オーストリア/スロバキアとの国境でドナウを見下ろす、古城の廃墟ハインブルク
オーストリアにはロマンチックな宮殿のようなお城から、廃墟になった中世の古城まで多種多様なお城があり、一つ一つ訪ねては歴史に思いを馳せる楽しみは格別です。
今日ご紹介するのは、オーストリアの東の端、お隣のスロバキアとの国境ギリギリのところにあるハインブルク城跡(Hainburg。Heimenburgの表記も)です。
小高い丘の上に立つこの古城は、11世紀からの古い歴史を感じさせながら、今でもオーストリアとスロバキアの国境を見守っています。
ウィーンとスロバキアの首都ブラティスラバを結んでドナウ川を上下する高速船、ツイン・シティ・ライナー(Twin City Liner)に乗ると、ちょうど国境の辺りでドナウ河の両側に古城の廃墟が見えます。右側に見えるものがこのハインブルク城で、少し遅れて左側に見えるのが、スロバキアのデヴィン城です。
車で訪れる場合は、ウィーンから45分ほど東。山の中腹の駐車場から5分ほど山道を登っていくと、城址らしい石造りの古い門が見えてきます。
こちらが城の入り口の門。
古城の城跡は、今では木が生い茂り、現地のオーストリア人や、日帰り旅行を楽しみに来たスロバキア人たちがピクニックを楽しむ絶好の場所となっています。夏には城の真ん中の広場を利用して野外演劇が上演されています。
このお城は、スロバキアとの国境に非常に近い位置にあり、ドナウ川を見下ろすことができる交通の要所にあります。
この城が初めて歴史に登場するのは11世紀ごろ。重要な立地からも、初期はこの辺りに勢力を持っていたハンガリーから、オーストリアとその後ろ盾の神聖ローマ帝国を守るため、何度もせめぎあいが起こります。
国境争いで何度も破壊されたこの城は、12世紀に再建されますが、この時に使われた再建費用は、オーストリアで幽閉されていて、英国へ帰還したリチャード獅子心王(ロビンフッドの映画の最後に登場しますね)の身代金で賄われました。
13世紀にはボヘミア王でオーストリア公の地位を狙ったオットカール2世(Przemysl Ottokar II)が、オーストリア公バーベンベルク家の最後の生き残りで20歳も年上のマルガレーテ・フォン・バーベンベルクとの、政略的な結婚式を挙げたことでも知られています。
その後もこの城では、オットカール2世や、神聖ローマ皇帝でオーストリア・ハプスブルク家の始祖、ルドルフ1世とハンガリー国王と間での重要な交渉の場として用いられ、歴史の舞台となります。
16-17世紀にはこの辺り一帯を襲ったトルコ軍の襲撃で、この城は大きな打撃を受けました。その後、19世紀にオーストリア皇帝フランツヨーゼフがこの城を買い取るまで、長いこと廃墟のままで放置されていたそうです。
オーストリアとハンガリーやトルコとの戦いの舞台になっただけあり、城山から国境地点を見下ろすと、中世の国王と同じ景色を眺めているような気分になります。
オーストリア側を見下ろすと緑いっぱいで、美しく蛇行するドナウ川を臨むことができます。この辺りはドナウアウと言って、自然保護地区にも指定されています。
一方、以下の写真は、スロバキア側を眺めて撮ったものです。手前の赤い屋根の建物とその向こうの畑がオーストリア。そのさらに奥の森の向こう側に見えているビル群がスロバキアです。よく見るとオーストリアの建物は田舎の小さい町のそれなのに対し、スロバキアは共産主義時代の名残の工業都市の様にも見えます。
中世の古い歴史の舞台となり、国境を守りながらも打ち捨てられ、廃墟となったハインブルク城は、今ではパスポートコントロールもなくなった国境を見下ろしています。のどかで自然と共生しつつ、オーストリア、スロバキアの両方から人が訪れ、歴史の流れを感じさせる場所だと実感しました。
(2014年6月執筆)
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