二ケタ転職した私の、現在。
転職歴が多いと、「飽きっぽい人なの?」という印象を受けると言われてますよね?
私も、そう言われたことがあります。
でもちょうどバブル後の就職「超」氷河期を経た私たち世代は、転職を重ねてきた人が多いはず。
なぜなら、本当に就職先が無かったから。(涙)
でもそれから「いろいろ」を経て二桁(正確には15‐6回ぐらい?)転職した結果、今の私は十分幸せだったりします。
転職歴が多くても「安心して」もらえる秘訣
面接などで、「どうしてこんなに転職しているのですか?」と聞かれた時は、ある程度の回答を準備しておく必要がありました。
ただ、私が転職した理由をきちんと説明して「これからこんなことがしたいので、頑張るためにここに来ました。」という感じで結構正直にお話しし、面接官の心を掴めば、ほぼ採用は決まったも同然です。
更に30代での転職時には、ありがたいことに企業のほうが「可能な限りウチで頑張っていただければ!(でもいつかはまた転職されちゃうんでしょうね~)」というスタンスでした。
実はある程度キャリアが進んでくると、ヘッドハンティングもあったりするので、転職活動が楽しかったです。
でも20代の当時、まだそれほど転職が普通ではなかった時代だったので、既に3回という私の転職歴では、転職し過ぎな印象を与えてしまったらしく、なかなか書類選考どころか面接までたどり着けないことが多かったです。
これを打破するために、私は見方や視点を変えたり、いろいろチャレンジしてきました。
暗闇の20代を経た結果、何でもできる30代になった
「若い時の苦労は買ってでもしろ」ということわざがあるけれど、私の場合は正にそれでした。
新卒時の私の田舎では、ほぼ新卒採用が無いぐらいの冷え込み度合でしたから、初めての就職活動には本当に苦労しました。
そのため、私の最初の職は「誰でも取ってくれる」業種でした。
その後の20代もなかなか転職先が見つからないため、時給が少しでも多いバイトや派遣を探していました。
が、大抵の時給のいいお仕事は、ほとんどが「きつい」系でした。
精神的な追い込みがある、一緒に入った子がすぐ辞めていくタイプのものだったり、成績を上げられなければ「肩たたき」されるものだったり。
そのため、そのきつい仕事でいかに長く続けることができるか、もしくはそこで求められる人材になるか、を常に考えていた気がします。
精神的に追い詰められたり、普通ならしなくてもいい苦労を無駄に・余計にしてたかもしれません。
でも、その経験は全部今に活きてます!
おかげで30代になると、どの職場にいきなり入っても「今までもいましたが?」みたいな顔をして仕事にすんなりなじんでいくことができるまでに。
(元々はそんなにオープンじゃなく弱気傾向の性格も、だんだん経験と苦労によって図々しく強気に。笑)
ちなみに、1年しか働いていなかったホテルではよく「え?あなた10年ぐらい勤めてたよね?」と言われるほどの存在感があったみたいです。(笑)
そして、20代での厳しい職場で人間関係的にも病むほど揉まれたおかげで、新しい職場に入る際には、「嗅覚を働かせて」乗り切る方法も何となく身に付いたような気がします。
・・・これには私なりの法則とコツがあるんですよね~。(のちのち書いていく予定です。)
で、実は現在の私は・・・
今は、日本の会社とのお仕事を細々と、そして時々飛び込んでくる英語やスペイン語などを使ったスポットのお仕事を「選んで」したりしています。
一日の実際の仕事時間はトータル3時間程度。
それ以外は自由にしていますが、性分なのかちょっと気になることを調べたり、次の仕事の可能性になりそうなことを「楽しみとして」チェックしたりしています。
(でも漫画を読んだりドラマを見たりダラダラしたり、それ以外に使っている時間のほうが圧倒的に多いですが。)
ちなみに、私は日本語はネイティブ、英語とスペイン語は中級程度です。
でも交渉力はどの言語でもかなりあると友人・知人や昔の仕事仲間から見込まれているので、そういったお仕事もたま~に来ます。(この交渉力についても、これから書いてみたいかも。)
私の英語は、ほぼ独学で習得したものです。
そしてスペイン語は、結婚した相手がスペイン語圏の人だったので仕方なく習得しました。
ちなみに英語は30代から勉強して、スペイン語は40代から勉強しました。
(この語学習得方法についても、いつか書いてみたいと思っています。)
おかげさまで、今はのんびり「好きな仕事だけ選んで」やらせていただいているので、私のお仕事熱はほどほどに満たされています。
本当に、リモートで働くことが充実してきている現状に感謝です。
そしてこれからも、細々とでも楽しんで仕事に関わっていきたいと思っています。
なぜなら私にとって、お仕事は楽しいものだから。
そしてこのnoteで、可能なら私の経験が誰かの参考になることを願っています。