上下関係は苦手です
私は上下関係は苦手です。
特にスポーツ系の上下関係は嫌い。
9歳から剣道、13歳から空手を始めました。
理由は、祖父の『柔道やれ🔥』が嫌だったので💧
そもそも、柔道は祖父の遠い親族のお孫さんが私と年が近くて、幼少期から凄く強い子供でした。←後々、小中高で何度か日本チャンピオンになっていて、更にワクパク相撲では、あの若貴のお兄ちゃんこと花田氏を数秒で倒した実力でした。
数年前に『何かの番組で、柔道のオリンピックメダリストの吉田氏と相撲の花田氏が、彼は強すぎた!』と言わしめるほどの実力でした。
その親戚は、オリンピックのメダルを期待されていた矢先に怪我で選手生命を絶たれてしまいました。
そんな人と凡人以下の私は、常に祖父に比較されていたので、柔道から逃げるために、剣道を始めました。
しかし、剣道が東京23区では有名の超スパルタ道場でした。←知らずに入ってしまいました。
でも、辞めると『即、柔道です。』
私は幼少期は病弱でヒョロガリでした。
小学校のクラスのジャイアンみたいな複数のイジメっ子が、地元の柔道に通っていたので『柔道だけは行きたくなかった』のです。
しかも、初段を取得するまで辞められません…。
先生、先輩のシゴキに耐え、先輩のイジメのような可愛がりに耐えて、初段を取得した翌月に辞めました。
祖父『柔道やるか🔥』←親族のお孫さんは日本チャンピオンになっていた。
私『空手をやるのでやりません💦』
そして、翌週から空手教室を探しました。
そんな時に、母親が小学校の体育館で空手を教えている教室を見つけました。
そして、すぐに通う事になりました。
良かった点は、大人の生徒がゼロ。
そして、高校生のお姉さんが一番年上で、年下は幼稚園児でした。
剣道のスパルタとは真逆で、とても優しい先生でした。←イメージとしてはアンパンマンのジャムおじさんのような雰囲気です。
物覚えが悪い私にも、理解できるまで教えてくれました。
そして、特別に朝練まで指導してくれる事になりました。
朝練は、先生が務めている証券会社の会議室を利用して、毎朝5時半から7時半まで稽古をしてくれました。←実は、空手5段、柔道5段、合気道5段、居合道3段の凄い先生でした。∑(゚Д゚)
13歳から15歳までの2年間、ほぼ毎朝通い続けました。
ただ、私は型の才能は皆無で素質ゼロでした。
そして、先生は組手に力を注いでくれました。
習い始めてから2年間はダメダメでしたが、根気強く指導してくれたお陰で、16〜20歳までは空手の大会で常に上位になっていました。
高校でも空手部に入部しましたが、ここで先輩後輩の洗礼を受けました。
夏合宿が終わって、3年生が引退した瞬間から2年生の雑魚が練習をサボり、先輩ずらしていた事に腹が立ち、次の日から夏休みの練習をボイコットしました。
案の定、家に連絡があったので「サボる人の下では練習したくないです。』と伝えたら大激怒💢
『テメェー、誰に向かって口聞いてるんだ!お前ボコボコにしてやるからな、』とキレられたので、『やれるもんならやってみろ!』と言い放って電話を切りました。
当時、私は自動車科で、1人以外の先輩以外は空手部の先輩たちと校舎が違っていて集団リンチは回避できました💡←翌年に自動車科の先輩は留年して隣のクラスになりました💦
高校の空手部の先輩を悔しがらせる為に、空手道場の練習には熱が入りました。
秋の東京都の空手大会で、当時の日本チャンピオン(東京都の有名高校の空手部の主将)と対戦して、最初の2本先制し、あと1本で大金星だったのですが、意識した途端に逆転負けしました。
本来なら東京代表の補欠に選ばれたのでしたが、大会員が私の名前を間違えてしまい、私はそのまま帰宅して補欠は別の人になりました。
そこから、空手の先生が在籍している本部道場からも注目されて、17歳からは大人の大会に参戦させられました。←初出場で銅メダル
そこから、年に2回の大きな大会でも成人の部に強制的に参戦させられて2回ほど優勝しました。
そして、17歳の時に六大学の某空手部の主将と対戦して、3対0で勝ちました。
次の対戦相手は、その空手部の2年生でした。
試合開始直後に、フルパワーで顔面を殴られました。←主将の報復でした💢
鼻が大きく腫れあがり、口から拳ぐらいの血溜まりが出るほどの反則攻撃でした。
相手は一発退場で、審判が集まり『某大学空手部』の悪質な報復を厳重注意してました。
結局、その後も鼻血が止まらずに、決勝は棄権して3位入賞でした。
トイレで鼻を冷やしていたら、当事者の大学2年生が隠れて謝罪してくれました。
『本当に申し訳なかった…。3年生に報復しないとお前ら1〜2年をボコボコにするから、絶対に半殺しにしろ!』と言われて、仕方なく反則したみたいです。
その後に、空手部の主将が謝罪に来てくれまして、指示した3年をボコってました。
そして、『大学の顧問に推薦するから、ぜひ空手部に来ないか!』とスカウトされました。
しかし、ボコられた3年が私の代には4年生になるので、絶対に私はボコられます💧
『光栄です。』とだけ返答して、絶対に入るもんか!と心で誓いました。
その後に、別の六大学の空手部からも推薦入学の話がありましたが、当時の空手部は4年生は神様、3年は一般、2年は下僕、1年はゴミみたいな扱いだったので、丁重にお断りしました。
そして、実家の家業を手伝いながら、バイクレーサーを目指しましたが、コースのライン取りが下手すぎてプロレーサーは諦めました。←そのうち投稿するかも。
話は戻ります💦
20歳の時には、色々な流派が集まる区大会でも優勝しました。
だんだんと、本部の人から強制的に色々な大会に『強制的に参戦させられる』事になりました。
人から指図されるのが大嫌いだったので、段々と空手に嫌気がさして、その後はバイクやスキー、サーフィン、車に興味が湧いて、空手の練習も休みがちになり、そのまま幽霊部員になりました。
25歳の時に、空手の先生が高齢の親の面倒をみるために、故郷に戻る事になり、空手教室が無くなりました。
最後に、小学校体育館に集まり、当時の教え子と組手をして終わりました。
現在も私が高校時代に教えていた小学生だった後輩とは付き合いがあります。
みんな会社の経営者だったり、経営者の妻になっていて、大人になってから追い越されました💦w
まぁ、それでも付き合ってくれる後輩たちには感謝してます。
そんな訳で、体育会系の先輩後輩の縦社会は、いまも大嫌いです。
実力がないのに偉そうな社長とか役員も苦手です。
20代の頃は、『うちら下請けを安い工賃で発注して、自分の会社だけ大きくなってる!』と心の声を、そのまま相手に伝えてしまい大激怒させました。←4件ぐらい取引先の社長に言ってしまいまた💧
まぁ、実際に本当の事なんですが…😊💦w
でも、複業をやり始めて、その人たちの『やり方』が会社を大きくする正当なやり方だと気づきました。
という事は、20代の私が取引先に言った言葉は間違ってなかったですw
話が脱線しました。
高校の空手部は、3か月で辞めましたが、大人になってから空手部の先輩の結婚式に呼ばれましたw
その先輩だけは、優しい先輩でした。
空手部を辞めてからも、気にしてくれてたみたいで、付き合いがあった同期を通して連絡をもらいました。
訂正します。
実力も無く、人望も無い、練習もサボる先輩と、後輩をゴミ以下の扱いをする先輩は大嫌いです。
ビジネスも同じです。
下請け、末端の町工場をゴミみたいな扱いをする会社と、何度もバトルしてます🔥
お陰で、今は対等の扱いです。←本業の事です。
何も言えない会社もいます。
いまもゴミ以下の扱いをされてます。
私の複業は、最初から対等の扱い、又は非常に良い関係性を保っています。
逆に、お客様と仲良くなって、飲みに行ったり、大きな会社を紹介してもらったり、良い事ばかりです。
ほぼ、同じ印刷の仕事なのに、お客さんの質が全然違います。
体育会系の縦社会は、良いように回れば良いですが、悪く回るとデメリットばかりです。
だから、今のフラットな関係性が凄く好きです。
年功序列や終身雇用よりも、実力主義の方が良いと思っています。
コロナで「古い体制』から『新しい体制』に、強制的に移行します。
体育会系の縦社会から、年齢や性別を超えたフラットな社会に移行すると思います。
移行期間は、変化の狭間で大変ですが、少しずつ良い方向に進んでいくと祈りつつ今日の投稿を終わります😊
眠くて、支離滅裂な投稿のまま終わりますが、毎度の事なのでご了承ください😊💦
頂いたサポートは、新商品の開発や実験、新しいチャレンジへの資金として有効に活用させて頂きます!