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遺言ブログ#16 遺るもの

大学サッカーが終わった。

あっという間に過ぎていった4年間。

大きな習慣がひとつ消えた。

すきまに吹き込む仙台の空気は、冷たい。

それでも、この4年間で得たものはたしかにあった。

濃密な時間の記憶が、哀しくも温かい。




なぜ大学でサッカーをするのか。

大学でサッカーをすることに価値はあるか。

1年目の冬に問いをぶつけられた。

自分は何が得たくて、そこにいるのか。

引退した先輩は何を得たのか。

強く意識したきっかけは、当時の先輩の遺言ブログだった。



1年目の入部当時、チームの状態は良くなかった。

結果が出ず、どこか重い空気だった。

それでも、この人たちとプレーしたいと思えるような

そんな先輩たちの姿があった。

思えば、それは人を楽しませる、ということだったのかもしれない。

プレーで人を楽しませる。

まさしく ”Enjoy Football” の一側面。

理念はプレーで体現されていたのか、と驚く。



トップでの出場機会を得始めた、1年目の後期。

チームとしての転機。この試合でピッチに立てたのは幸運だった。

0勝で迎えた後期開幕節。相手は前期0-6で敗れた東北学院大。

タイトな展開の中で、激しく攻め込まれるも、耐える、奪う、カウンター。

プレッシングもうまくいっていた。そして、少ないシュートがほぼ入る。

終わってみれば結果は4-1。

これが東北大学の、エリートじゃないチームの、勝ち方なのだと実感した。

個人としても、チームとしても、長らく忘れていた勝利の感覚だった。

なにより、先輩たちとその場で一緒に喜べたことが嬉しかった。

振り返っても、大学サッカー生活最高の瞬間の一つだったと思う。


躍進は翌シーズン末まで続いた。

結果、2年目には3位とインカレ出場の目標にあと一歩のところまできた。

長いことCBだった自分にとって、チームのこそが勝利が最高の喜びだった。

自分が出場した学生リーグで10勝分も。

10試合、自分のプレーの出来なんてどうでも良いほどには嬉しかった。

本気でサッカーの試合ができる。下克上。勝つ喜び。

シンプルだが、その意味でサッカーの楽しさを存分に感じた2年間だった。

高校では現実の厳しさに勝てない試合も多く、最後の選手権予選も格上に跳ね返された。

勝利という結果で報われなかった高校時代。やり残しを拾えたと思えた。

また熱いサッカーがしたい、そう思って入部した。

純粋に、大学の部活でサッカーを続けて良かったと思えた。



そして3年目のプレシーズン。言うまでも無く、大きな転換点。

部員のみんなから主将になるチャンスをもらった。

それまで主将なんて経験なかったが、そんなの言い訳にしてはいけない。

部員79人のリーダーとして何が出来るか。

部員78人、バックグラウンドはバラバラ。

仮にも旧帝大。入るのは簡単じゃない。浪人も多い。

それぞれ学業でやりたいことがあり、東北大に来ている。

それでも、どこか一つ同じ方向を向ければ強い、と思った。



東北大のサッカー部は、誰もプロを目指していない。

じゃあなんで大学の部活でサッカーしてるかって?

サッカーが好きだから。

もう一度本気でサッカーをしたいと思ったから。

シンプルだけど、大切な原点。大きな共通項。

全員がトップチームで出られる訳じゃないけど、

どこか一つ同じ方向を向いて、

Enjoy Football の理念に対して、

進んで行くことが、最後に大きな力になると思った。



チームの目標が学生リーグ2位以上に決まり、

主力の4年生が抜けたぶんの、再構築からのスタート。

学生主体といえば聞こえがいいが、現状サッカーの指導者がいないだけ。

事務を学生で分担しているだけ。部員以外の大人との関わりが少ないだけ。


でも、だからこそ、

自分で納得できるプロセスを踏みながら、作り上げていく面白さがあった。

サッカーに対する新しい見方を獲得できた。

新たな責任感が生まれた。

班制度において仕事をした人は、その感覚を共有できただろう。



さて、主将として迎えた3年目のシーズン。

年明けから春休み。練習試合を週2で組む。試合機会の確保。戦術の検討。

2,3月が終わると、新型コロナの流行がやってきた。

はじめは、来週再開出来るかもしれない。そう思って再開後のトレーニングの準備をした。

けれど、大学からの活動禁止はなかなか解除されない。

こんなところで東北大が大学として背負うものの大きさを感じさせられる。

東北、を背負っている、という意味では守備範囲広すぎだよね。。

そこからは、開幕の延期と活動停止期間の延長の繰り返しだった。

なかなか前に進めない状況で右往左往。

幸い、班制度を活かして内外に向けた活動をすることはできた。

みんな不安だしつらい中、良くやってくれたと思う。



来年以降もこうした中断は起こるだろう。

そのとき、首脳は再開の可能性にかけた準備で手一杯になってしまう。

つまり、その状況をチャンスに変えられるのは部員の力。

別にきっかけは活動休止じゃなくてもいい。

いまや東北大サッカー部は組織の規模も大きくなった。

全員がトップチームで試合に出て、良い思いが出来る訳じゃない。

試合で良い思いをしている選手は出られない人のために行動しているか。

出られない人はチームの中で役割を持てているか。

練習中に出来ることをやるのなんて当たり前にしないといけない。

その先へ進まないといけない。



話がそれたので戻る。

多くの人の協力を得て、関東リーグの再開より2ヶ月遅れで東北大学サッカーリーグは開幕した。

短い期間になってしまったが、再開後の充実感はすごかった。

特に開幕後の2ヶ月。学生リーグ全7節とアイリーグ全7節。

結果、目標には届かなかった。

だが、確かにやりきった。毎試合の準備に妥協はなかったといいきれる。

自分の中では間違いなく、全緑疾走の2ヶ月だった。

与えられた時間の中で、毎試合の準備だけは妥協せずに取り組んだ。

分析する。対策を立てる。共有する。実行する。観察する。修正する。反省する。改善する。

1試合に対して準備をするだけ、試合中に処理できる情報量も多くなる。

4年間でサッカーの技術がどれだけ上がったかはわからない。

けれど、試合の見方、プレー中の考え方は大きく変化した。

そこに新しい楽しさがあった。

東北大サッカー部の環境なればこそ、気づけた部分が大きいのだろう。



たしかに時間はかかる。だが、準備をするだけ、得られるものも多くなる。

自分からサッカーに対するアドバイスがあるとすれば、これだろう。

「チームの戦い方の共有と試合後の評価・改善」

これに対して個人でもそうだが、試合に出る人で、あるいはチーム全体を巻き込んで取り組んでみてほしい。

相手の狙い、システム上の弱点の把握、対応手の準備。そしてそれらが実行できたか。成功したか。

ピッチ上の11人がそれぞれの視点で俯瞰してゲームを観察する。

意見をぶつけ合わせる必要もあるだろう。

その結果、試合中にチーム全体として処理できる情報量が増えて、さらなる飛躍に結びつくことを願う。



3年目のシーズンはチームとしても、短期決戦でいままで以上に勝ち点をとることを意識していたと感じる人も多かっただろう。

しかし、何かに時間を使う、ということは、他の何かには時間を使わない、ということ。

ルーティン化したメニューやBチームの練習等、しわ寄せは確実にあった。

中には納得出来ない決定もあったはず。

多くに時間を割けなかで、不器用な自分なりに、チームの目標に対して誠実になろうとした結果だった。

それでもチームとして成立し、活動できたのは皆の協力があればこそ。

本当にありがとう。

3年目の学生リーグは勝った試合も負けた試合も、全ての試合が自分にとっての宝物になりました。


そして、主将から退き、いち部員に戻った4年目。

個人的なテーマは、恩返しだった。

至らない自分についてきてくれた皆への恩返し。

自分を成長させてくれたチームへの恩返し。

いままで先輩から与えられてきたんだと気づいたことを、今度は与える番。

わかりにくい部分も多かったかもしれないけれど、

遺したものが今後のチームの発展につながって、

部員が東北大サッカー部で良かったと思えるような

サッカー部に入らなかった人がうらやましがるような

そんな組織にほんの少し近づく手助けが出来たんじゃないかな、

と勝手に思っている。



なぜ大学でサッカーをするのか。

大学でサッカーをする価値はあるか。


文の頭に、「自分が」「自分にとって」をつけてみる。

そうすると、答えはシンプルになる。

過去いちばん頭と時間を使える大学サッカーが一番楽しいに決まってる。

自分は大学サッカーが一番楽しかったと自信を持って言える。


さらに、「大学で」を「東北大学学友会蹴球部で」に変えてみる

そうすると、チームカラーが試される。

チームを創るところに大きく関われる。

プロに行くような選手とリーグ戦で出会える。

その他も、活動を通して魅力を獲得していけば、問いの答えになるだろう。


そして、文の頭を、「社会からみて」「社会にとって」と加えてみる。
そうすると、世界が広がる。

「社会からみて、東北大学蹴球部でサッカーをする価値はあるか」
「東北大学蹴球部に社会的な価値はあるか」

正直、社会の中で、東北大学が獲得している個性は、まだまだ弱い。

プロのクラブが社会の中での存在意義を持つように、

社会で認められる存在になれば、世界が広がるはずだ。

幸い、東北大学は大学がもちあわせる性質に特徴がある。

チームカラーを明確にしていき、

サッカーにおいて東北を牽引する組織を目指して、

想いがつながっていくことを期待します。


謝辞。

OB会の皆様、先輩方へ。
これまでに書き記したように、先輩たちから多くの影響を受けました。
それぞれ形は違えど、こうして先輩たちが示したサッカーとの向き合い方を、後輩が感じ取ることで言葉に表されないチームカラーになっていくのだと思います。ありがとうございました。そして、試合を見に来てくれたOBの皆様、めちゃくちゃ嬉しかったです。そのほか、様々なサポートをいただきました。同期を代表して感謝申し上げます。後輩の試合はできるだけ見にいこうと思います!

後輩たちへ。
何かと自分に振り回された人も多かったと思います。迷惑かけたね。そして、ついてきてくれてありがとう。大学サッカーは楽しんだもん勝ち。感情は表に出して、喜びを分かち合ってください。そして、東北大サッカー部は活動の幅を広げて新たなステージに向かう段階なんだと思います。久保田主将を中心に、周りが引っ張る気持ちで頑張って。OBの立場でサポートしたいと思ってます。応援してる!

同期へ。
同期のおかげで楽しい大学サッカー生活になりました。本音をいえばもっとマジメな話を同期でしたかったな。自分勝手ならそれぞれの想いがあったはず。ぶつけ合うことが足りなかったのかもしれないね。でも、そうだとしても、自分が大学サッカーで得られた最も大きい、価値のあるものは、同期のみんなと過ごした時間です。そして、今後の人生のほうがずっと長いんだから、これからもっと盛り上げていこうな!


幼稚園小中高校時代にお世話になった大豆戸FC関係者の皆様、川和高校サッカー部の皆様、おかげさまで、そこで学んだことは全て、大学サッカーのためにあったんじゃないかって言えるくらい、大学サッカーを楽しめました。本当にお世話になりました。

最後に、何一つ不自由なくサッカーが出来る環境をサポートしてくれた両親、おじいちゃん、おばあちゃん、心から、感謝いたします。遠くまで何試合も応援しに来てくれて嬉しかったです。ありがとう。

                     工学部機械系4年 廣瀬海音


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話を広げすぎました。言いたいことを全部言おうとする悪い癖も出てしまいました。しかも、話が抽象的で分かりにくかったと思います。それでも、読んでくれたひと、特に今後を担う後輩たちの中に、何かが遺ってくれればとても嬉しいです。遺言ブログも今回で最後です。最後までやりきった総勢16人、それぞれの想いのつまったブログを読んでみて、いかがでしたか?(写真はサムネ以外、16人分すべて廣瀬のセレクトです!)

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

それでは、さようなら!

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