍事支援を受けている為この構図が虚構という訳でもないというのが難しいところです)。
ロシア人全てがウクライナ侵攻を支持しているわけではない
とはいえ、2022年の侵攻開始当初反戦を路上で表明したロシア人が当局に拘束される映像が日本でも報道された様に、少数ながら戦争に反対する方が存在することもまた事実です。
13歳でロシアを離れたレラ・アボヴァがどれだけロシアへの愛着や忠誠心を持っているかは分かりませんが、これまでのところレラ・アボヴァの言葉で明確にウクライナ侵攻を支持している旨が語られたものは見つかっていません。一方、状況を難しくしているのはその逆の言説も存在しないという点です。
彼女が明確に「ロシアによるウクライナ侵攻を非難する」と宣言した場合、彼女を攻撃する声は減少するでしょうし擁護する側もより庇いやすくなることは間違いありません。
しかし、ロシアにルーツのある人物が明確にロシア政府を非難出来るかというとそれは個人の都合や意志の強さによることでもある為、はっきりと言葉に出来ない葛藤は考慮する必要があります。
例えば、もしレラ・アボヴァがロシア国内在住の家族・親戚や友人を持っている場合、自らはロシア国外でロシア資本ではない企業と仕事をしていたしても明確にウクライナ侵攻反対とは言えない葛藤があって当然と言えます。前述した通りロシア国内の世論調査では侵攻を支持する側が多数派なのです。国が一体となっている空気の中で自らの言葉一つで家族がロシア国内で嫌がらせを受ける可能性や友人との関係が終わってしまう可能性を考慮すれば明確な意思表示を躊躇うことは理解が難しいことではありません。反戦を訴えた者が暴力的に当局に拘束される映像を見ていれば恐怖は身近な現実として考えられるものとなるでしょう。
そして何より母国で「裏切り者」や「外国のスパイ」などと名指しされる恐怖と悲しさはどの国の人間でも自らに置き換えて想像することが出来るものです。
つまり、ロシア人だというだけでウクライナ侵攻の責任を問われ非難され続けることは理不尽ですが、明確にロシア政府を批判して別の不利益が生じてしまう可能性を恐れ沈黙を続けることは人間的な葛藤として十分理解出来るものであると言えます。戦時下に於ける個人の発信には個人の正義の解釈によって権力者を支持する・支持しないというスケールの大きな問題ではなく、短期的に自身の生活がどうなるかという個人的な問題の方が強く影響する場合も考えられるのです。
勿論、『レラ・アボヴァは内心では侵攻を支持しているが西側諸国で仕事をする為何も言わない』という可能性もあり得るため「彼女は沈黙によって戦争を支持している」という批判にも一理あるわけですが、共同体の中で生きる人間の心理は複雑だということは留意しなければなりません。
クラウゼヴィッツの三位一体理論
18世紀のプロイセン王国で産まれた軍人カール・フォン・クラウゼヴィッツは『戦争論』の著作で知られる軍事学者でもあり、彼は自身の軍事思想として三位一体理論を展開しています。
曰く、戦争は感情・政治・軍事力という3つの力の相互作用によって決定されるもの。戦争は単なる軍事的行為ではなく政治的行為である為、戦争の維持には国民の情熱が必要になる。国民の支持がなければ軍の士気を維持出来ず、その正当性を失ってしまう…というものです。
太平洋戦争時大日本帝国が国民向けの情報発信で戦果を偽り続けたこともその一例ですし、強大な軍事力を誇るアメリカが目的を達成出来ぬままベトナム戦争から撤退せざるを得なくなったのも国民の支持を失ったことが大きな理由でした。
前述した通り2022年に始まったロシアによるウクライナ侵攻は2年以上が経過した現在も継続しています。西側資本の殆どがロシアから引き揚げられた為経済や国民生活には確実に打撃となって表れている筈ですが、戦争は維持出来ているのが現実です。
こうした現状はやはりロシア人の多数が戦争に協力的(或いは"邪魔はしない")であることの証左である様に思えます。
悪魔化されるニコ・ロビンとレラ・アボヴァ
ONE PIECE読者であればニコ・ロビンという人物が苛烈で悲劇的な過去を持っていることは周知の事実です。
オハラに対するバスターコールと避難船すら破壊する"正義"によって世界政府は空白の100年を解き明かそうとするオハラの考古学者達を抹殺しようとしました。
ジェノサイド(Genocide)という言葉はナチによるユダヤ人虐殺を受けて作られた言葉で、ギリシャ語で人種・民族などを表す"genos"と、ラテン語で殺すことを意味する接尾辞"-cide"を組み合わせることから成り立っています。残虐な方法で人間を殺害することが『虐殺』ならば『ジェノサイド』は国家・民族・人種・宗教集団そのものを消し去ろうという悍ましい憎悪を表しているのです。
ONE PIECEの世界で世界政府がオハラに対して実行した破壊行為は正しくこのジェノサイドに当たると考えられます。
プーチンは予てより『現在のウクライナ地域は本来ロシアの一部』といった国家観を持っており、そうした思想がウクライナ侵攻の一因となっていると考えられます。彼はクリミア併合時の演説でこうした発言を堂々と述べましたが、そこからはウクライナ人というアイデンティティや地図上のUkraineという表記を実質的に消し去りロシアに吸収してしまおうという恐ろしい意思が感じられました。そういった意味で現在のロシア政府はONE PIECE世界の世界政府と似通っています。
ロビンはオハラの生き残り…言わばジェノサイドサバイバーですが、そうした人物を演じる存在がジェノサイドを連想する国家(または現在進行系でジェノサイドを実行している国家)と関係があるというのは確かに歪であり、考え方によっては非常にグロテスクにも思えてきます。
しかしその一方、彼女は『ロシア人』という属性のみで存在を悪魔化され非難を浴び続けています。繰り返しになりますが現在まで彼女の言葉でウクライナ侵攻を明確に支持するものは見つかっていません。
この構図は『悪魔の子』というレッテル貼りに遭い、生きていること自体が罪だと非難され続けたニコ・ロビンと重なるところでもあるのです。
ONE PIECEを素直に読めば『ニコ・ロビンに対して行われた様な迫害行為は決してしてはならない』『本人の言葉を聞くまで真相は分からない』という教訓を得ることが出来る筈ですが、残念ながら現状はそうなっていません。
もしレラ・アボヴァを非難する時が来るとしたらまず彼女の心の内を知りウクライナ侵攻そのものや民間人の殺害行為などをどの様に考えているか慎重に検討する必要がある筈です。彼女の口からそれらを正当化する論理が展開されたとしたらそれは批判を受けて然るべきでしょうし、Netflixは彼女の起用を取りやめる必要も出てくるかもしれません。しかし、現状はその段階にありません。
彼女を攻撃している方はもっと慎重になる必要があります。
レラ・アボヴァへの攻撃の多くはONE PIECEファンによるものなのか?
ところで、先日redditにレラ・アボヴァへの攻撃がONE PIECEファン界隈によるものなのかそれとも外部から来ているものかということを議論するスレッドが作られました。
確かに、redditのr/OnePieceLiveActionやDiscordサーバーでは起用に対して好意的な声が殆どで、過激な批判が目立つのはInstagramやTwitterといったより開かれたプラットフォームです。
ONE PIECEの元々の知名度に加え、実写版ONE PIECEは昨年公開直後に視聴時間でNetflix史上最高記録を樹立するなど記録的な人気番組となったが故にシーズン2の制作でも発表の一つ一つが多くの人々の注目を集めています。これは正確な統計に基づいたものではない印象論に過ぎませんが、レラ・アボヴァへの批判ツイートの中にはウクライナの議員によるものなども見られ、ONE PIECEファンではない方々や断片的な知識を持った方が相当数今回の件では動いている可能性もあります。
もし、多くのONE PIECEファンは『ウクライナには同情するがこのケースでレラ・アボヴァを批判することは間違いだ』という理性的な判断を下しているのであれば尾田氏が作品を通して描いた道義的な正しさは読者に正しく影響を与えていると言えるのかもしれません。
これは『我々はONE PIECEから何を学んだのか?』を試される機会です。
最後に
ここまでレラ・アボヴァを批判することの妥当性の欠如について書いてきましたが、ウクライナの方の立場に立ってみればこうした決定に怒りを感じるというのも私個人としては分からなくもないと思っています。根拠不明な言いがかりを付けられ自国領土を侵略され、軍だけでなく民間人・民間施設もじわじわと被害を受け続けているのですから目の前の"ロシア的なもの"に怒りをぶつけたくなる気持ちは間違いではありますが理解出来ない感情ではないと思うのです。
我々の役目としてはそうしたウクライナの方々を論理的になだめつつ、ロシア人でもウクライナ人でもない第三者はレラ・アボヴァに対する言葉を慎重に選ぶべきだと考えます。彼女の本心が分からなければ言えないことが殆どであり、伝え聞いた話や全体の構図のみでニコ・ロビンに対して行われた迫害行為をレラ・アボヴァにもぶつけるなど愚の骨頂です。
今回の件で一つ希望を感じられるのはInstagram、Twitter、YouTubeで彼女を批判するコメントと同じくらい擁護するものも多く見られるという点です。
その際頻繁に引用されているのは原作漫画375話、ウォーターセブンサーガ内でフランキーがロビンに「存在する事は罪にならねェ!!!」と説く印象的なシーン。
正義も不正義も記号的なものではなく文脈を正確に読み取ることが重要です。本当に非難すべきものを見過ごさない為にも、批判を行う際の論理は幅広く共感を得られるよう妥当性を十分に検討したものであることが大切だと考えます。
記号的な分類や属性が全てなのであればONE PIECE世界の海賊は全てが悪で海軍は全て正義ということにもなり得ます。そうではないことはONE PIECE読者ならば誰もが理解していることです。