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選ばれなかった僕らが描く虹は何色か? 18年後のthe pillows
図工の授業で絵を描くときに、筆をバシャバシャ洗うバケツがあった。あのバケツには「筆洗(ひっせん)」という名前があるらしい。画用紙に描かれる鮮やかな絵の具とは対照的に、筆洗はどんどん濁っていく。描き進めるうちに混沌を極める、色のゴミ箱。
2001年、僕は中学生だった。バラ色の日々、みたいな表現があるけど、あの頃の僕の毎日を色に例えるなら、まるで筆洗のようだったと思う。
団体行動が苦手で、ストレートに学校が嫌いだった。授業を受けるのも、体育で行進するのも、合唱を歌うのも、耐え難い仕打ちだった。入学式で、「我が校では全員が部活に所属しています」と校長が高らかに宣言した瞬間に、目眩で倒れるかと思った。
そうして理由もなくサッカー部に入った僕は、準備運動の掛け声が小さいと先輩に怒鳴られた次の日に、退部を申し出た。顧問は困った顔をして、「所属率100%」の伝統を守るべく、様々な部活への転部を提案してきた。
しかし僕はそれを固辞した。馴染める部活など存在しなかった。数週間に及ぶ交渉の末、ついに顧問も校長も面倒になったようで、僕の退部をしぶしぶ認めた。こうして我が校の伝統は破られることになった。
全校生徒400人の中で、僕だけが終わりのチャイムと同時に学校をあとにする。部室に向かう生徒たちを早足で追い抜かし、白球を追いかける野球部を横目に、グラウンドを横切って裏門から出ていく。人っ子一人いない田んぼ道には、遠くから吹奏楽部のトランペットが聞こえてくるばかりだ。
そんな僕を待ち受けていたのは自由からの開放感ではなく、圧倒的な無力感だった。田舎の中学生にとって、小さな校舎は世界の全てだ。そしてその校舎は部活を中心に回っていた。誰もがそこに居場所を見つけて日々を彩っている。そういう当たり前さえ守れなかった自分は、世界の落伍者だと思い込んだ。太いレールから脱線して、灰色の沼にゆっくりと沈んでいく気持ちだった。
とある日の放課後、僕は気づいたら電車に乗っていた。地元の駅から片道一時間半、到着したのは大阪駅。一人でこの大都会に来たのは初めてだったが、特にすることもなくて、マックシェイクをちびちびとすする。
日の沈もうとする頃、アイデアがひらめいた。CDを買おう。地元では売ってない音楽がここにはあるはずだ。CDショップに入って、真っ先に手に取ったジャケットには、「the pillows デビュー12周年 ベストアルバム」と書かれていた。
the pillows。ピロウズと読むのだろうか。僕と同じくらいの年齢を歩んできた、名前も聞いたことがないバンド。そんなところが気に入った。ベージュ色のCDの入った黄色いレジ袋は、夕日に照らされてキラキラと光った。
◇
2019年。肌寒い風に秋を感じる。横浜アリーナに到着すると、黒山の人だかりが待ち構えていた。誰もがピロウズのTシャツを着て、マスコットグッズをカバンにつけている。それはかつて同期のミスチルやスピッツと比較され、「永遠のブレイク寸前」などと呼ばれたバンドのライブ前とは思えなかった。
僕は「30th Anniversary 2019」と書かれたチケットを握りしめて、開演前の行列に並んだ。
◆
2001年。大阪駅から夜遅く帰宅した僕は、怒られる前に自室に直行してアルバムを開いた。
一曲目は「Fool on the planet」というアルバム名を冠したタイトルで、まず「アウイェ!」という独特の叫び声から始まった。oh yeah!ではなく、アウイェ!である。それからも度々アウイェ!があって、試しに数えてみたら8回叫んでいた。このあと何回までいくだろう。かすかな不安を覚えながら2曲目を再生し始めたとき、衝撃が走った。
誰の記憶にも残らない程
鮮やかに消えてしまうのも悪くない
孤独を理解し始めてる
僕らにふさわしい道を選びたい
「Swanky Street」作詞・作曲 山中さわお
僕だ、と思った。これは僕なんだ。居場所のない14歳の僕に、この「Swanky Street」という曲がぶっ刺さった。田舎の中学生が腕を組んで、歌詞の節々にウンウンわかるよ、とわかったように頷いた。そんなふうに音楽に自分を投影した経験はなかった。
そこからは夢中になった。「I think I can」を聞いては僕だ、と思い、「One Life」を聞いては僕だ、と思い、「ストレンジカメレオン」に至っては僕が作ったのかな?と思った。
たとえ世界がデタラメで タネも仕掛けもあって
生まれたままの色じゃ もうダメだって気づいても
逆立ちしても変わらない 滅びる覚悟はできてるのさ
僕はStrange Chameleon
「ストレンジカメレオン」作詞・作曲 山中さわお
ピロウズを聞いていると、言葉にできないもどかしさを代弁してくれるような快感があった。居場所のない、選ばれなかった僕らの代弁者。それがピロウズの魅力だった。
結局、このアルバムでは計30回アウイェと叫んでいた。僕はそのタイミングを暗記するまで聞き返し、窓から空に向かって、アウイェ!と叫んだ。その度に雲が晴れ、夜空に深い青が広がって行く気がした。
◇
横浜アリーナ。バンドが登場した瞬間に、全員が総立ちになって歓声をあげた。この地鳴りのような迫力は、これまで行ったピロウズのライブの中でも初めてだった。
最初の曲は「この世の果てまで」。この曲には中盤に「あれ」があって、もちろん僕はそのタイミングを熟知している。
ほどなくしてピロウズが、アウイェ!と叫んだ。僕はアウイェ!と叫び返しながら、一回、と心の中でカウントした。
◆
学校は相変わらず苦痛で、授業中はこっそりピロウズを聞いた。その素晴らしさを誰かに伝えたかったけど、自分から話題を持ち出すほどの社交性はなかった。ぼけっと外を眺めているうちに休み時間は終わり、ピロウズを聞いていたら授業も終わり、そのまま一人で帰宅した。
ふと、このままいくとどうなるのだろうと思った。全員が当たり前にやっていることが自分にはできなくて、そういうことが今後もたくさん待ち受けているのだろうか。焦燥感が襲ってきた。何かに取り組んでいないと、不安で押しつぶされそうだった。
試しに勉強を頑張ってみた。成績が少し上がったが、それだけ。近所の空手道場に通ってみた。帯の色が少し上がったが、それだけ。何を始めても夢中になれなくて、数ヶ月もしたらすぐに放り投げてしまうのだった。
そんなとき、一つだけ毎日続けていることを思い出した。日記を書くことだ。
昔から人と話すのは苦手だったが、文章を書くのは苦ではなかった。世界一安直な僕は、これしかない、と一瞬のうちに決意を固めた。僕は文章で生きていくのだ。
それから毎日、とにかく何かを書きまくった。それは日記だったり、国語の宿題だったり、あるいはネット掲示板だったりした。小説のコンクールにも応募してみたが、賞には全くかすらなかった。それでも良い。何かに打ち込んていることが、前へ進めている証拠だと思えた。灰色の沼から抜け出して、足跡のない真っ白な雪原が目前に広がっている気がした。
I think I can
I think I can
I think I can
「I think I can」作詞・作曲 山中さわお
◇
アリーナが加熱する。一万人のアウイェ!が、波となってスタジアムにうねる。
「俺たち、売れちゃうんじゃねえか」
その盛り上がりに、ボーカルのさわおが自虐的な冗談をこぼした。会場が笑いに包まれる。30年間続いたバンドが、集大成を見せようとしていた。
◆
机に押し付けられて、シャーペンの芯がぽきっと折れた。人差し指に少し力を入れただけで、それはいとも容易に、何度でも折れてしまった。
毎日続けていた日記は、一年半経った頃にピタリと止まった。日記だけでなくて、何かを書くのがもう億劫になっていた。これが自分の道だと確信したはずなのに、なんて足場の脆い道だったのか。
結果が出ないことが悲しいのではない。結果が出ないくらいで、簡単に手放す程度のものだったことが悲しかった。
キミの夢が叶うのは
誰かのおかげじゃないぜ
風の強い日を選んで
走ってきた
「Funny Bunny」作詞・作曲 山中さわお
それでも、ピロウズに共感する資格くらいは欲しかった。風の強い日を選んできたのだと、誇りたかった。その小さなプライドを守るために、最後にもう一度だけ机に向かうことにした。
作文コンクールが、翌月に控えていた。僕はそれに全ての夜を捧げた。手の平が、シャーペンの粉で黒くすすけていった。
◇
ヒートアップする横浜アリーナで、突然演奏が止まった。それは僕が初めて魅了された曲、「Swanky Street」に差し掛かったときだった。どうやら、歌い出しのタイミングを間違えたらしい。
「やっぱり、こんな場所でやるようなバンドじゃねえんだよ」
さわおはそう笑った。張り詰めていた会場の緊張感がふっと緩んで、いつもの空気に戻った気がした。
そうして終盤に差し掛かった頃、ピロウズがこう呼びかける。
「Can you feel?」
◆
「規定違反。」
返却された原稿用紙には、その大きな4文字が真っ赤なバッテンと共に記されていた。
作文コンクールの応募規定は原稿用紙5枚までで、僕は何故だかわからないけど18枚書いた。勢いあまり過ぎた。国語教師はフンと鼻を鳴らして、原稿用紙の束を僕に投げつけるように渡した。毎晩夜なべをして書きあげた大作は、誰にも読まれずに返ってきた。
起立の号令で、授業が再開する。何千回も繰り返されてきた、吐き気を覚える光景。だけど僕は不思議と落ち着いた気分で、ゆっくりと教室を見渡した。背筋を伸ばして前を向く女子に、眠そうに欠伸をする男子。はしゃぐヤンキーと、それをたしなめる教師。彼らの毎日は、一体どんな色をしているのだろうか。
こっそりとCDプレーヤーを起動して、いつものアルバムの、最後の曲を選択する。それは「ハイブリッド レインボウ」というタイトルだ。
目を閉じてつまみを回し、ゆっくりと音量を上げる。教室の雑音が遠ざかっていく。ピロウズがこう呼びかける。
「Can you feel?」
◇◆◇
Can you feel?
Can you feel that hybrid rainbow?
ここは途中なんだって信じたい
I can feel
I can feel that hybrid rainbow
昨日まで選ばれなかった僕らでも
明日を持ってる
「ハイブリッド レインボウ」作詞・作曲 山中さわお
◇
日記:2019年10月17日
ピロウズの30周年ライブに行った。あっという間だった。そう言えば昔アウイェ!の回数を記録していたなと思って、試しにライブ中に数えてみた。63アウイェ!だった。あのアルバムの2倍の数だ。声が枯れた。
今日イチだったのは、やっぱりハイブリッド レインボウ。直訳すると、混成の虹。今まで絵本のような美しい虹色をイメージしていたけど、今日の演奏を聞いてそうじゃないと思った。綺麗な七色もあれば、もっと薄暗い色も、ドブみたいな色も、そういうのがごちゃ混ぜになったものが「ハイブリッド」レインボウなのかも。
そう、それはまるで筆洗だ。目の前に広がった灰色の沼に、白い雪原。ベージュのCDとキラキラ光る黄色いレジ袋、シャーペンの粉で汚れた黒い右手。原稿用紙に記された真っ赤なバッテンに、アウイェ!と叫ぶ度に広がる深い青。それらの色が全部捨てられた、ドロドロに濁った筆洗だ。
僕らは筆が折れないよう慎重に筆洗へ浸して、大きくていびつな虹を空に描く。そのアーチをめがけて、明日をまた過ごしていけるんだ。
※この文章は、LINE MUSIC×note の「 #いまから推しのアーティスト語らせて 」コンテストの参考作品として書いたものです。 #PR
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