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生成AIを「文化の盗用」として考えてみる


文化の盗用とは

「文化の盗用」について議論の出発点とされるのが,2008年に出版されたカナダ・ビクトリア大学哲学科のジェームズ・O・ヤング教授(James O. Young)の著書“Cultural Appropriation and the Arts”)(『文化的盗用と芸術』)である。
(略)
 まず「盗用」(Appropriation)についてヤングは,OED(Oxford English Dictionary)が「物事(thing)を私的所有物(private property)とすること」と定義していること,そしてほとんど全ての芸術家がアイデア,モチーフ,プロット等を他の芸術家から流用または借用(borrow)していることを指摘した上で,「文化的盗用」とは,異なる文化の境界線上で生起される問題であり,「ある文化の構成員がアウトサイダーであるにも関わらず,他の文化の構成員(インサイダー)によって生み出された要素を自らのものとして取り入れること」であると説明する。

学校法人 先端教育機構 機関リポジトリ 伝統文化の「盗用」と文化デューデリジェンス

文化の盗用は、自身が属さない文化の要素を取り込むことです。
すべての文化の盗用が問題であるわけではありません。
問題となった例を見てみましょう。

例えば2019年6月には,アメリカの芸能人キム・カーダシアン(KimKardashian)が下着ブランド「キモノ(KIMONO)」を商標登録しようとしたところ「文化の盗用」であるという批判を浴び,撤回に追い込まれた。2021年3月には,イタリアのファッションブランドであるヴァレンティノ(Valentino)がウェブCMを公開したところ,動画中に着物の「帯」のような物を日本人モデルがハイヒールで踏んでいる描写が含まれていたことに批判が殺到し,ヴァレンティノはプロモーション動画の公開を停止し公式に謝罪を表明した。
 その批判において多用されたキーワードが「文化の盗用」であった。日本の伝統文化である着物に対する「敬意の欠如」が消費者の反発と批判を招いたというにとどまらず,非難の核心には「文化の盗用」という概念があったのである。

これらは著作権や意匠権等の知的財産権を侵害したわけではありません。
主に倫理的、道徳的問題によるものです。
一体どういった場合に問題となるのか見てみましょう。明確な線引きはないので、問題にされる可能性を高める要素として捉えます。

問題のある文化の盗用とは

ヤングによれば,全ての文化的盗用が道徳的・美的に間違っていると言える訳ではない。
(略)
これに対して,文化的盗用が道徳的に間違っていると言えるのは,それが,時に窃盗(theft)や攻撃(assault)とも言うべき形態を取ることによって,文化のインサイダーに「経済的機会の喪失」,あるいは意にそぐわない「同化」や「プライバシー侵害」といった「不当な危害」(unjustifiable harm)または「不当な攻撃」(unjustifiable offensive)を与える可能性がある場合である。

「窃盗」「攻撃」の形態によって不当な危害を与える可能性がある場合、

哲学者でサウサンプトン大学講師のニルス=ヘニス・スティア氏も、「敬意をもって注意深く文化の盗用を行った結果、美学的価値に優れ、人類に有益な作品が生まれることもある」と指摘する。ピカソはアフリカの仮面をモチーフに《アビニヨンの娘たち》などの傑作を描いた。スティア氏によれば、文化の盗用が倫理的に正しくないと見なされるのは、「権力の不均衡がある」「その文化に属するマイノリティーの同意がない」「その文化に属する人たちが間違って表現される、ステレオタイプ化される、または名誉を傷つけられる」といった場合だ。

「文化の盗用(Cultural Appropriation)」、その不完全な用語が担うものとは。【コトバから考える社会とこれから】 | Vogue Japan

「権利の不均衡」がある場合や「ステレオタイプ(固定観念)化」する場合、「名誉を傷つける」場合、

「文化の盗用」が問題になるのは、盗まれた人々と盗んだ人々との間に、たとえば搾取や大虐殺などの暗い歴史的な関係があった場合だろう。あるいは、現在の社会において盗まれた人々を傷つけるものだ。または、よくわかってもいないのに、その文化の代表者のように語ることも「文化の盗用」とみなされる。

他者の文化を使った人たちが、その文化を持つ人々を見下げ、悪いステレオタイプを広めるとしたら、それは許してはならない「文化の盗用」ということになるだろう。その他の場合は、他者の文化が好きでやっていることなのだから、喜ぶべきことではないだろうか。

「文化の盗用」は何が問題で,誰なら許されるのか?あるベストセラーが巻き起こした論争 Newsweek電子版

「理解の欠如」がある場合や「見下げ」ている場合、

文化の盗用を防ぐには、他者の文化をリスペクトし、真摯に、同時に喜びを持ってクリエイトすること。間違っても手軽なビジネスとして利用しないこと。特に日本における大マジョリティである日本人は、自身だけでは気付きにくいマイノリティの心情を、マイノリティと直接の交流を持って知ること。

いずれも簡単なことではない。だが、これが文化の盗用を理解し、かつ異なる文化を融合させ、 多様性時代の豊かで新しい文化を創り出す方法なのだ。

日本人が知らないアリアナ・グランデ「文化の盗用」批判の背景とは―多様性時代に豊かで新しい文化を創り出すには―,文春オンライン

「手軽なビジネスとして利用」する場合、「交流の欠如」がある場合、

多くの研究者は、「ある人が他文化の服を着ること自体や、受け手が不快な気持ちになること自体が“文化盗用”になるのではない」、と主張する。問題なのは、誰かが他文化を用いることよってそのデザインや芸術文化の意味が再定義されてしまい、他文化を用いた人をサポートする構図になったり、自分たちの文化であるにもかかわらず、その文化の人が固有の文化を用いることにためらいをもちはじめてしまったりするときだ。

文化盗用とは・意味 | 世界のソーシャルグッドなアイデアマガジン | IDEAS FOR GOOD

「盗用された側が盗用した側をサポートする構図」などです。

しかし、文化や芸術が複製技術によって大量生産される時代に入ると、模倣による「被害」というものが、放任できない問題となってくる。

こうした知的財産権の中でも、伝統文化の盗用の問題は、意匠権や著作権の問題になりそうに見える。しかし、意匠権や著作権でこれらを保護することは難しい。

リスペクトか盗用か 民族文化と模倣 法学館憲法研究所コラム

「大量生産」も問題を増幅する要因になり得ます。

ファッションローガイドブック2023においても、文化の盗用について書かれています。
(ファッション関係で「文化の盗用」が問題となった主なケースも挙げられているので、どのような事例があるかを知りたい場合は役に立ちそう)

文化の盗用とは
ある文化・民族・コミュニティに特有のデザインやモチーフ、スタイルや名前などの要素を、そのコミュニティに属しない外部の主体(例:ブランドやデザイナー)がビジネスに流用し、自らの利益だけを追求することなどを「文化の盗用」といいます。

なぜ「文化の盗用」が問題となるのか
(略)
そのため、当事者ではないブランドがある文化の伝統的なデザインやモチーフ、スタイルといった文化特有の要素の多くは、歴史的な背景や社会的な意味・価値を持ちます。
①本来の文化的文脈を踏まえず、
②元のコミュニティの理解も得ず、
③利益を還元・配分することなく、その文化的要素を流用することは、「元々の歴史的背景や文化的な意味を抹消・剥奪し、そのデザインをコモディティ化する行為」、「元の文化・コミュニティが得るべき報酬や名誉を無視して文化的要素を搾取し、自分たちの利益だけを追求する行為」として倫理・道徳上の問題があるとの評価が国際的に広がっています。

ファッションローガイドブック2023

文化の盗用によって引き起こされる問題

上記引用には、問題のある文化の盗用によって起こる問題として、「デザインのコモディティ化」や「報酬や名誉の搾取」が挙げられています。
コモディティ化とは、希少性がなくなって一般的なものになることです。
倫理、道徳上の問題に限らず、経済的な問題も挙げられます。

経済的な問題

倫理的な是非はさておき、マイノリティーの文化は経済価値を生む。(略)それらは物珍しい、つまり "マイノリティーであるからこそ" 経済価値を生んでいる。見世物のように消費されるケースから日常生活にまで浸透したケースまで消費の仕方は様々だが、それらが経済的価値を持っていることに疑いはない。

しかし、もしマジョリティー側がマイノリティーの文化を独自の形式で消費するならば、彼らが享受している経済的価値は、何らかの損害を被る可能性が高い。

自由市場の中で、マイノリティーの文化が淘汰されてることを当然だと考える人もいるかもしれないが、それは間違っている。その理由を示す経験的・倫理的研究は数多くあるが、例えば暴力的な支配によって経済的利益を得た場合など、過去に不正な行為によって生み出された利益が現在でも経済的利益の源泉になっているケースは少なくない。

文化の盗用とは何か?所有/収奪という二項対立を乗り越える | The HEADLINE

希少なものを不当にコモディティ化する行為は、経済的損失を与えることに繋がります。

以下では文化の盗用の問題についての批判を想定したものが挙げられています。
これらは生成AIにおいても多く見られるような批判です。

そのことを念頭に置いて、まずは文化の盗用によく向けられる批判を見ていこう。これらは、そもそも文化の盗用を誤って解釈した指摘である。そのため、不毛な論争を避けるためにリスト形式で示しておく。

・すべての文化は、混じり合うものである → その通りである。しかし文化の盗用は、前述したとおり「文化の交配」そのものを否定する考え方ではない。
・日本も西洋文化を取り入れている → 文化の盗用はマイノリティーの文化や風習などがマジョリティーによって、不適当に取り入れられる状況を指す。後述するように、特にそれらの一面的な理解のまま商用化する場面で批判される事が多く、時間をかけてその文化が社会的に受容されたり、文化が溶け合うことを批判しているわけではない。
・文化が広まっていくのだから良いこと → こうした声は、文化の盗用を一面からしか見ていない。後述するが、文化の盗用には文化を不当に奪われるというアイデンティティの問題以外にも経済的な問題がある。

生成AI問題に言い換えると、上記三項目は次のようになるでしょう。
・人間も学習する→文化の盗用自体が問題なのではなく、非倫理的な文化の盗用が問題
・二次創作している→特にそれらの一面的な理解のまま商用化する場面で批判される事が多く、時間をかけてその文化が社会的に受容されたり、文化が溶け合うことを批判しているわけではない。
・表現の民主化のため→非倫理的な文化の盗用には文化を不当に奪われるというアイデンティティの問題以外にも経済的な問題がある。

また、これは背理法的な考えですが、
もし文化の盗用によって文化の融合や文化の広まりが健全に行われるのであれば、ファッションローガイドブック2023において推奨されているはずです。

表現の自由を狭めるといった批判に対しては、以下のような意見があります。

文化流用や差別表現の問題性を強調することに対しては,デザイナーをはじめとするクリエータを萎縮させる可能性があることが問題として指摘されている。
(略)
これらに留意することは,創作者を萎縮させるといえるのかもしれないが,文化的な要素を外部者として利用する際に一定の注意を要しなければ,利用される文化やその担い手に対して弊害となる可能性があることは,創作の前提認識として位置づけられるものではないかと考える。とりわけファッションにおける文化要素の利用は利益獲得目的で行われていることを考慮すると,創作者の意図しない文化流用や差別表現が生じることを未然に防止しようとする姿勢が要請されるのではないかとも考える。

ファッションに関連する文化流用と差別表現 南山大学機関リポジトリ

すなわち、創作行為において他の文化を尊重する姿勢は要請されるべきものであろうという至当な考えです。

法律との関係

文化的表現を知的財産法での保護することは難しいとされています。
知的財産権は文化コミュニティに与えられる権利ではないためです。

なぜ、次にあげるような現在の知的財産権法は一般的に十分ではないのだろうか?

(略)
知的財産権法は、限られた期間の個人の創作物を保護するように設計されているが、一方で文化的な実践や表現は、幾世代にもわたって集団的に発展している。さらに、知的財産権法は一般に社会における主たる世界観を反映しており、それが先住民族の視点であることはほとんどない。

しかしながら、ほとんどの知的財産権法が先住民族の文化的な表現を十分に保護していないという事実は、先住民族の文化的な表現が自動的に「公有財産(パブリック・ドメイン)」に分類され、誰でも利用できることを意味する訳ではない。先住民族のコミュニティにおいて適用されている慣習法が、特定の権利、責任、そして文化的な義務を決定づけている。(略)むしろ、多くの人々がこうした規定に無頓着、あるいは無視することを選択していることが問題なのである。

では、なぜ先住民族はこの問題を避けるために国家あるいは国際的に承認された法や協定に頼らないのだろうか。彼ら・彼女らの権利を守ために国内法を適用したり、国際宣言に頼ったりすることもある。しかしながら、ほとんどすべての場合において、これらの手段が十分な保護を提供できる訳ではなく、またそうした手段が先住民族の法や原則と適合しない場合さえある。

文化遺産に関する知的財産権問題(IPinCH)プロジェクト. 2015. 『盗用してしまう前に考えよう:先住民族文化の不正流用を避けるために知るべきこと、尋ねるべき問い クリエイターとデザイナーのための手引き』サイモン・フレーザー大学:バンクーバー

日本において、慣習法は、定められた法令に対抗することはできないものの、法律と同一の効力をもつことがあります。

第三条 公の秩序又は善良の風俗に反しない慣習は、法令の規定により認められたもの又は法令に規定されていない事項に関するものに限り、法律と同一の効力を有する。

法の適用に関する通則法

国によっては一部の文化的表現を法律で保護している場合があります。

伝統的なデザインは一般的には知的財産権では保護されにくい傾向にありますが、中には法律で特別に保護されている例や保護のための取組がなされている例もあるため、インスピレーション源となったデザインについてこの観点でも調べてみましょう。

ファッションローガイドブック2023

日本での対応はどうなっているかを探してみると、以下のような見解が見つかりました。ただ、これは最新のものか定かではありません。

第2節 フォークロアの保護への対応の在り方について
1 フォークロアの保護の検討の状況

(1)フォークロアの定義
フォークロアとは,「民間伝承」や「民族文化財」等と呼ばれ,ある社会の構成員が共有する文化的資産である伝承の文化表現を意味する。
(略)
なお,WIPO の「遺伝資源,伝承の知識及びフォークロアに関する政府間委員会」(以下「IGC」という。)の議論では,幾つかの参加国から「フォークロア」という言葉に異議が出され,現在,IGC の文書では,主にTCEs/EoF(「TCEs」は Traditional Cultural Expressions,
「EoF」は「Expressions of Folklore」の略。)という表記を用いている。(ただし,この報告書においては,便宜,我が国でこれまで一般に用いられている「フォークロア」の用語を用いる。)

3 フォークロアの保護への対応の方向性

フォークロアの保護の根拠としては,①伝承の文化的表現が商業化された際に,伝承者に正当な対価を与える必要性,②伝承の文化的表現に対する尊厳を保障する必要性,③ある特定のコミュニティーの中で受け継がれ
てきた精神性のある文化的表現が失われずに次代に継承されることを保護する必要性等が述べられている。
①に関しては,既に公有(パブリックドメイン)に帰したものを著作権類似の制度を創設して一律に保護すること,あるいは無期限の独占権を与えることは,創作活動を促進しようとする著作権制度の目的に照らして,適当ではないと考える。
②については,社会全体がお互いに文化を尊重しあうというモラルの問題として捉えるべきであって,創作者を特定できないのに人格権的な保護を与えることは,著作権制度等の考え方と本来なじまないと考える。ただし,これらに関しては著作権制度と別の形での特別な(sui generis)権利による保護について各国の実態や WIPO での今後の議論に留意していく必要がある。
③に関しては,著作権制度とは別に,国の文化財保護政策の一環として何らかの支援を行うことを検討することが考えられる。
フォークロアの保護の取組みについては,各国が地域の特性や文化に合わせて,文化財保護の枠組み,不正競争防止法等による対応などによって,実施していくことが適切であると考えられる。
(略)

文化審議会著作権分科会報告書(平成18年1月)

文化審議会では、文化財保護の枠組みや、不正競争防止法等による対応が考えられています。
不正競争防止法で対応するには、利益をあげていることが必要になるため、無償で公開されている作品には適さないと思います。
文化的表現の保護は個々人のモラルに頼っている部分が大きいのではないかと思います。

生成AIについて

さて、生成AIと文化の盗用の問題についてです。
(ここでは画像生成AIを想定します。)
非倫理的な文化の盗用の問題がないであろうもの、対策されてるであろうものと比較してみます。

・生成AIとデジタル作画

生成AIは表現をコモディティ化し、デジタル作画は手段をコモディティ化します。

BBCのインタビューで、エマドCEOは「Stable Diffusionは“生成型検索エンジン”と考えている」と説明。Googleの画像検索が現実に存在する写真を表示するのに対し、Stable Diffusionは想像できるものなら何でも表示すると表現している。

「イラストやデザインの仕事は退屈」──Stable Diffusion開発元の代表インタビュー記事が話題 - ITmedia NEWS

検索は合致するデータを探すことです。生成AIは、学習した表現の要素から探し出し、再現しようとします。
手法(例えばエアブラシ、変形など)を使って表現されたものを再現します。

デジタル作画は、アナログ作画の再現(筆圧を感知して線を表示するなど)を基調とし、調整可能な領域を広げます。
手法(例えばエアブラシ、変形など)を再現します。

・生成AIと二次創作

二次創作は、少なくとも権利の不均衡が解消されています。問題のある文化の盗用に対し、法によって咎めることができます。
これは問題のある文化の盗用に対する抑止力(=モラルの重要視)にもなるでしょう。

生成AIは、まるで文化を盗用し放題かのような状態になっています。(意にそぐわない「窃盗」、マスターピースがAI絵として「ステレオタイプ化」、淘汰されるべきなどの「見下げ」、スパム的な形態で「手軽なビジネスとして利用」など)

生成AIは学習したデータの特徴を再現することから、そのデータが他の文化による表現物である限り、生成AIの出力物の利用とはすなわち文化の盗用と言えるのではないかと思われます。(Cultural Appropriationは文化の流用とも訳されます。ここではそちらのニュアンスの方が近いです。)
その生成AIが非倫理的構造によって成り立っていた場合、問題となるのは必至だと思います。
非倫理的構造とは、「権利の不均衡」がある、「交流の欠如」がある、「見下げ」ている、「盗用された側が盗用した側をサポートする構図」などです。
これは生成AIの構造、データセットの問題に繋がります。

おわりに

以上をふまえ、いくつかの意見を書きたいと思います。

・文化的表現への尊重の必要性について

文化的表現は知的財産権で保護されないのだから、文化的表現への尊重(モラル)の必要性は、著作権権利制限規定の有無に左右されないはずです。
すなわち、権利制限を正当化できるからといって、文化的表現を好き勝手に扱うこと(モラルを無視すること)が正当化されるわけではないと思います。

・著作物に表現された思想又は感情の享受を目的としない行為について

2.各論
(1)法第 30 条の4(著作物に表現された思想又は感情の享受を目的としない利用)
問5 規定の趣旨及び内容はどのようなものか。
著作物に表現された思想又は感情の享受を目的としない行為については,著作物の表現の価値を享受して自己の知的又は精神的欲求を満たすという効用を得ようとする者からの対価回収の機会を損なうものではなく,著作権法が保護しようとしている著作権者の利益を通常害するものではないと考えられるため,当該行為については原則として権利制限の対象とすることが正当化できるものと考えられる。

デジタル化・ネットワーク化の進展に対応した
柔軟な権利制限規定に関する基本的な考え方
(著作権法第30条の4,第47条の4及び第47条の5関係)

著作物に表現された思想又は感情の享受を目的としない行為は、著作物の表現の価値を享受して自己の知的又は精神的欲求を満たすという効用を得ようとする者からの対価回収の機会を損なうものではないとされています。
しかし、問題のある文化の盗用によって経済的な問題も起こり得るということは、
著作物に表現された思想又は感情の享受を目的としない行為(=「デザインのコモディティ化」や「報酬や名誉の搾取」)であっても、対価回収の機会を損なう可能性はあるということではないかと思われます。

・対応策について

文化的盗用と根底で深く結びついている、社会的差別や権力性という問題は、法規制によって統制するという対症療法にはなじまないように思われる。そこで、規制的な法政策ではなく、一方ではそうした価値ある伝統文化に文化財指定などの価値承認をしていくこと(これは実際に行われている)、他方で模倣したがる表現者に無神経な模倣(模倣される側にとって「盗用」となるような模倣)を慎んで真摯な理解をするように促すガイドラインを策定する、という方策を組み合わせることが良策だ、と筆者は考えている。文部科学省もこの問題への取り組みを行っている。また国際レベルでも「文化享有権」の中でこの問題が議論されている。

リスペクトか盗用か 民族文化と模倣 法学館憲法研究所コラム

無神経な模倣に対しては、ガイドラインによる対応が適切だという考えがあります。
しかし、それは果たして機能するのか疑問です。
情報解析のための著作物の利用が原則合法であること(=一方の権利が抑圧されている、権利の不均衡)を根拠に非倫理的な文化の盗用が正当化されている節があるためです。
①そもそも非倫理的な文化の盗用は知的財産法の射程ではないため基本的に違法ではありません。(ただし、前述したように、一部の文化的表現は法によって保護されているものもあります。特定の作品と類似性がある場合などは知的財産権侵害や不正競争防止法違反になる場合もあります。)
②むしろ権利の不均衡があることを示すのは、その文化の盗用が非倫理的である可能性を補強します。
③合法であるということは、生成AIという文化の盗用に使う"道具の違法性"に関するものであって、文化の盗用の問題は、その構造が"モラルに反する形態か"どうかの問題です。
以上三点から、「著作権の権利制限規定によって合法だから非倫理的な文化の盗用をする」というのは根拠になっていません。「非倫理的な文化の盗用ができるから、非倫理的な文化の盗用をする」といってるようなものです。
裁く法がなくとも、権利の不均衡による文化の盗用が倫理的問題として捕捉されていたファッション業界とは真逆の様相であることが伺えます。

新たな対応策を考えてみると、
文化的表現に権利を与えることは、文化的表現の定義や境界が不明瞭なため難しいと思われます。
著作権法30条の4の但し書き「著作権者の利益を不当に害することとなる場合」で対応し、権利の不均衡をなくすのが手っ取り早いと思います。

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