古い催眠?
(Twitterでの投稿を備忘録的にnoteにまとめただけ)
なんでかずっと心に突っかかってた気持ちがあって
日本の催眠が論文とかを踏まえて古いだとか
別にどうでも良いのでは...
1:AIと催眠
AIが発展していく現状で、そもそも人が体系立ててきた催眠理論並びに心理学はAIに食われる。そして人が掛ける催眠はモダンから外れる
2:古い技術の価値
古い技術体系の芽をわざわざ潰す(真っ向から否定して)のは、科学の発展的にどうなの?
古いと言われている技術をそのまま発展させた先に、新体系では発見できえなかったものが見つかる可能性まで潰す必要はあるのか?
せっかくの日本話者による"古い"催眠の発展をわざわざ世界基準で潰すのか?
3:既存技術の否定リスク
これまでの技術体系を覆らせて、混乱させて(真っ向から否定して)って
営業アプローチは、既存技術に偏った人のパフォーマンスを
著しく落とす愚策で、さすがに可哀そうが過ぎる。
まぁライバルを蹴落とす意味ではすごくいい。
4:技術選択の自由
日本では現状、医療以外では大きく規制されている分野でもないので、
これまでの技術体系が大きく生命を脅かさない限り
どの技術体系を選ぶかは術師に委ねられるべき。
逆に、生命に危険が及ぶ技術体系があると知っているならば
周知すべきであり、働きかけるのが人道的だと思う。
所感
これまでの催眠を学ぶ上で便利な言葉たちが多く存在していて、
トランスだったり催眠状態だったり意識無意識など、
最終的には抽象化体系化される”何か”なのかもしれないけど、
これらの言葉を亡きものにするには
”言語的特訓だけ”では無謀が過ぎると感じる。
恐らくそこには肉体的アプローチ体系が必須なのだろうと、
通話催眠を10年続けてきた自分には感じる。
(別に予想が外れててもどうでもいいが)
人に説明する。自分を納得させる。
そのための言葉を破壊する行為はあまりにも人道的ではないと感じた
もし言葉を破壊する意図があるならそれはウィルスだ