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「16年前の学生寮に泊まる」 記事のこぼれ話

昨日デイリーポータルZで公開されたこちらの記事。

このnoteでは字数の関係でカットした、とりとめのないこぼれ話を書いていきます。



当時の写真は、ほとんど残っていない。

寮で過ごした2006年からの数年間は、ちょうどiPhoneが発売される直前のタイミングだった。みんなガラケーを持っていて、ガラケーでもそれなりの写真が撮れるからカメラは使わなかったし、かといって撮った写真はクラウド保存されないまま、携帯ごと壊れてしまう。instagramのような写真SNSも流行っていなかったから、データを残す場面がない。この時代は、世の中的にも個人の写真が残りづらい時期だったのでは……とか勝手に思っている。

その中で生き残った、数少ない寮での写真が、記事にも使われたこちらの一枚だ。

この写真はmixiから発掘した。mixiのアルバム機能が、当時の画像データの唯一の保管庫になっていて、いまだに重宝している。

で、なぜミニ四駆かというと、これもmixiに書いてあった。mixiにはすべてが載っている。
mixiによると、寮ではクリスマスイブになると、毎年ミニ四駆を作っていたらしい。クリスマスイブ!そうだ、思い出した。
「クリスマスは本来子どものものだから、童心に帰ろう!」とかいって、幼い頃の遊びに興じるという風習が、寮にはあったのだ。反クリスマス的なノリが、ちょっと今では古臭く感じるけど、とにかくクリスマスにはミニ四駆を作っていた。お気に入りのミニ四駆をそれぞれ一台持ち寄って、部屋にこもって黙々と組み立て、近くの公園で競争させて遊んだものだ。

……それから16年が経った。あの当時のmixiを読んで、今の僕がどう思うかというと、もちろん記事で連呼した「懐かしい」である。記事を数えたら44回言ってました。

で、ちょっと興味深いと思ったのが、当時の僕らは「幼少期が懐かしいなあ」と思いながらミニ四駆を作っていたわけだが、今では懐かしんでいたこと自体を、懐かしいと感じている。

ここに、懐かしさのマトリョーシカが完成する。

黄土色の層が2024年現在

懐かしいと思っていたことを、懐かしいと思って、それをまた懐かしいと思って….これを何度も続けることで、たったひとつの出来事を、永遠に懐かしむことができるかもしれない。これって伝わってますか?

まあとりあえず、16年経ったいま、みたびミニ四駆で遊ぼう。それをいつかまた、懐かしいと思う日が来るはずだ……と考えた僕たちは当日、立川の玩具屋で、ミニ四駆をひとり一台購入していた。

僕は赤い「ブロッケンG」を選んだ

ミニ四駆が、我々のノスタルジーを、まるでハイパーダッシュモーターのように、激しく喚起させてくれるものだと思っていた。しかしいざ部屋で組み立てようとしたら、想定外の事実が発覚した。

久しぶりのミニ四駆、むずすぎ問題。

ささっとつくれるものだと思っていたが、とんでもない。説明書を開いたとたん、字が小さくて目がチカチカした。パーツも小さくて複雑だ。むかしはすいすい作っていたような気がするのに、今の僕たちに、ミニ四駆はハードルが高いらしい。懐かしさのハイパーダッシュモーターを積んでいても、集中力の電池が切れてしまうようでは仕方ない。

結局、みんなあっさり挫折してしまって、ミニ四駆の箱を部屋の脇に置いたまま、記事にあったように、朝までゲームに興じたのだった。

箱で飾られたミニ四駆たち
当時の公園で走らせようと思っていたが、作れなかったからとりあえず公園で箱を撮った

そうしてミニ四駆は各自そのまま持ち帰って、家で再チャレンジしようと思ったけどやっぱり面倒で、その後部屋に放置してたら3歳の子どもに見つかり、作って作ってとせがまれて、ようやく重い腰をあげた。

シールを貼り間違えたり、パーツを破損させて無理やりボンドでくっつけたりしながら、時間をかけてなんとか完成させることができた。

作ってみたらやっぱりカッコイイ

子は大いに喜んだものの、いざ電池を入れるとモーター音に怯え、すぐにスイッチを切るよう命じてきた。代わりにトミカのように手で動かして遊んでいる。組み立てる必要なかったかも。

そんなわけで、いささか消化不良の感が否めず、一連の出来事は記事からはカットした。
しかし時間が経つにつれ、ミニ四駆を完成できなかったことすらも、なんかよかったなあ、と思い始めた。そしてこのnoteを書いているわけである。

別に、当時と同じことが再現できなくてもいい。むしろこのnoteを、また10年後か20年後に読み返すことで、懐かしさのマトリョーシカが、もう一層増えるに違いないのだ。これって伝わってますか?

このnoteにより、紫の層が新たに誕生する

そんなことを妄想していたら、今回の企画のテーマでもある「懐かしむ」という行為は、ただ過去を振り返るだけではなく、未来を楽しみにするための処世術にもなりうるのだな、と思った。

たとえばタイムカプセルを埋めるように。たとえば未来の自分に手紙を書くように。意図的に、懐かしむ予定を設計していく。大きな出来事から、日常の些細な記憶まで、思い出のマトリョーシカで包んでいく。
すると「あ、また懐かしむ時期がくるな」と思える場面が増えて、歳をとるのが、ちょっとだけ楽しみになるかもしれない。ならないかもしれない。


立川と過ごした日

立川の写真と共に振り返る、あの日のこと。

知らんゆるキャラ

立川の街に降り立った瞬間、知らんゆるキャラ「くるりん」がどでんとそびえ立っていて、懐かしさの出鼻をくじかれた。立川にウサギのイメージはまったくない。でもかわいい。


さま変わりしたゲームセンター

一時期、ゲーセンで「クイズマジックアカデミー(通称マジアカ)」という対戦クイズゲームに熱狂していたことがあった。寮のみんなで毎日通って、問題の暗記カードとか作って、大学の単位を落としながらマジアカの単位をとって、「ドラゴン組」という最上位ランクまで到達した記憶がある。
で、もう一度あの激アツバトルを再現したくなって、今回いくつかのゲーセンを回ったものの、マジアカどころか、クイズゲームを一台も見つけることができなかった。代わりに音ゲーがたくさんあって、どれもどう操作するか想像がつかないほど、複雑なつくりをしていた。クイズのようなシンプルな操作のゲームはスマホに移行されて、代わりにスマホでは提供できない、身体性を伴うゲームが残ったということなのだろうか。
写真は、駅前のゲーセンで大人気だった、なんか腕をくるくる回しながら演奏する音ゲー。かなり楽しい。


東京でもっともでかい公園

立川といえば、昭和記念公園。代々木公園の3倍の面積を誇る、都内最大の公園だ。
当時はここで寝転がったり、花火を観たりしていた。立川の花火大会は夏が有名だが、実は冬にも花火が打ち上げられて、冬の方がよほど空いていておすすめである。空気が澄んでいるからか、心なしか花火も夏より鮮やかに見える。

そんなことを思い出しながら、公園を歩いた。

けど広すぎ!!!!!!!

地平線の向こうまで公園。ずっと公園。全然先が見えなくて途中で引き返した。近所にこんな公園があったらたまらんだろうな。当時はだだっ広い場所としか思ってなかったけど、いまでは公園の価値を正しく認識できるようになった。広い公園って最高。


すべてのカラオケはまねきねこに通ず

足繁く通ったカラオケ。当時は「歌うんだ村」という店だったが、今は居抜きで「まねきねこ」という店に変わっていた。というか立川じゅうのカラオケがまねきねこになっていた気がする。すべてのカラオケは、まねきねこになる運命なのかもしれない。

混んでいたのか、受付で注文した1杯目のビールが全然出てこず、「もう先に歌っちゃう…?」みたいなもどかしい時間もなんか懐かしかった。久しぶりのカラオケは、2曲目で声が出なくなった。


500円のハンバーグ

記事ではすた丼に行ったことを書いたが、すた丼の次に思い出深い「紅屋」という飯屋にも行っていた。本当に食い過ぎ。帰宅したら2kg増えてた。

当時の紅屋は破壊的で、500円でご飯おかわりし放題のハンバーグ定食が食べられた。いまは流石に値上がりしていたけど、それでもリーズナブルで美味しい肉は相変わらずだ。

当時はトッピングにガーリックもたくさんついてきたから、「米にガーリックと塩胡椒をかけて、その場で即席ガーリックライスをつくる」という食べ方が寮で流行っていた。今ではガーリックも有料オプションになっていたので、追加注文して当時を再現した。うまい。公園とセットで近所に欲しい。


怒号の飛び交う立川競輪場

最後は競輪場。

寮の真横にある立川競輪場からは、当時は日曜日になると観客の怒鳴り声が部屋まで聞こえてきた。「クソが!!!!」という怒号で目を覚ましたこともあって、あんな最悪の目覚まし時計はなかったと思う。あとレースの後には、寮に停めてある自転車がパクられたりもしていた。交通費まで負けてしまう観客がいたのだろうか。ギャンブラーすぎる。

せっかく真横に住んでいたのに、そういったネガティブな出来事もあって気が進まず、結局一度も競輪場に入ることなく卒寮してしまって、そのことを密かに悔やんでいた。いつかは観戦してみたい、と考えていたところ、今回の企画を迎えたわけだが、運悪くレース休みの週末に重なり、また観戦することができなかった。

ただ、競輪場の裏側まで歩いて回ってみたところ、近くの広場から中を覗ける構造になっていることを発見した。

めっちゃ見える。入場せずにレースを観られそうだけど、いいのだろうか。と思ったらそもそも入場料は50円らしい。やっす!!!なおさら当時行っとけばよかったな。

なんにせよ、競輪場の中の様子を眺めるのは初めてだった。16年の時を経て、ようやく中を見られた感想は、「ほお…」という感じだった。いつかレースのある日に、ちゃんと入場して客席から観戦して、また「ほお…」と思いたい。そうやって立川競輪場を「ほお…」のマトリョーシカで包んでいきたい。


そしてあの頃のままで

最後に、本当にどうでもいいのだけど、記事の終わりに使ったこちらの比較画像。
カラオケまねきねこにて、16年前の写真(上)と同じ構図の写真を撮ってみたのですが、


右端の、16年前の寝心地のいい枕をいまだに使っているという友人I….


服も16年前と同じなの、すごすぎる。


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岡田 悠
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