笑わなくっても余裕で天使さ
私、満面の笑みを浮かべている写真が一枚もないな。
そのことに気付いたのは、去年の暮れ、「ストレージがいっぱいです」とスマホからお叱りを受け、「なんでこんなん撮ったんや」みたいな写真と動画、「一回も開いてないやんけ」みたいなアプリ、そして、「こいつはもうええか」という相手のアドレスを一気に消去していた時の事だった。
自撮りの多さとクオリティーの低さにげんなりしつつ、年末の大掃除気分でどんどん写真を選択消去していると、ふと、一枚の集合写真のようなものが目に留まった。撮影時に何かアクシデントがあったのだろうか、全員何故か爆笑しているその集合写真の中で、私一人が、若干カメラに視線をやりつつ、「どうしていいかわからない」というような表情を浮かべていた。
突然だが私の芸名は「表情 豊」という。
「ひょうじょう ゆたか」である。
演劇を遊びとして始めた頃、とにかく語呂がいい言葉、みたいなノリで、酔った勢いのままつけた名前が妙に浸透してしまい、十年経ってしまった。
ヤバいと気付いた時にはもう既に、改名するのもダサい空気になっていて、インタビューなどを受ける時も、まさか「酔った勢いでつけました」とも言いづらく、ボケとしても普通に面白くないので、「大人計画に入りたくて…」とか「ぱいぱいでかみをリスペクトしていて…」とか、なんか、それでもやっぱり別に面白くはないが、(大人計画とぱいぱいでかみは好きです、すいません)その場しのぎの、適当な理由をつけて答えていた。
なんでそんな名前にしたんだ。
こいつのどこが表情豊かなんだ。
そこから気になって、自分の写真を見返して見ると、本当に自然な笑顔の写真がない。自撮りによる決め顔が六割、残りの四割はカメラを向けられているときで、大体おふざけ顔をしている。そして、無意識に撮られている写真は、ほとんどが大体人殺しみたいな顔をして写っている。そもそも私は顔が怖い。気を抜いているとすぐ前科がつく。締切前などは完全に凶悪犯罪者だ。
ここまで書いて何の話だったか忘れた。私は別に自分がなんで「表情豊」という芸名にしたのかみたいな話がしたいわけではない。ていうかさっき言った。酔った勢いだ。しかし、その酔った勢いには、今思えば、自分のコンプレックスみたいなものが隠れていたのかもしれない。
私は自分の笑顔がとても嫌いであった。
今も、映像のチェックなどして自分の笑顔を見ていると、「何わろてんねん」と思う。なんか腹立つ。自分の笑顔をちっともいいと思えない。他人の笑顔は好きなのに。
「破顔する」という形容詞がある。
「破顔(はがん)」
顔をほころばせてニッコリと笑うことを意味しています。 口元が緩み顔がほころぶさま、嬉しい気持ちで表情が和らぐことを指す言葉となります。
らしい。
なるほど。破顔とは、顔がほころぶことなのだ。
人前であまりほころんでないのだ。私は。全然破顔してないのだ。なぜなのだ。生きていれば面白い事はたくさんあるのに。今日も朝、我が子が妙なダンスを踊っているのを見て爆笑したばかりなのに。
「笑顔が素敵だね」と、言われたい人生だった。
いや、言われたことがないわけじゃない。言われたことはあるが、自分でそれを一ミリも認められない。「笑顔が素敵じゃん」と自分で思わない限りは、いくら「笑顔が素敵だね」と言われても、受け入れられないのだ。
思春期、自分の笑顔が嫌いで、嫌いで、本当に、人前で笑わなくなったことがあった。別に誰かに笑顔を貶されたとか、そういうことではないのだが、私はとにかく自分の笑顔が嫌いで、笑わなかった。それが原因で職員室に呼び出されたり、親族にも心配されたものだが、私は常々こう思っていた。
「なんで笑わなあかんねん」
「笑いたないねん」「イヤやねん」
笑顔はとても素晴らしいものだと思う。思うが、それは、強要されるものではない。無理して笑う必要はないと思うのだ。笑顔が可愛いのは、魅力的なのは、素晴らしいことだ。私もそうなりたい。
でも私は、「笑った方がいいよ」と言ってくる人より、「笑わなくっても魅力的だよ」と言ってくれる人を信用したいし、愛したい。
これは完全に私のコンプレックスになると思うのだが、私の幼少期、思春期には、残念ながらそういうアプローチで私に接してくれる人は少なかった。我ながらややこしいガキだったとは思う。思うが、当時の私には多分、そういうアプローチが必要だった。「もっと笑いなよ」「笑った方がかわいいよ」は百万回聞いた。しかし、「笑わなくっても余裕で天使さ!」と言い切ってくれる人はいなかった。
私と同じような理由で写真が嫌いだとか、笑顔が嫌いだとか、そういう人には、「笑わなくっても余裕で天使さ!」と言って回りたい。大森靖子の曲の一節なのだが、聞いたとき、脳天を貫かれた気になった。そうだ、笑わなくっても余裕で天使なのだ。私は。あなたは。笑わなくっても余裕で天使だから、笑っても多分余裕で天使だ。かわいい。私も、あなたも、生きているだけで、かわいい。笑わなくてもかわいいのだ。だから大丈夫だ。
勿論そのうち私も、満面の笑みで写真にうつれる日が来ることを祈っている。