「一年後の自分への手紙」が届かないので探し回った話
手紙を書くのって照れる。それも「自分への手紙」となれば、なおさら照れる。自分の声の録音を聞いたり撮られた映像を見返したり、そういう時も結構恥ずかしいが、自分へ手紙を書くのはまた極上の照れがある。
僕は中学校の授業で自分への手紙を書いたことがあり、書き出した時点で早々と打ちのめされたのだが、その授業ではなんと手紙の内容を発表させられた。その時間はもはや「恥ずかしい」というよりは「今すぐ自爆したい」という感想しか出てこず、気分が悪くなって早退した。それ以来、自分への手紙というのはトラウマだ。
だから自分がもう一度手紙を書くなんて、いや、正確には書いたなんて、そのLINEを見るまでは思いも至らなかった。
同級生のLINEグループだった。そこには写真付きで「手紙が届いた」という報告が並び、それに対して「届いてよかった!」という返信がつく。この時点で首を傾げた。手紙って何だっけ?
読み進めるうち、僕の顔は青ざめていった。
ちょうど一年前、ある同級生の結婚式があった。式は趣向が凝らされておりいたく感動的で、僕は思わず泥酔した。しかしどうやらプログラムの最後に「一年後の自分へ手紙を書く」というイベントがあったというのだ。
記憶の糸を手繰り寄せる。確かにあの日、何かを書いた気がする。内容は全く覚えていないが、青い封筒を受付に渡した場面がフラッシュバックした。まさか、あれが自分への手紙だったのか。
LINEを眺めていると、どうやらグループにいる全員にその手紙が届いたという。
おかしい。
手紙、届いていない。
冷や汗が背中を伝う。書いた手紙が、なぜか届いていない。そしてその理由はなんとなく想像がつく。
数ヶ月前に引越しをしたのだ。転居手続きは「e-転居」という日本郵便のWebサイトでおこなって、そのサービス上では確かに手続き完了の画面が表示されている。
しかし実際に郵便局に行って問い合わせると、嫌な予感は当たっていた。応対したメガネの郵便局員は眠たそうな声で、「いやあ、手続きされてないですねえ」と言い放ったのだ。
サイト上では完了表示されていると食い下がっても、彼は独り言のように「たまにあるんですよねえ」と言った。「だから紙でやるのがいいんですよねえ。」
え、ちょっとどうなのその態度?紙でやるのがいいの?じゃあ何であのサイトあるの?そのメガネすごいオシャレじゃない?色々反論したくなったけれど、しかし局員と揉めている場合ではない。ひとまず紙での転居手続きを再度済ませ、急いでとある人物の連絡先を探す。
僕がここまで焦っているのには、理由があった。
引っ越しをしたときに、実は空いた部屋を友人に紹介していたのだ。退去する部屋を紹介することで、お互いに紹介料が入る仕組みだった。友人もちょうどその地域に部屋を探していたので、渡りに船だったようだ。
転居手続きが失敗していたということは、僕の手紙は以前住んでいた住所、つまり今友人が住んでいる部屋に届いているはずである。
問題はその友人にある。昔のバイト先の同僚だったその友人は、顔の形がおにぎりに似ているのでここでは「おにぎり」と呼ぶ。
僕とおにぎりは仲が良くて、仕事終わりには必ず一緒にラーメンを食べた。おにぎりはいつも大盛りのラーメンに半炒飯をセットでつけて、おかげで会うたびにその体躯は巨大化していった。
バイトの業務内容は「紙に書かれた住所をExcelに転記し続ける」というもので、一言で表すと地獄だった。この作業に一体なんの意味があるのか、このExcelが何に使われるかも知らされないまま、僕たちは賽の河原で石を積み上げるように、ひたすらにキーボードを叩き続けた。
ある日死んだ目で住所の羅列を見つめていると、後ろで「ふわぁ」と気の抜けた声がした。振り返るとおにぎりが頭を抱えていて、顔が真っ青になってシソおにぎりみたいになっていた。
事情を聞くと、単純作業に辟易したおにぎりはExcelのマクロ機能を利用して作業の効率化を試みたらしい。だがそのプログラムはおにぎりの手を離れ暴走し、なぜかそのシート上のデータを全消去したという。どうすればそうなるのか理解不能だったが、とにかくそれで僕たちの3日分の作業が無駄になった。その晩、おにぎりは麺が喉を通らないと嘆きながら替え玉をしていた。
昔話が長くなったが、ここで言いたいのは「おにぎりには抜けているフシがある」ということだ。未処理の書類をシュレッダーにかけたこともあるし、PCにコーヒーをぶっかけたこともあった。それでも何だか憎めないのがおにぎりのいいところなんだけど、こと今回に関しては事情が違った。
「自分への手紙」は宛名が僕の名前になっているはずだ。だが僕は確信していた。おにぎりは宛名など確認しない。届いた手紙はとりあえず片っ端から開けてしまう。そういうおにぎりだ。おにぎりが郵便受けを確認する前に、何としても流出を食い止めなければいけない。
僕は急いでおにぎりにメッセージを送った。
2日後。返事がない。
間違いない。
こいつ、手紙を読んでやがる。
読んでしまって、気まずいから返信ができないのであろう。そもそも部屋を紹介してやったというのに、それからなんの音沙汰もない。あんまりではないか。
しかし怒りよりも先立つのが、猛烈な恥ずかしさである。僕は手紙になんて書いたのだろう。すっかり泥酔していたので、なんの記憶もない。
一年後の手紙って、普通何を書くものなのか。もし将来の夢とかなんかの格言とか、自分へのエールとか書いてたらどうしよう。想像すると恥ずかしさで血管がグツグツ煮えたぎって、そのまま蒸発してしまいそうだ。恥ずかしさで死んでしまう。恥死だ。手紙の中身を想像してはのたうち回り、毎晩一人で奇声をあげた。
一年前の僕へ。
君が今一生懸命に書いている抱負や自省は、決して君に届くことはない。代わりにおにぎりに届いている。どうか、変なことを書くのはやめてほしい。
痺れを切らした僕は、ある行動に出た。
手紙には手紙で対抗である。おにぎりに手紙を書くのだ。幸い、以前住んでいた住所は暗記している。自分への手紙は書けないが、おにぎりへの怒りの手紙ならどんどん筆が進む。結果、呪いみたいな手紙ができた。
♢
♢
ちょうど仙台に行ってきたので、お土産の銘菓「ずんだ餅」もセットである。おにぎりは甘いもの好きだ。銘菓が同封されているとなれば、きっと彼も約束してくれるはずである。
手紙を送った後日、おにぎりから返信があった。
住んでいないだと?
そう言えば、管理人から紹介料が振り込まれたという連絡はまだない。
おにぎりは、手紙を読んだことではなく、紹介した部屋に住まなかったことが気まずくて返信しなかったのだ。ぼーっとしてたってなんだ。ぼーっと生きてんじゃねえよ。
こうしておにぎりが僕の手紙を読んだという線は消えた。しかし依然として、赤の他人に届いた可能性は残っている。それはそれで厄介である。
居ても立ってもいられなくなり、ダメもとで前のアパートの管理人に電話してみた。すると、なんと今そこには誰も住んでいないという。
僕は心から安堵した。そのまま管理人に頼み込んで、郵便受けを一緒に確認することにした。
♢
久しぶりに会った管理人は、心なしか不機嫌そうだった。居心地の悪さに何か話題を振ろうと思って「この部屋、まだ住んでないんですね」と言うと、「あなたの紹介に空けといたんですけどねえ」と皮肉を返された。そうか、それで機嫌が悪いのだ。あのおにぎり野郎。その件はすみませんと謝って、いそいそと郵便受けを確かめる。
そこに入っていたのは大量のチラシと、一枚の手紙。
それは僕がおにぎりに送った手紙だった。期せずしてまた自分への手紙を書いてしまった。このまま燃やそう。
しかし、他に手紙は見当たらない。そう、一年前に書いた「自分への手紙」はなかったのだ。なぜだ。なぜないのだ。
「もういいですか?」
管理人の声がして、僕は我に返る。
管理人はさっきよりも不機嫌な表情になっていて、僕はお詫びにずんだ餅を差し出した。断られた。帰り道で食べた。甘かった。
それにしても、僕の手紙はどこへ行ったのか?
悶々とした日々を過ごした。もはや他人に読まれるという心配よりも、とにかく手紙の内容が気になった。もともと自分への手紙なんて見たくもなかったのに、いざ読めないとなると逆に興味をそそられる。怖い。怖いから見たい。いびつな好奇心に支配されて、僕の心はじりじりと疼いた。
♢
しかし数日後、事態は急展開を迎える。
郵便受けを確認した僕は思わず声をあげた。
手紙、届いてる。
めちゃくちゃ急に届いてる。
どういうことだろう。
郵便局で紙の転居届を出したからだろうか?だが封筒に記されている「配達指定日」はそれよりも明らかに古い。この日付であれば、以前のアパートに届いているはずである。
これはあくまで予想だが、e-転居で手続きした際に、転送先の情報登録に失敗したのではないか。それで行き場を失った手紙は、以前の住所の郵便局に保管されていた。その後オシャレメガネ氏の郵便局で紙で手続きしたことによって、初めて情報が登録され、配達されるに至ったと予想する。
世界一無駄な図解をした気がする。真偽は不明であるが、そんなことより重要なのは、手紙が未開封で僕の元に戻ってきたという事実である。僕は胸をなでおろした。本当によかった。一年前の僕へ、君の手紙はちゃんと回収したよ。
さて、気になるのはその中身だ。もはや誰に見られる心配もないので、余ったずんだ餅でも食べながら開けることにする。
ああでもやっぱ照れるな。開ける前からすでに照れる。照れるんだけど、何故だか悪い気はしない。まるでタイムカプセルを開けるような、どこか不思議な高揚感がある。
僕が必死に追い求めた手紙。そこには一体、何が書かれているのだろうか。一年前、自分に向き合った自分は、果たしてどんなメッセージを伝えたかったのだろうか。もしかしたらそれは今の僕にとって、何か重要な示唆を与えてくれる存在かもしれない。
封筒には便箋が一枚入っていて、
僕は深呼吸をし、ゆっくりと便箋を開いた...。
?
なにこれ?
なにこれ?
ずんだ餅を片手に、僕はあっけにとられる。
あらゆる角度から手紙の内容を推察していたが、これは予想外すぎる。恥ずかしいとかそういう次元の話ではなくて、ただただ意味不明である。
おそらくこれは、豊島屋の銘菓「鳩サブレー」を描いていると思われる。
なぜ鳩サブレーなのか、鳩サブレーにしても向きは逆だし、あと絵がすごい下手である。一つだけわかるのは、鳩サブレーといいずんだ餅といい、無意識のうちに自分がかなりの銘菓好きだということである。
それにしても、
なんで産地まで書いてあるの?
正気の沙汰ではない。僕はこんなものを手に入れるために駆けずり回っていたのか。自分で自分が気持ち悪い。気持ちが悪いからこれ手元に置きたくない。でも捨てるのも忍びない。だから僕はこの手紙を供養することにした。
♢
こういうサイトを見つけた。
指定の封筒に手紙を入れると、一年後の自分に送られてくるサービス。結婚式で行われたイベントと、全く同じ体験を提供してくれるのである。
僕はサイトで封筒を購入し、
読んだばかりの便箋に追記をしてその中に入れる。
そして出した。
さらば手紙。もう一度、一年後の自分にバトンを渡すのだ。
きっとまた夏が始まる頃に、この便りが届くのだろう。
一年後の僕は、辛く厳しい日々を過ごしているのだろうか。それとも、甘くとろけるような日々を過ごしているのだろうか。
銘菓だけに。
この記事をボリュームアップしたものが、『0メートルの旅』という本に収録されています。ほかにも南極旅行から始まり、アフリカやイランを経て、最後は近所や部屋での旅行まで。読み進めると距離が近づいていく、ちょっと変わった旅行記集です。よければぜひ読んでみてください。