オーストリア/森林地方の悲劇の城、コルミッツ城廃墟
連休を利用して、ウィーンから西へ2時間ほど車を走らせたところにある、ニーダーエーストライヒ州の森林地方(Waldviertel)に行ってきました。
この森林地方はチェコとの国境に近く、静かで神秘的な森が広がっています。ウィーンより気温が低く、空気もきれいで自然が美しい地域と言われています。
今日は、そんな森林地方の週末旅行の中でも、ひときわ感動した古城の廃墟、コルミッツ城(Burgruine Kollmitz)をご紹介します。
コルミッツ城廃墟全景。ふもとの村Kollmitzgrabenより
この城は、あまり知られていませんが、オーストリア最大級の古城廃墟で、ニーダーエーステライヒ州では最大のものです。場所は、ウィーンから西へ1時間強の距離、Raabs an der Thayaという町から一番近く、タヤ川(Thaya)が蛇行する、交通上の要所に建てられています。
実際訪れてみると、その規模の大きさ、森と川に囲まれた景色の雄大さに心を打たれます。
眼下のThaya川を見下ろして
沢山古城や廃墟を訪れてきましたが、ここで一番驚いたのは、この規模にもかかわらず「立入禁止」の箇所がほとんどないこと。多くの廃墟や城跡では、崩れる危険があることから、地下や塔などほとんどの部分は鍵がかかって入ることができません。ところがこの城では、2つの高い塔や、半地下の部屋なども自由に探索ができ、童心に戻って「お城の探検」気分が味わえます。
城の入り口には、ちゃんと吊り橋まであります。
城跡の中心にあるメインの塔。
実際、5,6階二つの塔に上ってみましたが、一つ側面に取り付けられた狭い鉄の通路を辿って塔の入り口まで行き、暗い内部を狭い階段を通って最上階まで辿り着くと、吹きさらしの屋上からは360度の息をのむようなパノラマが広がっていました。もう一つの階段は、真っ暗な中を木の梯子や急な階段を伝って上がっていくと、廃墟全体が見下ろすことができ、スリル満点でした。
こちらは、牢獄として使われていた塔。
内部は細い階段を伝って最上階まで上がります。
この城の歴史は、悲劇続きです。13世紀ごろに、川の要所を守る城として建てられ、二つの塔の他に、住居部分も増築されて立派な城となりました。15世紀ごろからこの城を所有していたHofkirchen家がカトリックではなくプロテスタントであったため、反宗教革命のハプスブルク家を対立し、この城を追われることとなります。
その後、しばらく所有者が転々とし、18世紀初めに一部焼失しますが、更に悲劇の原因となったのが、ナポレオン時代の「屋根税」です。屋根のある建造物に税金がかけられたため、人為的に屋根や住居部部が破壊され、城としての機能はなくなってしまいました。
完全に廃墟となった住居部分
その後は、近隣の教会などを建てるために石だけ運び出されたり、農作物置き場にされていましたが、つい最近になってやっと修復され、一般人が見学できるようになりました。
オーストリアでこの城よりもっと昔の11世紀に建てられた城が、今でもロマンチックな古城ホテルなどの形で使われている一方で、長い歴史の中で150年しか共住されず、人為的に打ち捨てられ、長いこと放置されていたこの城は、多くの悲劇を見てきたことでしょう。
人が居住し、城としての機能を果たしていた頃の城の全体図を見ると、威風堂々とした素晴らしい外観の立派なお城でした。この城の悲劇に思いをはせると、感慨深いものがあります。
(2013年8月執筆)