オーストリア/ワインの季節に歴史を感じるホイリゲ、マイヤー・アム・プファールプラッツへ
今回は、ウィーンのワインのお話です。この季節はシュトルム(ぶどうジュースからワインになる発酵途中の甘い飲み物)やモスト(ワインの原料になる搾りたてぶどうジュース)がおいしい季節。この時期にウィーンに来られるなら、ぜひワイン居酒屋、ホイリゲでワインと共にモストやシュトルムを楽しんでみてください。
ウィーンのワイン畑は今こんな感じです。収穫を待ったぶどうがおいしそう!
今日ご紹介するのは、有名どころのホイリゲ、マイヤー・アム・プファールプラッツ(Mayer am Pfarrplatz)。ガイドブックにも載っていて、地元民だけではなく、観光客や出張中のビジネスマンでもにぎわう、いかにもホイリゲらしいメジャーな店です。今日は、ガイドブックにも載っていない、このホイリゲがオーストリアの歴史に果たした、知られざる役割も合わせてご紹介します。
このホイリゲ、ウィーンのホイリゲ街ではグリンツィングに次ぐ規模で、ベートーベンにも縁のあるハイリゲンシュタットにあります。公共の交通手段でも来ることが出来るので、手軽にウィーン市内を抜け出して、ホイリゲムードを楽しむにはちょうどいいロケーションです。
ホイリゲの中庭はとても居心地がいいですよ。
このホイリゲは1683年創業と歴史がありますが、このホイリゲが特に有名なのは、ベートーベンが第九を作曲したまさにその建物だから。引越し好きで有名なベートーベンですが、1817年に耳の治療のためこのハイリゲンシュタットに湯治に来ていたときにはここに滞在していたんです。今でも史跡を示す旗が立てられ、当時の姿をしのぶことが出来ます。
ベートーベンの写真が壁に飾られています。
こちらは、ハイリゲンシュタットのベートーベン縁の地の地図。
このホイリゲ、以前は常連といっていいほどしょっちゅう来ていたのですが、しばらくご無沙汰しているうちに2007年にオーナーが変わり、以前のいかにも地元のホイリゲ風な雰囲気と言うより、多少高級感を感じさせるようになっていました。以前の美しい中庭の様子も残しつつ、このホイリゲで作るワインのロゴを一新したりして、ブランドワインの位置付けを確立しようとしているようです。
こんなかわいらしいワイン樽が飾ってありました。
そういえば以前、日曜日の午後にオーストリアの伝統的でのどかな音楽映画を見ていて、通い慣れたこのホイリゲが突然大事なシーンで登場した時には驚いたものでした。”Rote Lippen soll mann kuessen”(赤いくちびるにはキスを)という、いかにもな恋愛映画でしたが、色々な問題に巻き込まれた主人公の女の子を、ウィーン人の男性がデートに誘い、このハイリゲンシュタットの坂道を登り、挙句の果てにこのホイリゲの中庭でワインで乾杯し、更にミュージカルさながらに歌って恋をささやいているうちに全ての問題が解決して恋に落ちてしまう、という、なんともオーストリアらしい(笑)ストーリーだったのを、うろ覚えながら覚えています。
奥の中庭は更に広々としていて、雰囲気満点。
さて、ベートーベンと第九の縁の地として有名はこのホイリゲですが、実は他にも重要な歴史的役割を果たしています。ホイリゲの中庭の説明書きを読んで驚いたのですが、このホイリゲが第二次世界大戦後のオーストリアの独立に大きな役割を果たしていたのです。
第二次世界大戦中にナチスドイツに併合されていたオーストリアは、戦争が終わると同時にイギリス、アメリカ、フランス、ロシアの連合軍に4分割されて占領下に置かれます。そんな踏んだり蹴ったりな状況で、オーストリアの独立に尽力した有名な政治家がレオポルド・フィーグル(Leopold Figl)。各国の実力者と協議を重ね、とうとう1955年オーストリア共和国の独立を勝ち取ります。ベルヴェデーレ宮殿でOesterreich ist frei!「オーストリアは自由だ!」という有名な独立宣言の演説をしたのもこのフィーグルです。
このホイリゲのオーナーの友人で常連でもあったフィーグルは、オーストリア独立の協議中、ここによく占領4カ国の実力者たちを連れてきて接待し、ウィーン風に「ワインを飲んで揉め事を解決」するべく、協議を重ねたのです。このホイリゲは、そのウィーンの魅力とおいしいワインという背景を提供することで、オーストリアの独立を縁の下から支えたんですね。
こんな風にワインで乾杯すると、問題は一気に解決です(笑)。
なんか、こんなエピソードを聞くと、小国ながらオーストリアの外交の上手さに感心すると同時に、恋愛映画でも国家の独立でも、揉め事はホイリゲとワインで解決してしまうオーストリアらしさにほほえましさを感じてしまいます。
(2912年9月執筆)