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新著を出したこと、じっっっっっっっと眺めて時間と遊ぶこと

新著が出ました。『10年間飲みかけの午後の紅茶に別れを告げたい』という本です。河出書房新社より、11月末に発売開始されました。

どんな本か

部屋にあるモノの観察記録です。僕には昔から、気になったことを長期にわたって記録する癖がありました。たとえば夏休みの宿題で植物の観察日記を課された際、提出後もそのまま一年記録し、翌年の夏休みに「続き」を出したことがあります。

大人になってもその癖は治らず、様々な記録を並行して続けています。この本では、タイトルにもなっている10年間捨てられないペットボトルの記録や、取扱説明書を500冊読んだ記録、入浴剤を音声解析した記録など、いろいろな記録たちが集まっています。ジャンルとしては(一応)エッセイで、書店ではエッセイの棚に置かれていることが多いと思います。

昨年出した旅行記『0メートルの旅』(ダイヤモンド社)は部屋で終わりました。この本は部屋から始まります。一年越しの夏休みに宿題の続きを提出するみたいに、この本は一年越しの0メートルの旅の続きでもあります。(ただ前作が世界中に足を運び様々な人々と会ったのに対し、今作では外に一歩も出ず、誰とも会いません。)

章立てとしてはプロローグの玄関から始まり、一章に一部屋、各部屋での観察を記録しています。

  1. 【台所】 10年間飲みかけの午後の紅茶に別れを告げたい

  2. 【リビング】 取扱説明書554冊からたどる或る男の人生

  3. 【トイレ】 「地球の歩き方」100冊の詩的な一節で旅に出る

  4. 【寝室】 122の花言葉から成る花瓶たちのロマンス

  5. 【風呂】 バブの20分間の鼓動を聴く

  6. 【書斎】 「きかんしゃトーマス」490話から紡ぐ安全報告書

  7. 【部屋】 269色を探して部屋をめぐる

どの章からでも読めますが、前から順番に読んでいくとより楽しいかもしれません。Webメディア「オモコロ」で掲載された記事を加筆修正した3つの章に加え、新たに書き下ろしを4章収録しています。

装丁は渋井史生さん、イラストはワタナベケンイチさんです。

カバーがスベスベでずっと撫でていたい。表紙のコラージュは、僕の実際の部屋の写真を切り貼りしたものです。
また本文に挟まる区切り記号も各章のキーアイテムのイラストになっていたりと、モノとして隅々まで作り込まれていて、とても気に入っています。積ん読にも大変おすすめです。

なぜ書いたのか

2020年の夏、担当編集者の方から連絡を頂いたのがきっかけです。「オモコロの午後の紅茶の記事を読んだ」とメールには書かれていました。驚きました。旅行記ではなくて、オモコロの記事。それもめちゃくちゃ好き勝手に書いた、午後の紅茶の記事。

驚きと同時に、嬉しさもありました。自分の好きな記事だったからです。その昔、mixiで友達向けに書いた文章が元になっていて、そのあとも自分向けに何度も書き直していました。それほど愛着のある文章でした。この文章を起点として本を書いたら、と考えるとワクワクしました。

ただ、本になるまでは紆余曲折がありました。Webで書いた文章をただ並べるのではなく、本だからこそ書ける内容にしたい。ただ短編を並べるのではなく、一冊として10万字を貫く内容が欲しいと考えました。
そこではじめは、「部屋での過ごし方のヒントになる本」をテーマに据えてみました。引き続き自粛期間が続く中で、部屋で楽しく過ごす役に立てないかと、そんな議論を編集者の方としました。

でも書き進めるにつれ、なんか違うな、と思うようになりました。冷静に考えると、これを読んでも真似する人はきっといない。飲みかけのペットボトルを10年保存する人も、トーマスを全話観る人もいない。当たり前です。
なによりこれらの記録行為は、何かを目指して行われたのではありませんでした。ただ記録したいから、ただ癖だから、ただ書いていました。

そうして思ったのです。元のままいこうと。本当に役に立たない記録で、ページを埋めてやろうじゃないかと。

だから基本的には、この本は役に立ちません。仕事にも恋愛にも寄与しません。ただもしかしたら、逆説的ですが、役に立たないということが、あなたの役に立つかもしれません。

じっっっっっっっと眺めて時間と遊ぶ

家の近所に整骨院があって、店頭に骸骨の模型が置かれています。骸骨はなぜかいつも服を着せられています。しかもレパートリーが多い。前を通るたびに違う格好をしているのです。おしゃれこうべです。自分用によく写真を撮っていたのですが、ある日ふと気づきました。

朝と夜とで、服が変わっている。

朝には半袖だった骸骨が、夜には長袖に変わっていたり、帽子を被っていたり、たまに服装が変わっているのです。果たして一体、どういう日に着替えるのか。気まぐれなのか。なにか法則があるのか?

その日から骸骨の前を通るのが、いっそう楽しくなりました。まだその謎を追いかけている最中です。

「記録する」行為の魅力を改めて考えてみると、そんな風にして「変化を見つける」ことにあると思います。同じ道でも、たとえ部屋の中だとしても、わずかな変化をみつけさえすれば、違った景色が見えてきます。
そして変化を探す上で大切なのは、時間をかけることだと思います。道端に転がっている石ころさえ、長い時間軸で見れば雨風で移動を続けています。じっっっっっっっと眺めていれば、一定に見えるモノにも、何かしら変化があるものです。

日常も、観測し続ければ非日常になる。

『10年間飲みかけの午後の紅茶に別れを告げたい』より

時間のない毎日で、じっっっっっっっと眺めることは、豊かな過ごし方だと思います。僕は物理的な座標を移動する旅行も好きですが、そうやって時間という座標を移動する旅行も、同じくらい好きです。

記録は時間を旅することであり、時間と遊ぶことです。これを読んだ人の役には立たなくても、とりあえずこの人なんか楽しそうだな、というのが伝われば嬉しいです。

お願いとか

よければぜひ、感想を聞かせてください。全て読みます。書籍タイトルが長いという方は、「#10年紅茶」という略称をご利用ください。

また、書店の方へ。販促でご協力できることがあれば、大体なんでもします。お気軽にTwitterのDMかメールアドレス< hyosasa@gmail.com > までお問い合わせください。

そしてもう一つの10年間

先に書いた通り、初めて午後の紅茶の文章を公開した場所はmixiでした。それも日記機能ではなく、なぜかプロフィール文に載せていました。

当時のプロフィール文

10年経つとプロフィール文も本になるのだから、やっぱり時間というのは面白いです。

…というようなことを書いて、

久々にmixiにログインして、日記を投稿してみました。mixiで日記を投稿するのは、ちょうど10年ぶりです。

誰もいなそうですが、果たして反応はあるのでしょうか。

2日後。

新着メッセージが来ていました!

しかも5件も!?

果たしてなにが書かれているのか?
誰が10年経ったmixiをチェックしていたのか?
恐る恐るクリックすると….



全部スパムでした。

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岡田 悠
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