Brahms Op. 111(SQuintet No. 2)と FSch d821 と RSchumann Op121そしてOp2
2017.09.14 Thursday |
FBから転記 FB 2017 9月12日
Brahms Op111
Johannes Brahms - String Quintet No. 2 in G major Brandis Quartett
もちろん、ベートーヴェンの「遙かなる恋人に寄す」op98 モティフが支配的と思えばまた、エリーゼモティフの反転と展開が美しい交代劇(5:33-5:50等)を織りなし――このふたつはべ-トーヴェン自身にもそれ以降のロマン派の踏襲においてもしばしば<ひとつながり>に作用する――これ以上無い馥郁たる青春の再来のごとく、じつに正直に現れている作品なのではあるが、
久々、聞いてて気になった、
18:24-39
このフレーズ(『想い』のこだま)。。。
とろい頭でしばーらく考えてて、このこだまがやって来たのは、意外とアルペッジョソナタ
(FSch d821)だった。
だけどなんかまだあるよなあ(もしかするともっと身近なのが?)
…と思ってまたかんがえていると、 次に降りて来たのが、、(/ _ ; )
(RSch op121)0:11-22
あんまりどうでもよくなくなってきた?。。。 だからして!…もっとあるかもネ。
というか、事をもっと広く長いスパンで、奥行き深く、じっくり把握しなければならないかもしれない。
これを一身に引き受ける妻クララ...。よろこびと悩みが重く、
参るなあ‥
※いまではこれを、ヨアキムがらみでチョット深刻にさえ考える
なぜならヨアキムは人間関係でここに絡んでいたのみならず、これらを踏まえた自作品Vnソナタ「Cavatina」を残しているからだ。くわしくは、この記事を後日掲載する(23/10/01)
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FB 2017 9月13日
ところで、ひきつづき
Brahms op111
昨日言っていた事案
(於:FB 2017 09/12 『想い』のこだま。Brahms op111 - FSch d821 - RSch op121 の件 )
は、部分的な問題に終始しえず、ともするとコトが拡大してきそうなのでいまはともかく、
もう一つ気になること——
このブラームスの、極めて円熟した浄らかな晩年のを聞いている間ぢゅう、
RSchのop2---若くたどたどしい、まだいかにも習作めいた作品---がなにやら仕切りと裏で鳴って仕方がない気がして来ると同時に、
もちろん、この若い自分の作品(この頃シューマンはライン川に一人旅をし、おぼれた夢を見、知人に手紙をしたためている)
これは、実際シューマン自身の晩年の作、交響曲ラインNr3 Reinische に結びついていくのだ。投身自殺をしたライン川の交響曲‥。
フォレ(シューマンの「蝶々」から作曲研究を出発した)もブラームスも、このつながりを聴取しているとみる‥
そういう説明不能な…人に根拠を示すことなどむずかしい 至極あやふやなものほどつい掴もうとしてしまう自分の感受性を、——他方で持て余しつつ——じつは密かに気に入ってもいる…。
ブラームスの人生への想いを一生かけて引きずらせる「 苦悩するシューマン」像と、 ブラームスの瞼の裡に棲む、若き微笑ましい、そして予告と暗示性にとんだシューマン。
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説明不能 ↑ そうじゃない。。。*:`( ゚д゚*)!?
op2 蝶々の、一番初めに、答えはある!!
ブラームスからの応えは、彼の作品(Op111)の中の、これまたあちこちに 反響していた...。
無論、Op111冒頭のチェロの低音部旋律が、そのままシューマン(蝶々)への、ブラームスの応え としての主題、及びその発展(変容)形——踏襲するVnによる旋律への変容形(1:58-2:25)。上昇してゆかず、※octvズレになるが)など——だともいえるのだろうが。このとき当然ブラームスは同時に交響曲ラインをも、追っている
※注)より素直に、上昇する旋律は後になってやってくる...。
...応え、としてもっとも直截なのはここ。Op111 2:25-2:46
もしくは、次の Op111 2:47-3:01(-3:06)
————どうだい?後に残された僕‥。精いっぱい やって来たといってくれるかい。それとも‥?