【回顧録】初めて沖縄に行ったときの話

遠い過去の旅の話を回顧録として綴っていきます。今回は大学生の頃に初めて沖縄に行ったときの話です。

初めて沖縄に行ったのは1997年7月17日、大学3年生の夏休み、私は沖縄から北海道に向かうという行程で日本横断の旅を行いました。そのときに自ずと47都道府県制覇したことになります。その中でも沖縄は特別視していて、約30日の旅の中で3泊4日を沖縄で過ごしました。その時の話を記憶の限りで書いていきます。

飛行機で沖縄に着いて、まずはバスで名護に行きました。名護では旅館に泊まり、その旅館の名前は覚えていないのですがどのあたりにあったかは覚えています。ただ今ではそのあたりに旅館はないので、もうなくなってしまったのでありましょう。ちょっとしたカルチャーショックだったのは旅館に風呂がなかったこと。シャワーしかありませんでした。沖縄の古い宿泊施設だとわりと普通なのでしょうが、旅館に風呂があるのは当たり前だとおもっていたので、そのときは衝撃を受けました。

翌日、名護十字路から運天港までバスに乗って行きました。バスを待っているときに地元のおばぁたちがいて何かを話していたのですが、全く理解できず、もはや外国語でした。当時は名護から今帰仁村仲宗根経由で運天港まで行くバスがあったのですが、今はもう無くなっています。ただ、やんばる急行バスが那覇から来て名護、本部経由で運天港まで行くようになっています。運天港まで行ったのは伊平屋島に渡るためですが、バスと船の接続が悪く、2〜3時間は待った記憶があります。その間に古宇利島に向かう小さな船が不安定に揺れながら進んでいく様子を見ました。その古宇利島も今では橋が架かり沖縄北部の一大観光地となっており、まさに時代は変わりました。
伊平屋島に行ったのは、とある本に伊平屋島は素晴らしい島、みたいなことを書いたのを読んだためでした。ただ、今にして思えば沖縄に初めて行く人が行くのはどうかという感じで、何回か来て段階を踏んでから来てもよかったのでしょうが、それが若さというものでしょうか。伊平屋島では伊平屋観光ホテルという宿泊施設に泊まりました。ここは今でもあるようです。観光ホテルという名前ですが、旅館に近く、やはりシャワーしかないタイプでした。伊平屋島ではレンタサイクルを借りて島を一周して野甫島にも行きました。途中、ダートの道を走ったときに自転車がパンクして自転車を押してレンタサイクルの店に戻ったりもしました。

伊平屋で一泊して、伊平屋島から運天港に戻り、バスがなかったのでひとまず仲宗根までタクシーで移動したのですが、1時間くらい待ち時間があって湧川という場所まで歩きそこからバスに乗りました。このときに沖縄の日差しを浴びてかなりの日焼けをしてしまいました。当時はスマートフォンどころか携帯電話も持っていない、インターネットもそれほど普及していなくてバスの時刻をネットで調べることもできず、出たとこ勝負のところがありました。そういう旅もいいところはありますが、今その時代に戻るのは辛いものがあります。
名護から那覇に戻り、沖縄国際ユースホステルに泊まりました。ここは今でもあります。大学生の頃はユースホステルクラブに所属しており、旅先ではユースホステルに泊まることも多かったです。検索してみると母校のユースホステルクラブのXのアカウントを見つけてこれも時代かと思いましたが、1年以上更新がされていませんでした・・・。その際はユースホステルクラブのメンバーが同宿しており、顔をあわせて会話した記憶はあります。このとき既に日焼けの症状があり、風呂に入ったときにヒリヒリしていました。北国育ちの私は沖縄の日差しを完全に舐めていました。朝食はユースホステルで食べましたが、夕食は牧志公設市場で食べたかと思います。わりと強引な客引きをしていた頃の牧志公設市場で、その記憶があります。

翌日、那覇空港から鹿児島空港に飛行機で飛びました。初めての沖縄を私なりに楽しめました。


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