noteをはじめて1か月ちょっと
noteをはじめて1か月ちょっと経った。教師を辞めることになったのがきっかけで、その時の気持ちを残しておきたいなって思って始めてみた。
自分の気持ちを残すだけなら、Wordとかに打ち込んでパソコンに保存するだけでも別によかった。
それまでnoteの存在を全く知らなかった。どうやってnoteを知ったのか、実は1か月前のことなんだけど思い出せない。新規登録する前に、いろいろな人の記事を読ませてもらったけど、とてもじゃないけど自分の記事が読んでもらえるなんて思えなかった。
手法は違えども、みんな自分の世界を表現している。文章で、漫画で、写真で、音声で、音楽で。一つ一つの記事が輝いて見えた。まぶしかった。
だから新規登録しようかどうかすごく悩んだ。でも、そのまぶしさに吸い寄せられたのか、気が付いたら新規登録をしていた。
このnoteの片隅を借りて、自分を表現して、運が良ければ何人かの人に見てもらえればいいかな、くらいの気持ちを持って書き始めたのを記憶している。
下の記事でかえるさんが、noteを「真っ暗な夜の海にボトルメールを投げ込んでいるような気持ちでやっている」と書いていた。まさにそのような気持ちだったのかもしれない。
最初の記事は「呼名への思い」。あまり語彙力もなく、気の利いた文章も書けないので、思ったことをそのまま書いてみようと思った。チュートリアルに、最初はお題に沿って書いてみるといいよ、なんて書いてあった気がしたので、ちょうど「みんなの卒業式」ってお題が目に留まり、それで書いてみた。
書き終わって、投稿をクリックするときは緊張した。誰も私の文章は見ないだろうと思っていても、何か気恥ずかしかった。その一方で、まぶしい星々が輝くこのnoteの世界の片隅に入れてもらえたことを嬉しく感じた。
最初の記事を投稿してすぐさま、教師を辞めようと思った自分の気持ちを書いた。これが最初の目的だったからね。
誰にも届くことはないと思っていたボトルメール、でも、読んでくれる人がいた。それだけでも嬉しかったのに、スキをくれる人もいた。
自分の記事を読んでくれるということは、その人の時間を私が奪っていることになる。こんな拙い記事にと、申し訳なさを感じるとともに、感謝の気持ちでいっぱいにもなった。
せっかく始めたnoteなわけだから、三日坊主にならないようにと、テキストだけでは大変なので、つぶやきも含めて何かしら毎日投稿しようという思いでいろいろ書いてみた。
そのうちコメントもつき始めた。正直これはスキ以上に嬉しかった。穿った見方をすれば、スキって別に記事を読まなくても押すことはできる。でも、コメントは記事を読まないと書くことはできない。
コメントでは、記事を書いたときに自分では考えなかった観点や、新しい視点なんかを示してくれることがある。それに対してどう返信するか。頭を悩ませた。
でも、コメントのやり取りをする中で、他者の考えに触れることができるし、自分の記事への考えが深まったりする。自分の考えとは真逆のコメントもありがたい。
noteってコメントまで含めて一つの記事として成り立っているんだ
って、最近では考えている。
だから、スキをもらえるよりも、何でもいいからコメントをもらえる記事を書くこと、これが理想なのかもしれないな。