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人生の転換期
今まで、怒りをバネに頑張ってきた。
バカにされたこと
他人にできて、自分にはできなかったこと。
悔しさと反骨心だけをエネルギー源として動いてきた。
そして、怒りのエネルギーは凄いけど、同時に身体も蝕む。
仕事の方向性で父親と揉めた時、理不尽な要求をされた仕事をした時は、色々な成果を出せるものの、その後にギックリ腰になることも多かった。
怒りのエネルギーで行動ばかりしてきたから、それ以外の原動力の活用が下手すぎる。
好きなようにしてくれてと言われると、逆にサボったり、上手く対応できなくなるような行動をしてしまうこともある。
セルフイメージの低さ、現状維持に固執してしまう脳の仕組みなどの影響も少なからずあるかもしれないけど…、それ以前に『目的の土台』がしっかりしていない。
なぜ、「その行動」をしたいのか?
本当に行動したいのか?
俺は一体なにをやりたいのか?
気がつけば、最初に立てた目標をすぐに見失ってしまう。自分で自分の首を絞めてしまう行動を無意識にとってしまう。
そもそも、怒りのエネルギーは、主にマイナスだからプラスエネルギーが圧倒的に足らない。
それを補うように「自分以外」からプラスのエネルギーを借りてしまう。
そして、常にアンバランスで生きているから、物事が停滞してしまったり、行動のリズムが一定しない。
思うような行動ができないから、自分でも知らないうちに、怒りのパワーを欲する行動を無意識に取り続けていたと気づく事象が次々と起こる。
怒りのパワーを求めることを「自分自身」が、気づかなければ気づかないほど、自分の周りと自分のズレが広がり、「上手くいかない世界」を自らの手で作ってしまう。
その過ちに気づいた後は、自分自身の行動に怒り、最終的には「その原動力」を使って「やっと行動する」というパターンが完成する。
果たして『これが本当に自分が望んだ行動』なのだろうか?
現状を打破したい。
現状を良くしたい。
そう思っているのに、思考がまとまらず行動が上手くできなかった。
何をするにも不器用すぎた幼少時代から『行動をする手段』として、いつも怒りのエネルギーだけを使い続ける。
ポンコツが、怒りのパワーで「変われた」というダメな成功事例にずっと頼っている。
何十年も「そのエネルギー」だけに頼り過ぎた。そして、「いま」という現実を引き寄せただけ。
気づかせてくれるサインは、振り返ってみると「数えきれないほど」多くのサインがあった。
しかし、怒りのエネルギーだけを多用した人生を手放せなかった。
手放して「普通のことが何もできない自分」に逆戻りするのが怖かった。
「普通のことが何もできない自分」を認めるのが怖かった。
怒りのパワーを使えば、確かに「その瞬間だけ」は、普段の自分以上のポテンシャルを出せる。
怒りのエネルギーを使い果たしたら、またポンコツな「普段(いつも)」の自分に戻ってしまう。
『普段のポンコツな自分』と『怒りのエネルギーを使った自分』との行動のギャップを埋めるために、遅かれ早かれ『自分自身や自分に近い人たち』が巻き添えになってしまう。
私の人生が空回りする原因は、『怒りのエネルギー』を使って「普通の人のフリ」を続けた結果。
「できない」という呪縛に囚われすぎて、怒りのエネルギーを使って「擬似的な『できる』」を維持しようとした。
怒りのパワーを使わない『ポンコツ』な状態で、本来の『できない自分』を素直に受け入れる。
できるフリなんて、怒りのパワーを使っても短期間しか続かない。
もう、素直に【ダメ人間】を認める。
一度、沼の奥底に落ちるまで、『何もできない』自分を認める。
偽らない『素』の部分を隠さないで生きる努力をする。
嫌われたくない。
できない人間と思われたくない。
そんな風に思った所で、結局は長続きできず『最後は怒りのパワー』に固執して、最終的には同じ道を辿るのなら、もう「ダメな部分」すらも本当の自分と認める。
色々な方のお陰で、自分を客観的に気づけました。
ありがとうございました。
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