遺言ブログ#15 実感した力不足と多くの感謝
こんにちは。東北大学経済学部経営学科4年宮本皐佑です。
引退してから11月は主にバイト、12月に入り友達と大阪旅行、東北旅行など、とても充実した日々を送っていました。サッカーをはじめて16年、ここまで何も考えずやりたいことに時間を費やすことはなかったので新鮮さと充実感を味わっています。帰省では久しぶりに会う人も多く、明日からの2週間ほど、毎日がとても楽しみです。
この最後のブログでは、自分自身の4年間を振り返ろうと思います。それでははじめていきます。
入部前
小6 全日本少年サッカー大会、中3 クラブユース選手権U15、高1夏 愛媛国体、冬 トップチームキャンプに1週間程度参加、2・3年夏 クラブユース選手権U18、そして3年夏 チームを離れ受験勉強に専念。本当にありがたいことに、心の底から尊敬できる優秀な仲間や監督・コーチ陣、そして運にも恵まれ、これだけ素晴らしい経験をさせていただいたこともあり、もうじゅうぶん頑張ったという思いがあった。その思いもあり、東北大に合格した当初はサッカーをやるか少し迷っていたが(一応、3月くらいに1度見学には行ってみた)、最後しっかりやりきって終わろうと考え決断した人生で初めての部活。4年間の目標を、1年目:リーグ戦全試合スタメン、2年目:リーグ戦全試合フル出場、3年目:リーグ戦2G5A・首脳陣として強いチームに変える、4年目:インカレ出場とした。
入部当初・1年目
まずは自分自身。受験勉強期間明けで思ったようにボールを扱えない。筋力が落ちた。走れない。キレがでない。プレースピードが遅い。レベルが落ちすぎていて話にならなかった。
そしてチーム。攻守で何でも出来るチームとはかけ離れたチームだった。個々のレベルや特徴を考えると、1部に残るためには必要なチームスタイルだったのかもしれないが、それでも良さや面白さが分からなかった。練習では何度同じメニューをやっても全く上手くいかない。高校の時、サッカー部の選手から「おまえらの鳥かごを見ているだけで負ける気しかしなかったわ」と言われたことがなんとなく理解できた気がした。
そんな中で開幕したリーグ戦。開幕戦ベンチ外からのIリーグデビュー戦のアウェイ八戸で大敗。4年間やっていける気がしなかった。その後も学生リーグはサブ、その翌日のIリーグで試合経験を積ませてもらったが、ただこなしていただけかもしれない。ベンチから試合を見ていてもスタメンで出たいとは思えなかった。負けることに対して何も思わなくなった。練習でも成長しようという気持ちがなくなっていた。最初からAチームに入れていただき、緊張感のある締まった空気の中で練習できる年だった分、勿体なかった。
2年目
このシーズンは、試合によってはスタートで使ってもらうこともあり、途中出場でも難しい場面で出させてもらうことが多くなった。それでも、その1試合・数分でアピールしてやろうという気持ちはなく、ただ無難にプレーすることだけ考えていた。もっと課題と向き合って改善しようとするべきだった。理想だけが高い典型的な良くない選手になっていたように思う。あの、練習で疲れ切って家に帰っても何もする気にならない感覚、そこまで追い込むべきだった。ここまでの2年間、あまり振り返りが出てこないことからも分かる通り、全くサッカーに熱中できていなかった。大学に入ってから何故頑張りきれなくなったのか、自分でもよく分からなかった。こうしているうちに戦友たちは皆それぞれの舞台で成長しているようだった。本当に情けなかったし、所属してきたチームの価値を下げてしまっているような気がして申し訳なかった。
3年目
副主将を務めた1年。自分自身もチームも変えようと意気込んだが、すぐ挫折。正直、サッカー人生で1番酷いチームだったと思う。チームを引っ張るべき3・4年のモチベーションの低さや練習態度の悪さ、どう対応して良いのか分からなかった。言えないならプレーで手本となりチームを引っ張ることができれば良かった。ここでもまた練習不足。2年間の反省を活かせず自身のプレーの質は下がったままだった。
この1年で頑張ったと自信を持って言えることはIリーグ監督。伝わっていたかは分からないし、不満を抱いていた人も多かったかもしれないが、これまでどう育ててきてもらったかを振り返りながら自分なりに工夫して指揮を執った。試合前・HT以外はほとんど指示せず自ら考える力を養わせようとした。その中で、調子が悪くてもあえて長い時間プレーさせるとか、課題が変わらない選手はスタートで使わないとか、前週で良いプレーしていたら少しだけ出場時間増やすとか、そして後期は少し1年生も組み込んでみた。相手のレベルもあることだが、メンバーは過去2年では考えられない好成績をおさめてくれた。上手くなったな・成長したなと感じる選手、頭を使って考えてプレーできる選手が増えたことが嬉しかった。それでもこの1年、次の1年でイメージ通りに成長しない人も多く、チーム運営の難しさを学ぶことが出来た貴重な経験となった。
自分自身の成長は全くなかったが、チームとしては成長のきっかけを掴んだ1年だったように思う。戦い方・方針も少しだけ変化し、ビルドアップの練習にも本格的に取り組みだした。ただ、リーグ戦では結局苦戦して相手の時間が長いことばかりで、自分の代でチームを強くするという目標は達成できなかった。振り返ると、副主将としてもっと出来ることがあったかと思うが、この年のおかげでラスト1年のサッカーにもつながったと思っている。
たいが、とものしん、りき。この3人と首脳陣として活動できたことを誇りに思う。ありがとう。
また、ここまでの3年間で上下関係を経験できたことはとても良い経験になった。この部にはしっかりとした上下関係があり、その良さも悪さも分かった。
4年目
ようやく背番号4を手に入れやる気もそれなりにあったため、最後1年は目に見える数字・結果を求めて果敢にトライしたい気持ちも大きかったが、とにかくチームに貢献することだけを考えるようにした。この年は首脳陣の配慮なのか毎試合4年生が多くメンバー入りしていた。特に後期はサッカー以外のことで足を引っ張られている人も多く明らかに攻守においてつまらないミスが増えていたが、本当はもっと4年生がプレーでチームを引っ張らないといけなかったと思う。苦しみながらも1部残留を決めた最終節、今までサッカーをしてきた中で1番ホッとした。常に流れが悪いのは残留争いをしている時だけだったし、こんなに身体が動かなくなるのかと驚いた。そんなところも含めてやっぱりサッカーは面白いなと感じた。本当に貴重な経験になった。
取り組み続けたビルドアップに関しては、1年を通して長短のパスや中央とサイドの使い分けが上手くいかなかったし、それ以前に最後2試合は相当つまらないサッカーをしてしまっていた気がするが、それが本当のチームの実力なのだと実感した。ただただ弱かった。同じフォーメーションで戦っている関東や関西の大学の試合を見るといかに自分たちの完成度が低いか思い知らされたことを鮮明に覚えている。
もちろん納得するプレーが出来た試合は1試合もなく、練習でも1日もなかった。それでもこの最後1年は比較的楽しんでサッカーができたし、少しはプレー感覚を取り戻せた。練習試合みちのく、前期 八戸・東日本・学院、後期 富士、大臣杯予選 医学部。このあたりの試合ではボールに絡むことも多く、自分にギリギリ及第点を与えてもいいかなという試合だった。
チームの試合内容も90分を通して考えると満足できる試合はなかったが、自信を持って良いサッカーをしていると言えるシーンや時間帯は確実に増えていた。(これが他の年より個人的にはサッカーを楽しめていた要因の一つだと思っている。)特に後期富士大戦。前半35分過ぎ、右サイドを起点とし、誰も無駄なタッチをせず、個人プレーや1個のパスだけで打開しようとしない、ビルドアップの練習が実を結んだ良いシーンが生まれた。決めてほしかったなー、こうせい。この試合も接戦をモノに出来ずに敗戦。毎日の練習や試合前の緩い雰囲気が悪い結果に結びついてしまい、悔しさが残った。
振り返ると、本当に苦しく、不甲斐なく、そして情けない4年間だった。設定した目標は何一つ達成できず、期待された活躍が出来たわけでも、経験を伝えて強いチームに出来たわけでもなかった。高1から本格的にはじめたボランチというポジションの難しさを最も感じた4年間でもあった。サッカー人生ではじめて、練習に行きたくない、試合が怖い、勝っても嬉しくない、逆に負けても悔しくない、そう思ってしまうことが多々あった。これまで出場してきた全国大会にも全く手が届きそうになかったこのカテゴリー。
色々なモノを失ってしまったが、学んだことも2つあった。
一つが、「本気でサッカー・自分自身と向き合うことの大切さ」
サッカーとの向き合い方
シーズン中の体調管理。負傷離脱時の過ごし方。授業、食事、睡眠、飲み会、遊び、バイト等のサッカー以外の私生活の部分。ベストコンディションに持っていくため・試合に勝つため・成長するために優先順位をどう付けていたか。本当に向き合えていたのか。自分を含め全員の基準が甘いチームだったと思う。そこの向き合い方・設定している基準の差が仙台大戦をはじめとする惜しいように見える試合で勝てない理由だったと感じる。
自分自身との向き合い方
他人ではなく自分の性格やプレーの特徴・ミスや課題と真剣に、そして厳しく向き合いながら練習に取り組み続ける。試合に出ているとかAチームに長くいるとかは全く関係ない。そういう人ほど意外と自分と向き合い切れず、課題が同じままだったり、最後1年で伸び悩んだりしていた。当たり前のことだが、自分だけでなく、同期や先輩・後輩を見てその大切さをよく理解することができた。
もう一つが、「伝えることの大切さ」
中・高時代によく言われていたが、当時はあまり理解できていなかった。この部に入り、皆が思うナイスプレーや上手い部員と自分が思うそれはなかなか合わなかったが、それぞれ経験してきたサッカーは違うから仕方ないと思っていた。ただ、「そこを起点にするべきなのか。そこでプレスをかけるべきなのか。そこにパスを出すべきなのか。そこで人のせいにするのが正しいのか。意外とブレーキになっているところはどこなのか。流れが悪くなったのは誰のどのプレーからだったか。」このあたりのことは少しでも伝えられていれば個人としてもチームとしても変われたのかなと思う。自信を持って伝えるにはもっとまともなプレーが出来るまで練習しないといけなかった。それでも、学年が上がるにつれて同期をはじめ、部員と真剣にサッカーの話をする時間も増えたと思う。全て本音で語り合えたかというとそうではなかったが、考えを伝えようとする場面が少しは増えた気がするしその分プレーしやすくなった気もする。良い学びの一つだった。
意外にも後悔はなく、自分本来の実力はこんなものかと気付けた4年間だった。
最終節、試合終了時に感じた4年間の思い。苦しんだこと、自分自身への不甲斐なさや情けなさ、友達・家族・同期・後輩・先輩など多くの方への感謝、残留したことへの安堵、ちょっとした達成感。忘れることはできない。
高3夏に大学受験を選択した判断が正解だったかどうかはまだはっきりとした答えを出せていないが、東北大学に入学してから学友会蹴球部で4年間やりきった事は正解だったと思うようになってきた。はじめて経験する部活、はじめて学ぶチームスタイル、部員との出会い。そして実感した自分自身の実力不足。今思えば全てが貴重な経験で忘れられない4年間だった。全てに感謝したい。ありがとうございました。
同期のみんな
上手くも強くもなく、4年間で何も成し遂げられなかった代だけど、なんだかんだ4年間で成長した人も多かったと思う。皆、自分たち自身のことが大好きで、揃うと落ち着く安心感のある集団だった。考えていることがよく分からなかったり、何かと接するのが面倒だったりする自分だったと思うけど、サッカー好きが集まったこの代だからギリギリ4年間やりきれたと思っています。今までありがとう。
後輩のみんな
頑張れ。東北大にはどの年だって上手い人はいないしチーム力も高くない。思っている以上にAチームのレベルも低い。現実と向き合い、弱さを自覚し、厳しさの中にある本当のサッカーの楽しさを見つけてほしい。そうすれば今より絶対強くなれる。これからは3年生のラストイヤーにかける思い、2年生の本気でサッカーに取り組む姿勢、1年生の自分にもチームにも厳しく励む姿に期待しています。今までありがとう。
家族のみんな
16年間お世話になりました。疲れ切って家に帰ってもぜんぜん話す気力がなかったり、大事な試合前後で緊張感あったりした時も多かったかもしれないけど、高校までは全国大会に出ることで少しは恩返しになっているかなと思っていました。大学ではつまらない試合を見せ、帰省した時はうまくいかない話ばかりで申し訳なかった。それでも手厚いサポートのおかげでなんとか4年間やり切れました。たくさんお金も時間も負担も心配もかけたと思う。16年間幸せなサッカー人生のサポート、ありがとう。これから少しずつ親孝行します。
これまで楽しい時間が大半を占めていた自分にとって長く苦しむ4年間はとても貴重な経験になりました。お世話になったみなさん、気を遣わせてしまうことが多かったかもしれませんが、本当にありがとうございました。
2023.12.28 東北大学学友会蹴球部 宮本皐佑