見出し画像

遺言ブログ#17 凡事を向上し徹底しろ

こんにちは。
経済学部経済学科4年、前々主将の久保田大芽です。

引退してから、2ヶ月近く経ちました。
引退後は飲み会、バイト、旅行、卒論の日々を送っています。
15年間の日常だったサッカーが無くなり、初めは実感が湧きませんでしたが、今ではこの生活に慣れてしまいました。15年より直近の2ヶ月だと思うと、人の慣れは恐ろしいです。
練習や試合に縛られない自由な生活が楽しい一方、どこか物足りなさを感じている自分もいます。もう社会人になるまで100日もないらしいです。残りの学生生活を存分に楽しみます。

最近は毎日、同期の遺言ブログを楽しみに過ごしていました。
4年生の熱い想いは伝わってるでしょうか。後輩がちゃんと読んでくれていることを願います。

残すところ遺言ブログも、僕で最後となりました。大体こういう時はトリを務めることが多いですが、みんなが思った以上に?いい文章を書いているので少しプレッシャーを感じています。そんな中、知之進がさらにプレッシャーをかけてきました。過度な期待はやめて下さい。

長くなる予感がしますが、稚拙な文章にお付き合いください。


サッカーを始めたのは小学校2年生の時です。
きっかけは、日本代表のエスコートキッズに抽選で選ばれたことでした。ビッグスワンのピッチに立ち、長谷部誠と手を繋ぎました。そこから長谷部が憧れの選手になり、サッカーの虜になりました。

坊主時代。

小学校、中学校、高校と指導者や仲間に恵まれ、とても充実したサッカー人生を送ってきました。
ただ目標を達成して、引退したことがありませんでした。
小学校の時は県大会のグループリーグ敗退、中学では関東一回戦負け、高校では県ベスト8。それぞれあと一勝が足りませんでした。

そんな背景があり、大学へと進みます。

東北大のサッカー部の存在を知ったのは、浪人期。
僕の出身高校である土浦一高の先輩や同期が何人も所属していたため、自然と話が入ってきました。入ると決心したのは、その年、リーグ戦で3位となり、惜しくも後一歩で全国大会出場できなかったと聞いた時でした。

「もしかしたら自分が入ってから全国に出れるかも」

今思えば甘すぎる考え。ただ、これまでのサッカー人生で全国大会に出たことのない僕にとっては、とても魅力的でした。また大学が本気でサッカーができる最後のチャンスだと思い、最後に目標を達成して終わりたいと思うようになりました。

1年目
入学直後、コロナで思ったように部活はできませんでした。
授業もオンラインの中、サッカー部に入りたい1年生で集まって河川敷やグラウンドでサッカーをしてました。サッカー少年のようですね。
初対面でも一緒にボールを蹴れば仲良くなれる、久しぶりにそんな感覚を味わいました。

少人数でのグループ練習を経て、全体練習が始まったのは8月でした。すぐにAチームに選ばれました。久々のサッカー漬けの日々。Aチームのスピード感を感じながらも、必死に練習に食らいつき、充実した毎日を送っていました。しかし、浪人明けの体では限界が来て、肉離れで痛恨の離脱。リーグ開幕が直前に迫る中での離脱は、とても悔しかったです。同期が試合に出始めたのをとても悔しい気持ちで見ていました。復帰後、Iリーグには出場できましたが、学生リーグには絡めませんでした。
一番悔しかったのは、当時の4年生の最後のIリーグの試合で、8点か9点くらい取られて負けたことです。試合後、4年生のGKと握手をした時に、申し訳なさで泣きそうになりました。こんな惨めな試合はもう経験したくないと、強く思った試合でした。

2年目
シーズンが終わり、代替わりのタイミングで副主将に選ばれました。ちゃんと活動ができるようになってから3ヶ月くらい。実感は全く湧かず、正直戸惑いました。それでも自分にできることをやろうと思い、励みました。主将に頼りっきりではありましたが、立場的にも次第にチーム全体のことを多少なりとも考えるようになりました。

そしてまたもコロナで活動できなくなりました。
自主練でさえ大学のグラウンド使わせてもらえない。いつまでも続く活動停止期間。つくづく東北大は部活に非協力的な大学だと思いました。
仕方がなく、公園でボールを蹴っていたら、おっさんにボールは禁止だと怒られました。サッカー少年には生きにくい世の中になったものです。
仕方がなく、ぼこぼこの河川敷で自主練しました。日が暮れるまでやってました。サッカー少年のようですね。
僕たちが使った場所だけ芝(雑草)が剥げ、土になっていました。
この期間とてもモチベに苦しんだ期間なので、一緒にやってくれた同期、先輩ありがとうございました。

そして再開後、学生リーグにスタメンで出るようになりました。しかし強豪相手に全く通用しませんでした。それどころか自分がチームの穴だと感じてました。初めての感覚でした。正直、試合に出るのが怖いと感じた時もありました。今思えばこんな感情でプレーしていたのは、ベンチやベンチ外の選手に申し訳ないです。

学生リーグデビュー戦


上位3チームには勝てず4位でリーグ戦を終えました。
全国に行けないことが確定した試合後の海音さんの涙を見て、自分は悔しさで涙を流すような土俵に立つこともできていないと感じ、情けなかったです。
悔しさが募るシーズンでした。
ただ、学生リーグ特有の緊張感と、その分勝つときの楽しさを体感でき、貴重な一年になりました。

太志へ 10針の切り傷はプロテインでは治んなかった

3年目
そして代替わりで主将に選ばれました。ほとんどの部員の票が入ったと思います。気が引き締まりました。
これまでの人生でキャプテンなどリーダー的な役割が多かった僕ですが、ここまで大きな組織のリーダーになることは勿論初めてです。プレッシャーは感じていました。

強く意識していたわけではないですが、なんとなく自分の理想のリーダー像は長谷部でした。しかしこの一年、僕の心は全く整っていませんでした。

主将として、自身のことよりも、チームのことを考える時間が増えました。どうしたら試合に勝てるか、どうしたらより良い組織になるか、試行錯誤の連続。
振り返れば、主将としての振る舞いに数えきれない程の反省点があります。主将としていっぱいいっぱいになってしまっていて、それが周りに伝わってしまっていたのではと感じます。リーダーの振る舞いとしてはあまり良くなかったかもしれません。けど当時はそんな余裕もないくらい色々考えて行動していました。

だからこそ、チームがうまくいかず本当に苦しかった。

リーグ戦は前々年、前年より順位を1つ落とし5位でした。特に後期の敗戦が続いた期間は本当に辛かった。チームのマネジメントの部分で勝たせられないだけでなく、自分のプレーでもチームを勝たせるようなプレーができず、不甲斐なさだけを感じました。ピッチ内外で自分の弱さを強く実感しました。

基本ポジティブ人間な僕ですが、この一年はネガティブに考えることが多かったです。だからこそ皐佑、知之進、力輝の副主将3人がいてくれて本当に心強く、頼りになった。おかげで頑張れたし、首脳生活をやり切れたと思う。本当にありがとう。感謝してもしきれません。
力輝さんも遺言ブログ書けば?

苦しい1年ではありましたが、主将として、常にチームのことを考える経験や、80名近くも所属する組織のトップに立つという、かけがえのない経験をさせてもらいました。きっと今後の人生にも活きると思える経験です。


この瞬間が好き

4年目
いつぶりかの首脳ではない生活が始まりました。
これまでに比べ、自分自身にフォーカスできるようになりました。4年間で、この1年間が一番選手として成長できたと思います。
また、4年生かつ前主将として、首脳の手助けとなれるように意識し行動していました。同期や後輩のキャラクターのおかげで、部の雰囲気は4年間で一番良かったのではないかと感じます。

かなり僕の中で印象深いのが春合宿で、夜な夜な首脳と4年で戦い方について話し合ったことです。時間をかけ自分たちのスタイルを確立させた第一歩があの話し合いだったと思います。

そして学生リーグ開幕。前期で勝ち点13を積み重ね、3位になりました。ここ4年間で一番良い成績。入学から一度も勝てていなかったチームにも勝ちました。やはり勝つとサッカーは最高に楽しいなと感じました。
夏の総理大臣杯は過酷な日程の中、準々決勝で劇的勝利。ひろきのゴール最高だった。
そして、勝ったら全国出場の準決勝。相手は仙台大。苦しい展開だったけど、2−2で終了間際まで進みました。これまでになく仙台大が焦っているのを感じました。しかし、終了間際に失点。点差で競った試合展開だったからこそ、より全国の壁の高さを感じました。

1 23456   18 20  

そして後期リーグ。前期とは全く異なり、なかなか勝てませんでした。上位相手に惜しい試合はするものの勝てず。個人的には怪我もあり、スタンドやベンチから見る試合は本当に悔しかった。最後の2試合は、1年間やってきたサッカーが全く出来なかった。
終わってみれば、降格プレーオフまで得失点差1の5位だった。

この1年、楽しくサッカーができたし、見ている人を楽しませるサッカーもできた試合も多かったと思います。ただ結局、「惜しい」で終わってしまった。まだまだ実力不足を痛感させられました。


以上、こんな4年間でした。間違いなく、嬉しい経験より、悔しい経験の方が多かったです。ここまで自分の弱さに直面したことはありません。

結局、大学サッカーでも目標を達成することなく、サッカーを引退することとなりました。最後の試合、惨敗を喫したあとピッチを眺めながら、これで終わりか〜と寂しいような、虚しいような、けどどこかほっとした気持ちが溢れてきました。

振り返れば、僕は本当に運が良く、そして幸せだったと思います。うまくも、強くも、速くも、高くもない僕でも、特に大きな怪我をせず、そしてサッカーができる環境に身を置けたからこそ、15年もサッカーを続けることができました。すごいことだと思います。




では遺言ブログということで、せっかくなので後輩に遺言を残していこうと思います。
後輩に伝えたいことは2つです。
「当たり前の基準を上げること」「楽しんだもん勝ち」

「当たり前の基準を上げること」
当たり前のことを当たり前にやる。凡事徹底。
これは高校の顧問の先生の口癖でした。当たり前のことができない選手・チームが勝てるわけがない。その通りだと思います。
割とありふれた言葉なのかもしれません。ただとても重要です。
僕はこの当たり前は、人によって基準が様々だと思います。もちろん、挨拶をする、周囲に感謝を忘れないなど、人としての当たり前は同じであって欲しいですが。

例えば、
僕にとって毎日30分の入浴とストレッチが中学生の頃からの日課です。大学生になり、一人暮らしでも継続していました。僕にとってこれは当たり前です。

公成にとって、どんなに忙しくても筋トレは欠かさない。これは当たり前です。

知之進にとって、試合前日に海鮮・揚げ物は食べない。これも当たり前です。

みんなにとって当たり前ですか?

それぞれに自分の当たり前があると思います。それがプラスに作用していることならそのまま続け、その基準を上げ続けて下さい。

もし他の人が当たり前にやっていることで、自分のためになると思うことなら、積極的に取り入れて、当たり前にして下さい。2週間くらいすれば習慣になっていくはずです。人の慣れは恐ろしいから。
そうやって当たり前がアップデートされていくでしょう。

当たり前のことを当たり前にやる毎日の積み重ねが、試合の勝敗を分けるかもしれません。

「過去の自分が今僕の土台となる」

僕が好きな歌のワンフレーズです。こう思えるような過去を積み上げて下さい。

どうやっても大上には勝てん


「楽しんだもん勝ち」

僕は小学校の時のコーチにこの言葉をもらいました。「楽しんでサッカーするとマジで無敵なんだよ」と。10年以上経った今でも、指導者としてサッカーを存分に楽しんでいました。そういう人はかっこいいなと思います。

僕は小学校の時からこの言葉を胸にプレーしてきました。余裕がない時、時には忘れそうにはなりましたが、その度この言葉を思い出し、重圧や逆境も楽しんでやろうという気持ちになれました。

東北大のサッカー部に入って、理念が「Enjoy Football」だと聞いた時は嬉しかったです。僕の大切にしている言葉と近かったから。

みんなは今、サッカーを楽しんでいますか?

サッカーには大小さまざまな楽しさが有ります。
股抜きをしたとき、シュートを決めた時・止めた時、アシストした時、苦手だったプレーが上手くできた時、チームがゴールを決めた時、試合に勝った時。数えきれない程あります。間違いなく、僕の知らない楽しさだってあるでしょう。
全ての楽しさに敏感であって欲しいし、できることなら全部体感してほしい。

正直僕は3年の時、サッカーの楽しさを忘れる瞬間も多かったです。
ただその経験があるからこそ、4年目で八戸に勝った試合や、大臣杯のノース戦なんかは、最高にサッカーの楽しさを感じました。

しかし、存分にサッカーを楽しむには実力が必要で、努力するしかないと思います。この努力の過程で挫けてしまう人はたくさんいます。みんなもここまでサッカーを続けていれば、嫌でも自分の弱さや課題に直面していることでしょう。それすらも楽しんで立ち向かえるやつはかっこいいです。
プロになれない僕らは大学4年間が最後のチャンスです。思う存分やりきって下さい。楽しんだもん勝ちです。



最後に
僕は4年間で、東北大サッカー部をより魅力的な組織に、愛されるチームに、そして強いチームになってほしいという願いで様々な活動をしてきました。
そういった思いから、スポンサーの獲得やテクニカルスタッフの募集などを行いました。決して僕の功績ではありませんが、僕らの代で土台となる部分は築けたのではないかと思います。
別にやらなくても困らないことだったけど、ここまでやろうと思えたのは、僕は東北大のサッカー部が相当好きなんでしょう。

全体MTGの時の資料。賛同してくれる人が多くて心強かった。


今後どう生かしていくかは後輩のみんな次第です。この取り組みが正解だったかも分からない。みんなで正解にしてくれると嬉しいです。
東北大サッカー部に憧れて入ってきました!みたいな1年生が来るようなチームになって欲しいな〜と、勝手に思ってます。
今後の東北大サッカー部の発展に期待しています。




先輩・OBの方々へ
尊敬できる方々ばかりでした。ピッチ内外で様々なことを学びました。ありがとうございました。
コロナ禍を挟んだことで、僕たちの代でいろいろなことが変わったかもしれません。それも変わっちゃったんだと思うところもあるかもしれません、すみません。
ただ間違いなく現役は頑張っているので、今度はみなさんと同じ立場で、全力でサッカー部を応援しようと思います。
あと、飲みに連れて行って下さい!

後輩へ
Enjoy Footballを体現して欲しいなと思います。
新4年は、チームの柱になるつもりで。
新3年は、自分たちの代の自覚を持って。
新2年は、ガツガツ積極的に主張して。
試合に出てる出てないは関係ないです。学生主体だからこそ、一人一人の役割が大切で、代わりはいません。
行き詰まったら、いつでも連絡ください。飯でも飲みでもいこう。
あと一高組、お前らがチームを引っ張るように。
観に行ったときに、みんなの成長した姿を期待してます。

同期へ
サッカーにもイベント事にも全力なこの代は最高だと自信を持って言える。周囲に自慢したいくらいの存在です。
みんなに出会えてよかった。
みんなのおかげで充実した大学サッカーになりました。
あんなに毎日練習で顔合わせてたのに、会わなくなって寂しく感じるやつもいるでしょう。そんな時は俺のアルバムでも見てください。
これからも爽太郎が色々企画してくれるでしょう。
4年間お疲れ様、これからもよろしく!


両親へ
15年間のサポートありがとう。
毎回の送迎、お弁当、たくさんのプレー中の写真、本当に感謝しています。
おかげさまでこの年までサッカーをやり切ることができました。幸せ者です。
社会人になって、恩返しできるように頑張ります。
これからの久保田大芽に乞うご期待。




サッカーを通じて多くの人と出会い、成長出来ました。出会った全ての方々に感謝しています。
この経験を糧に、これからも励んでいきます。


東北大学学友会蹴球部 4年 久保田大芽


いいなと思ったら応援しよう!