見出し画像

星を持って歌う子供たちに遭遇!オーストリアの新年の祝日「三聖王祭」

新年あけましておめでとうございます。今年もオーストリアから、季節の話題をお届けしていきますので、よろしくお願いいたします。

オーストリアでは新年はクリスマスの延長のような気分が続きます。そんな長めのクリスマス気分も、1月6日の三聖王祭(Heilige drei Koenige、聖なる三人の王)の祝日で終わりを迎えます。

クリスマスツリーを片付けるのもこの日ですし、学校などが再開するのもその翌日からの所が多いです。今日は、そんな区切りとなる1月6日の三聖王祭の習慣をご紹介します。

画像1

三聖王祭の時期、こんな不思議な仮装をした子供たちのグループに出会います。

オーストリアではこの日が近づくと、「星の歌い手たち」Sternsingerと呼ばれる子供たちが、不思議な仮装をして家々を訪問し、歌を歌います。その後、それぞれの家の玄関に、暗号のように20-C+M+B-15とチョークで書き、家を祝福して去っていきます。

子供たちは、この日のために教会で歌の練習をし、当日は世話役の大人が付き添って家々を周ります。歌を歌ってもらうと、10ユーロほどの寄付をするのが通例です。このお金は教会を通して集められ、恵まれない子供たちのために使われます。

画像2

三聖王祭の風物詩の子供たち。なんでこんな恰好をしているのでしょう?

この1月6日はカトリックのお祭りなので、他のヨーロッパ諸国でも祝日となっている国が多く、「エピファニー」、「公現祭」などと呼ばれることもあります。ところで、この「三聖王」って誰のことなんでしょう?

「三聖王」とは、本当は「王」ですらないんですが、キリストの誕生直後に贈り物を持ってきた東方の三人の賢者のこととされています。聖書によると、東方からはるばるやってきた三賢者が、馬小屋で生まれたキリストを発見し、没薬、乳香、金と言う、王者を象徴する高価な贈り物をささげた日が、1月6日であったとされています。

そもそもこの日は、キリスト教誕生以前に、エジプトで古くからあるお祭りの日でもありました。どうやら、古来からあるお祭りを、キリスト教が名前を変えて引き継いだという形のようです。実際、1164年にミラノからケルンにこの三賢者の遺体とされる聖遺物が移された時に初めて、教会の権威の象徴として、三賢者をグレードアップして「三聖王」と呼ぶようになったとされています。

それ以来、ドイツ語圏(オーストリア、南ドイツ、スイス、イタリアの南チロル地方)では、この日を記念して、「三聖王祭」として毎年お祝いしています。

この「元祖三聖王」と言える東方の三賢者は、当時占星術が発達していたバビロンの辺りから、星に導かれてやってきたと言われています。その姿かたちは三者三様で、ヨーロッパ人、アフリカ人、アジア人だったと言われています。

そのため、「星の歌い手たち」はターバンを巻いたアラブ風の格好をしていて、一人は顔を黒く塗っていることが多いのです。また、三人を導いた星に因んで、星の飾りを掲げて歩いている姿もよく見られます。

画像3

こちらは大人の三賢者。一番左の人は星を持っていますね。他の二人が持っている箱は、キリストへの贈り物を模っていますが、実際は募金箱です。

では、「星の歌い手たち」が玄関の扉や軒先に書いていく謎の暗号「20-C+M+B-15」(年によって違います)はどんな意味があるんでしょうか?

最初と最後の数字はその年の年号(今年は2015年なので20と15の数字)、間のCとMとBは、この三人の王様(賢者)の名前、カスパー、メルヒオール、バルタザールのイニシャルとされています。しかし実際は、この三賢者の名前は後付けで、Christus Mansionem Benedicat(ラテン語で「キリストがこの家を祝福しますように」)の略と言うのが正しい謂れのようです。

画像4

典型的な「三聖王の祝福」。この建物が最後の祝福されたのは2013年ですね。

カトリックの伝統に因んで、オーストリアの生活にも根付いたこのイベント。この暗号はオーストリアのほとんどの家の軒先に書いてあるので、一度チェックしてみてくださいね。

(2015年1月執筆)

いいなと思ったら応援しよう!