今日は大ボラを吹く日だって、Instagramのドクターコパが言っていたので、「純金製の等身大の自分の像を立てたよ」
1人でそんなこと叫んでみても、虚しいだけなので、noteに載っけることにした。
noteに載っけたからって、誰が見てくれんのって思うけど、まぁ誰か見てくれるかな?
本当は友達と大声で海に向かって叫んだら良いのかもしれないけれど、何を馬鹿なことを言っているんだと思われるのが落ちだし、海は近くにあるけど、1人でそんなこと叫んだら、ご近所から何言われるかわからない。だから、車の中で叫んでしまうんだ。私は純金製の等身大の自分の銅像を建てたよ。
でもこれって、私がしたい事なのかな?
冷静に、それだけの資金があったら何したいかなって考えた。
ブックカフェを経営したいんだよね。
本はね、ここ長崎出身の作家や長崎を舞台にした本を並べて、入れ物はね、キノコの形で、漆喰と藁で造られてて、冬はおこた入れて、ぜんざいとか振る舞うの。
おばーちゃん家の冬休みが、コンセプト。
なんで、長崎限定かと言うとね。
私、生まれも育ちも東京なの、だから、地方ニュースって、あんまり、縁がなかったけど、長崎来たら、毎日のように、原爆関連のニュースがあるの。
日本被団協が、ノーベル平和賞を受賞するってなったとき、これって、よろばしいことなのかな?と、皮肉屋の私は、思ってしまった。
あ、なんか、話しが少しずれた。
日本て、地域色ゆたかだよね。
ヨーロッパだったら、独立国になるくらい言葉や気候が違うと、東京から出て初めて感じた訳。
で、自分の生まれた場所や住んでいる地域のこと、どれだけ知っているかと考えた時、歴史とか、ほとんど知らないなぁ、東京とか変化速くて、アルタの前は、ニコウだったんだよと言っても、アルタってなに、と、言われるだろうしね。
八月九日は、何があった日
と訊かれて、長崎に原爆が投下された日と言われてもピンと来ない人は、いる。
私自身、東京で生活してた時は、過去の話しと言う捉え方だった。
だから、わざわざ、お金と時間使って来てくれた人に、地域のこと知ってもらえる場所作りたいです。
地域の人には、用事がなくても、ちょと立ち寄って、おしゃべりしてもらえる場所になったら良いな。
で、みんなで、ダラダラ楽しい時間を過ごしましょう。
銅像建ててもらえるような、人間にはなれない。
私が、今この瞬間に消え失せても、世界は回って夜は明ける。
毎日、献立に悩んで、晩酌の長い相方に悩み、後悔して、それをネタにお茶を楽しむ。
崇高な志は無く、世界をあ!と言わせる発明も出来ない。
そう言ったものは、人目を引く装飾品のようなもので、世界の大部分は、たわいないおしゃべりで、出来ている。
そう考えると、私も大した者だと胸を張りたくなる。
世界中の人が、爆音に晒される事なく、
美味しいお茶とお菓子を食べながら、たわいない会話を楽しめる。
そんな世界が、私の求める世界。
今はまだ、夢かもしれないけれど、それは、すぐそこにある。
あの日を、2度と繰り返さないために、声をあげ、行動する人達がいるのだから。