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あの日の焼きそばと「PV=C/(r-g)」

投資銀行の勤務時間は9時5時で、これは朝9時から朝5時の意味である。終電を見送りながら晩御飯を食べ、始発と競争する毎日だった。帰宅してシャワーを浴びたらスーツを着て、そのまま玄関で寝た。

僕がそんな世界に入ったのは、大学を2留したからだ。それでも受け入れてくれる会社を探していた。面接ではたまたま前日に観たニュースについて聞かれ、僕はまるでイタコのようにニュースキャスターの口ぶりを真似した。そのまま偶然入社できたのは最高にラッキーだったか、もしくは最高にツイてなかったと思う。

投資銀行では、皆が忙しかった。横のデスクの先輩は今日で300連勤だと謎の記念日を祝っているし、別の先輩は食事を効率化するためピザしか口にせず、またある先輩は服を洗う時間が勿体無いと毎日新品のワイシャツを着ていた。そんな愉快な職場だった。

ただそういう偉大なる先輩たちと僕の間には決定的な違いがあって、彼らの多くが抜群に仕事ができた。僕はできなかった。1人だけ能力ではなく憑依芸で受かったので、当然と言えば当然だった。

Excelで複雑な関数を組み、企業価値のシミュレーションを行う業務を「モデリング」と呼ぶ。モデリングは新人にとって重要な仕事の1つだが、僕はそれが苦手だった。

「PV=C/(r-g)」 という式がある。

これはモデリングを行う上で最も基本的な概念であり、投資銀行マンなら誰だって使いこなせる。この式はまるで物理学におけるE=mc2みたいに色んな金融概念の原則として、株価や債券価格の算出にも応用される。

僕はこの式が嫌いだった。

理屈では分かったつもりでも、それは表層的にただ文字をなぞっているだけで、その意味を少しも腹落ちしていない。だから僕の作ったExcelシートは見かけだけのハリボテみたいで、ちょっとつつかれるとすぐにボロボロと崩れ落ちた。

上司は僕にモデリングの本質を叩き込もうとしたが、僕は打てども響かぬ地蔵のようで、しまいには「これをコピペしとけ」とExcelのテンプレートを渡された。僕は生真面目にそれを実践し、コピペ速度だけが急速に向上していった。そんな社会人として捉えどころのない、ひたすら曖昧な日々を過ごしていた。

新人が数ヶ月間を過ごすと、夏にはニューヨーク研修という素敵な「休暇」が待ち構えている。出発の前日には、先輩が壮行会を開いてくれた。
待ち望んだ研修を前に、僕は同期と有頂天になって、先輩と3人で何件もの店をハシゴした。厳しい仕事から離れられる開放感、思い描くはニューヨークの摩天楼。アルコールがぐるぐると身体を駆け巡って、手足がじんわりと痺れていく。今日はなんてめでたい日だろうと、まばゆい朝日にショットグラスを乾杯したのが最後の記憶だった。目が覚めると自宅の玄関で寝転がっていた。

身体中が痛い。特に頭が尋常じゃなく痛い。頭の中で何度も鐘を突かれているみたいだ。うつ伏せになったまま顔だけをあげ、時計を確認するとサッと血の気が引いた。

時計の針はちょうど、飛行機の出発時刻を指していた。

頭痛が嘘みたいにぶっ飛んで、跳ねるように起き上がった。なぜかバキバキに割れている携帯を見つけ出し、既に離陸しているはずの同期に電話をした。出た。同期も寝坊してた。

家を飛び出し、とりあえず成田空港に集合した僕たちは、出発直前のニューヨーク行きチケットを探した。ぐちゃぐちゃのスーツで、汗だくになりながら成田空港を走り、あらゆる航空会社のデスクを駆けずり回った。そうしてようやく見つけたのが、40万円のエコノミークラスだった。

当時の投資銀行業界では、新卒であろうと簡単にクビを切られた。
もし研修に遅れたら、僕たちもそうなってしまうかもしれない。

背に腹はかえられなかった。僕たちはそのチケットを自腹で購入した。社会人1年目には、あまりに大きな痛手だった。40万円の明細にサインした瞬間、体の力がふっと抜けて、ふらふらとベンチに座り込んだ。

疲労と後悔、自責の念、色んな感情がどっと胸に去来した。ふと、別にクビになってもいいかもしれない、と思った。ずっと噛み合わない歯車を回し続けるより、一旦全てリセットすべきかもしれない。いっそこのまま旅に出てやろうか。これまでの鬱積が一気に爆発して、全てがどうでもよくなった。

突然、ソースの香ばしい匂いが鼻をくすぐった。
空港の売店で注文していた、焼きそばが運ばれてきた。
匂いに呼応して僕たちの腹はグウとなって、2人とも空腹だったことを思い出した。

あのとき食べた焼きそばの味を、僕は一生忘れないだろう。

一口飲み込んだだけで、その暖かさが染み渡った。そばが、キャベツが、ソースが、空っぽの胃めがけて駆け下りていくのを感じた。恐らくインスタントであろう焼きそばは、本当に、涙が出るほどうまかった。僕たちは一言も発さずにガツガツと頬張り続け、あっという間にそれを平らげた。

身体の奥底から、使い果たした活力がほんのりと湧いてきた。空腹の時には出てこなかった言葉がぽつりぽつりと口から飛び出して、僕たちは語り合った。40万円の出費、どう考えても無駄だ。無駄すぎる。なんだか段々と可笑しくなって、しまいにはこの失敗を笑い合った。絶望の淵にあった僕たちは、まあどうにかなるか、という気持ちになっていた。僕たちは焼きそばに救われた。

その後なんとかクビを免れた僕は、帰国後も毎日業務に没頭した。しかし研修を受けたからといって、すぐに仕事の能力が上がるわけではない。世の中はそういう風にできている。全身全霊を注いだものの、依然として成果は振るわなかった。

コピペに頼らず、自分でゼロからExcelシートを作ってみた。PV=C/(r-g)を忠実に再現した、完璧なシートのつもりだった。セルを1つ動かすと、見たことのないエラーがディスプレイを埋め尽くした。小学生の頃にポケモンのセーブデータが消えた画面に似ていた。僕はそのシートをそっと閉じた。
海外案件にも参加した。インド人との電話会議は何を言ってるのか聞き取れなくて、とりあえず全てに「email please」と返事をした。すぐに放送禁止用語の書かれたメールが届いた。
プレゼンの機会もあった。ここが勝負どころだと2日徹夜して、「米国で注目すべきA社について」というプレゼンを作った。会心の出来だった。2週間後、A社の粉飾決算が発覚してびっくりした。

がむしゃらに働けば働くほど、空回りが続いた。手のひらですくった砂が、サラサラと指の間をこぼれ落ちていくようだった。

そんな時、ある小さな転機が訪れた。先輩の作ったプレゼン資料をぼうっと眺めていると、あるスライドに違和感を感じた。徹夜明けの赤い目をこすった。違和感は、隅っこに灰色で書かれた小さな注釈にあった。その注釈はいつものあの式に見えて、目を凝らすと

「PV=/(r-g)」

と書かれている。そこには「C」の文字が抜けていた。

100枚近いスライドの中の、たった1つの小さな注釈。放っておいても誰も気づかないはずのミスだった。ただ成果と承認の飢餓状態に陥っていた僕は、その誤りを指摘した。

どうでもいいよと、一蹴されると思った。しかし先輩はピザを食べながら「よく気づいたね。ありがとう」と僕を褒めた。正面をきって褒められたのは、多分これが初めてだった。

PV=C/(r-g) 。憎きこの式を毎日、穴のあくほど見つめていたお陰だった。

それから先輩はたまに僕に資料の添削を頼むようになって、僕は毎回小さな書き間違いとか、日本語の誤りみたいなものを発見した。僕はどうやら、そういう間違い探しに少しだけ長けているようだった。絶妙に地味な能力である。Excelが得意とか暗算が速いとか、もっとそういうスキルが欲しかった。

けれどもこの間違い探しは、「求められる」という体験を僕に与えた。ずっと雲を摑むように仕事をしていた僕が、はっきり社会と接続された瞬間だった。数千億円が動くこの世界で、蟻みたいに小さな成功体験だったけれど、それが僕を支える礎となった。求められ、それに応える。そしてまた求められる。そういう当たり前の手触り感が嬉しかった。

あれから8年が経った。30代を迎えた僕は、とあるベンチャー企業で働いている。若い会社では何もかもが足りなくて、出来ることはなんでもやってきた。そうして仕事の幅が徐々に広がって、それなりに充実した日々を過ごしている。でもそれは、あの時、あの式の誤りを見つけたお陰かもしれないとふと思う。

PV=C/(r-g)。

この式が実際に意味するのは、「企業の現在の価値は、将来生み出すキャッシュフローの総和で決まる」ということだ。gはgrowthの頭文字であり、成長率を意味している。

つまりいまの利益や資産の金額だけじゃなくて、この先どれくらい成長するのか、将来どれくらいのアウトプットを生み出せるようになるのか。そういう尺度で企業価値は決まる。

若い頃の市場価値みたいなものも、ある種同じなのかなと思う。
つまり「いま」何ができるかじゃなくて、「未来に」何ができるようになるか、そういう真っさらな余白がその価値を決定するのだと。

だから、社会人1年目の私へ。

いま仕事ができなくたって、Excelが崩壊したって、インド人と話せなくったって。そんなに悲観することはない。あなたの価値はまだ測れない。何か1つでも求められる経験を積んだら、それが大きくジャンプするための跳躍台になるかもしれない。

そしてその1つの成功体験を得るために、たとえ100回失敗したって問題はない。
だって大抵の失敗は、美味しい焼きそばを食べたらどうにでもなるのだから。

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